アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
理想
-
pink motor pool、専ら『pmp』と略されるそのユニットは、ギターボーカルの木田悠(きだ ゆう)とベースの前島弘介(まえじま こうすけ)の2人からなるロックデュオである。
そのマネージャーの櫻井永徳(さくらい ひさのり)は、5つのコーヒーカップと1つのロールケーキを乗せた盆を抱え、悶々と事務所の通路を歩いていた。
現在、pmpはユニット存続の危機の真っ只中にあった。
ボーカルの香月麗二(かづき れいじ)とギターの外村恵大(そとむら けいすけ)からなるロックデュオ『シタタリ』はこの事務所のトップ、ひいてはJ-POP界でもトップクラスに位置する超人気グループだ。
特に香月の中性的で男女がともに認める美しさ、それに加えた正統なポップスター然とした歌唱力、その2つがファンを魅了してやまず、もはや人気のほとんどが香月によって支えられていると言ってよい。
そんな香月を、木田が酔った勢いであろうことか「どけブス」と罵ったのはつい一週間前、シタタリのツアーファイナル打ち上げ会場でのことだった。
メディア関係者も数多く出席した中での失態、まさに絶望的な状況だ。
今回はその場で土下座してなんとか得られた救済のチャンス、香月は改めてこちらの謝罪を聞いてくれるということで、事務所の社長が計らって場を設けてくれたのだ。
しかし指定された時刻から10分、未だに香月の姿はない。櫻井は今、冷めたコーヒーと乾いたロールケーキの交換に、給湯室に向かっている最中だ。
「あれ……」
給湯室の扉を開けた時、そこに背の高い男の背広姿が見えた。後ろ姿ではあるが、その背格好に髪の毛が立つほどの短髪、一応顔と名前は一致する。
「おはようございます、武上さん」
武上征爾(たけがみ せいじ)。事務所にドラマーとして登録されている黒宮弘毅(くろみや こうき)のマネージャー。
バックミュージシャンの体を取っているとはいえ、ほとんどシタタリのドラマーとして活動している男に、専属で付いているマネージャーということで存在はある程度認識していた。
武上は櫻井の声に気付くと、「おはようございます」と表情も変えずに頭を下げた。彼がこちらを認識しているか、櫻井は判断が付きかねた。
「pmpのマネージャーの櫻井です。先日の打ち上げの場では、大変失礼いたしました」
武上は理解に困ったように一瞬間を置いた後、すぐに「あぁ」と頷く。
「あなたが土下座していたのを見ました」
「あぁ……それもお恥ずかしいところをお見せしました。今日もまたそのことで、頭を下げに来たわけですが……」
「それはお疲れ様です。黒宮はあなたの姿を面白がっていました」
「あぁ~……それはそれは、楽しんでいただけたなら」
真顔でそれを伝えられても返答に困る。どうにも愛想はよく見えない男だ。
コーヒーを落とす間に、櫻井はロールケーキの処理を考えた。余り物としてメモでもして冷蔵庫に入れておいてもいいが、せめてこの場にいる武上に声くらいはかけておこうか。
「武上さんは、甘いものは?」
「俺はあまり食べませんが、黒宮は好んで食べます」
黒宮。反芻されるその名前を、櫻井もふと頭に浮かべた。
「余り物でもよろしければ、召し上がりますか?」
武上は少し考えるようにケーキを見つめてから、櫻井に一礼する。
「持って行ってみます」
「どうぞ。黒宮さんにもよろしくお伝えください」
「ありがとうございます、それでは」
茶とケーキを盆に載せ、武上は出ていく。櫻井もコーヒーとケーキ一切れを準備して、また社長室への道を戻っていった。
黒宮弘毅。事務所所属のフリーのドラマーで、シタタリのサポート、か。
香月への詫びでいっぱいだった櫻井の頭、その端がいま、わずかに黒宮のことで上書きされていた。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
1 / 88