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「リカちゃん」
約2日ぶりの背中に呼びかけると、そいつはゆっくりと振り返った。なかなか寝室に来なくて焦れ、堪らず仕事部屋まで迎えに来た俺を、リカちゃんは椅子に座ったまま見上げる。
「慧君どうした?」
その声は落ち着いていて、あの時のことが嘘みたいに感じる。帰って来てからのリカちゃんは、別によそよそしくもなければ、変に無視されることもない。
本当に『普通』だった。セクハラのようなことを言われることもないのは、鹿賀がいるからだと思いたい。
そうじゃなきゃ嫌だ。
「まだ寝ないのか?」
「ああ……まあ明日は休みだし、今日のうちに出来るだけ終わらせておこうかなって」
リカちゃんが昨日帰って来なかったのは、仕事が忙しかったからだって聞いた。仕事が終わって学校に泊まったって言っていた。
そして、一昨日帰らなかったのは頭を冷やす為だったらしい。そのことについては謝られたから怒っていない。でも納得もしていない。
本当に学校に泊まったのかは俺にはわからない。リカちゃんがそうだって言えば、俺は文句を言いながらも信じるしかない。だから、やっぱり納得はできない。
机の上のノートパソコンの画面はまだ明るくて、仕事をやめるつもりがないことが伝わってくる。
リカちゃんは今日のうちにって言ったけど、もう日付は変わっていた。もう日曜日だ。リカちゃんも俺も休みの日曜日……それなのに、リカちゃんは俺の待つ寝室へと来ない。
「じゃあ俺もここでレポートする」
「机1つしかないんだけど」
「折り畳みの持ってくるから大丈夫」
返事を聞く前に部屋を出て、小さな机と筆記用具を持って戻った。リカちゃんは俺が部屋を出た時と同じ体勢だったけれど、その手には煙草がある。
そう言えば、最近は目に見えてリカちゃんの煙草が増えた。イライラしたり、考え事があると吸う本数が増えるって歩は言っていたけれど、リカちゃんも同じなのだろうか。
それなら何にイライラして、何を考えているんだろう。
俺のことで怒っていたら嫌だし、鹿賀のことを考えていたら嫌だ。だから持っていた煙草を強引に消し、灰皿を手の届かない場所に隠す。
「慧君、それないと困る」
困ったように、けれど穏やかな口調でリカちゃんは言う。それはいつものリカちゃんだ。
「吸わなきゃいいだろ。身体にも悪いんだし」
「それって禁煙してほしいってこと?」
「別に……そこまでは」
禁煙はしてほしい時もあるし、してほしくない時もある。リカちゃんには長生きしてほしいけど、煙草を吸っているリカちゃんは大人っぽくて綺麗だから好き。
どっちも当てはまるから答えられずにいると、リカちゃんが「わかった」と一言答えた。
「わかったって、何を?」
「禁煙する。もう吸わない」
そう言ったリカちゃんがシガレットケースの中の煙草を捨てる。あっさりとゴミ箱へと落とされたそれは、入れ替えたばかりなのか結構な本数があった。
思わずその手を止めてしまったけれど、もう遅くて全部がゴミの中へと落ちてしまった。
「やめなくていいから。吸ってるのが嫌なんて思ってない。それに煙草やめちゃったら、それが無駄になる」
空になったシガレットケースはもう役目を終えてしまう。リカちゃんから俺との思い出が1つ消えちゃうようで、俺はもう一度「やめなくていい」と言った。
するとリカちゃんは、さっきと同じように「わかった」と言うだけだ。
なんだか痛い。リカちゃんが俺の言うことを聞いてくれるのは、いつもと変わらないのに痛い。
どこかわからない身体の奥の部分……多分、心が痛い。
留めたままだった手は包まれることはない。俺がリカちゃんの手を触っているだけで、リカちゃんから俺には触れない。それが悲しくて、でも自分から言うような勇気はなくて、そっと手を離した。
どこかで俺は、リカちゃんが追いかけてくれるんだと思っていた。それはリカちゃんにも当然のように伝わっていて、俺が言わなくても叶えてくれると思っていた。
そうあるべきだと、勝手に思っていた。
「わからないところがあったら聞いて。あと、終わったら先に寝てくれていいから」
「え、ああ……うん」
あっさりとした会話は一瞬で終わり、リカちゃんは仕事をして俺はレポートと向き合う。けれど意識はずっとリカちゃんにあって、いつになったらこっちを向いてくれるんだろうって考えてしまう。
キーを打つ音が止まると、俺の手も止まる。また始まると、俺も同じように再開する。
それを何度も繰り返して、何度も期待して、何度も次こそと思って。
思うだけで口にしないまま、時間は過ぎる。
タンッ、と軽い音の後に流れたのは少し長めの沈黙。やっと終わったんだと握っていたペンを置き、本を閉じたけれどリカちゃんは背中を向けたままだ。
「そんなに意識しなくても、何もしないから」
「──え?」
静かで、けれどはっきりと聞こえた声が続く。
「しばらく俺はお前に触らない」
リカちゃんの言う俺とはリカちゃん自身のこと。お前とは俺のこと。
その意味は『しばらくリカちゃんは俺に触らない』だ。
リカちゃんが、俺を……触らない。
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