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71.なりたいもの
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自分の恋人が他のやつに触れる。他の人に首に手を回されて、他の人に胸元に頬を寄せられて。そうして自分の元から颯爽と去って行く背中を、どれだけの人が見たことあるんだろう。
そんな時、どんな感情をもつのが正解なんだろう。どうやって自分を納得させればいいんだろう。
「兎丸先生、大丈夫?」
呆然としてしまっていた俺に、忘れ去っていた女子高生が遠慮がちに声をかけてきた。すごく心配したその表情に、自分の立場をやっと思い出す。
「待たせて悪い。家まで送るから」
「先生、でも」
「お前の家どこ?とりあえずタクシー捕まえなきゃな」
「待って!そうしたら先生が」
「そうだよ。俺は先生だから。俺は……俺はこれでもお前の先生だから。昔と同じじゃダメだから」
俺はもう前みたいに、当たり前に守ってもらえるわけじゃない。自分で選んだことは自分で責任を持たなきゃいけない。途中で誰かに投げ出せない。最後まで、自分で頑張らなきゃいけない。
それが当然なんだと我慢して。不安になっても耐えて。色んなことを平気にならなきゃいけなくて。
これが大人になるってことなんだろうか。
リカちゃんの背中を見ながら、俺もいつかはなれると思っていた大人の男。自然となれるものだと信じていた、誰からも頼られる男。
実際に大人になってみたら、こんなにも嫌だなんて想像もしていなかった。
「とにかく帰ろう。これ以上遅くなったらお前の親だって心配するだろ」
道路に転がったままだった彼女の鞄を拾い、軽く埃を払う。そうして平然を装いながらも、俺は心の中でたくさん考えていた。
もしもこの子が鞄を投げなかったら。
もしも蛇光さんがこの道を通らなかったら。
もしもこの子が俺を追いかけて来なかったら。
もしも蛇光さんが引っ越して来なければ。
もしも魚住がこの子と揉めていなければ。もしも今の塾で働いていなければ。
もしもリカちゃんが俺に教師は向いていないって言っていれば、俺は違う仕事を選んだかもしれない。
もしもリカちゃんが教師じゃなくて、俺の先生でもなかったら、俺は教師になろうとも思わなかったかもしれない。
もしもリカちゃんが隣にいなければ。
今頃俺は何をしていただろう。たかが塾の生徒を庇うことも、たかが同じマンションの住人にイライラすることもなく、もっと楽な生き方をしていたんじゃないか?
そうやって、他人を責めなきゃ普通にはしていられない。絶対に有り得ないことを考えなきゃ、こよ現実はあまりにも辛いものだった。
「鞄。自分で持てる?」
全ての元凶となった鞄を差し出すと、女子高生はおずおずといった感じで受け取った。
「うん……でも、本当にいいの?先生」
「何回も聞くな、しつこい。ほら行くぞ」
促して俺が歩き出すと、後ろをついてくる気配を感じた。でもそれはすぐに止まって背後から大きな声がかけられる。
「やっぱり追いかけよう先生!追いかけて、ちゃんと話をした方がいいよ。私、謝るから。ちゃんと謝って、許して貰えるまで謝るから」
「話すって何を?別に喧嘩したわけじゃないし、お前だけが悪いわけでもない」
「でも自分の彼女が他の男と一緒なんて嫌でしょ?私のことを考えてくれたんだってわかってるけど、でもダメだよ」
この子はまだ、蛇光さんが俺の彼女だと思っているらしい。
そんな勘違いしながらも一生懸命に俺を説得しようとする女子高生に、改めて向き合う。そこには昔の俺の同じように、目の前のことに全力でぶつかっていく姿があった。
失敗するのが怖い俺と、失敗しても取り戻そうとする高校生。本当に大人なのはきっと彼女だ。
この子の所為にしようとした俺は、頼れる男でもなんでもない。
どれだけ頑張っても、俺はリカちゃんにはなれない。
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