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一ツ橋家という、悪霊祓い師の一族がある。
群馬に拠点を構え、東日本の霊的治安を一手に引き受けていると言っても過言ではない。
神道とも陰陽道とも少し違う、独特の流儀で術を使い、悪霊が出ると聞けば依頼を受けてこれを祓い、時に調伏し、時に封印を施す。
その一ツ橋家において、近頃頭角を現してきたのが、当主の孫である一ツ橋末理だ。
親の事情で本家とは離れて暮らし、幼少から修行を積むこともなく、家業のことすら何も知らずに育ってきた。
中学進学とともに本家に引き取られ、修行を始めることになったものの、生来の気の弱さが原因か、なかなか力を示せずにいた。
「一ツ橋の末席」と、名前をもじって揶揄されること3年。誰もが末理に期待するのを諦めた頃――ある日突然、隠された才能が開花する。
凄まじい霊力を身につけた彼は、そこにいるだけで悪霊にとっての人間兵器だ。
細々とした雑霊を意識せず斬り伏せ、人に憑く霊をひと睨みで竦ませる。対峙した悪霊を取りこぼすこともなく、カケラも残さず調伏する末理は当代一の実力者と呼んでもいいだろう。
末席などと揶揄する者は、もういない。
「琥珀鬼」、それが今の末理の巷での呼び名だった。
今日もまた、末理は一族からの命令に従い、悪霊祓いの現場に向かった。
場所は郊外の廃墟。何年も前に廃業した小さなレストランだが、取り壊そうとすると事故が起き、更地にすらできないでいるという。
放課後、高校からまっすぐ現地に着いた末理は、ラフなプリントTシャツにブルージーンズという格好だ。肩にかけたエナメルバッグに入っているのは、仕事に使う呪具ではなく、教科書にノートに参考書。
ごくごく普通の高校生といった格好の、細身で色白の少年が現れた時、現場に詰めていた関係者の間にどよめきが走った。
驚くのは無理もない。地主は勿論、その土地の有力者や地方議員、地鎮を行う地元の神主ら、大人たちが集う場所には、あまりにも不似合な少年だ。
しかも、生来の気の弱さや人見知りなところは何も変わっていない。
「あの……一ツ橋から派遣されました、末理です……」
キョドキョドと視線を揺らしながら、肩身が狭そうに名乗る様子の、どこが有能に見えるだろう。
「琥珀鬼」とは名ばかりではないか。関係者たちの顔にそんな色が浮かんだのを、末理は無感情に受け入れた。
エナメルバッグを邪魔にならない場所に置き、大人たちが見守る中、ゆっくりと廃墟に近付く。
見る者が見れば、末理の周りに美しい琥珀色のらせんが見えることだろう。雑多な弱い霊を無意識のうちに切り伏せる光だ。
「……みんな、迷惑してるよ」
気弱げな声が、宙に向かって語りかける。
廃墟にわだかまる闇が、恐れるように音もなくざわめく。
「どいて。上がって」
闇に向かって淡々と告げられる命令。少し高めの少年の声には、何の覇気も見られない。とても霊を祓う程の力を帯びているように思えない。
けれど、効果はてきめんで――。
「おお……」
榊を持った神主が、感動したように声を漏らした。
末理が軽く差し伸べた手に、見えざる琥珀色の光が灯る。それが指先から離れたと同時に、パアッと広がる光の粒子。
その美しい光景を客観的に眺められるのは、この場では神主だけのようだ。
地主や議員が「なに?」「なんだ?」と抑えた声を上げる中、神主の老人は眩しいものを見るように目を細めた。
光の粒子は夕空に溶けるように広がって、キラキラと上に「上がって」いく。
何年にもわたり、人々を手こずらせた悪霊が、あっさりと祓われた瞬間だった。
「成程、これは恐ろしい」
神主がしみじみと言ったが、その真意を問う者は誰もいない。
「あの……終わりました……」
ぺこりと頭を下げた末理は、もうただの気弱そうな高校生に戻っていて。「琥珀鬼」と呼ばれるような力の名残は、どこにも見当たらなくなっていた。
仕事を終えた後、末理は電車のつり革にもたれ、ぼんやりと車窓を眺めながら帰路についた。
夕焼け空が遠く広がり、車窓に時折車内の様子が鏡のように映り込む。
1人でいるはずの自分に寄り添うように、もう1人の少年が映るのを見るのも、末理にとってはおなじみだった。
末理より少し背の高い、黒髪を長く伸ばした少年。キリッとした濃い眉、少し垂れ目がちの涼やかな目も真っ黒で、見つめていると少し不安になってくるような、整った顔立ちの持ち主だ。
『今日も楽勝だったな』
黒の少年が、末理の耳元で囁いた。
常人には見えぬ少年の唇が、囁きついでに末理の耳を食む。温度の無い舌になぶられて、末理はびくんと肩を揺らした。
「だめ、ここじゃ……」
蚊の鳴くようなか細い声で、こそりと少年に訴える。こんなイタズラももう、日常茶飯事で。
『じゃあ、お前んちならいいのかよ?』
くくっと意地悪く笑う声に逆らえず、うなずくしかできないのも、またいつものことだった。
無人の広い家に戻り、だだっ広い自室にこもる。
エナメルバッグを床に落とすと同時に、末理の服が不可視の手によりはだけられた。温もりのない見えざる手のひらが、遠慮も容赦もなく末理の体を這い回る。
「あ……っ、んんっ」
末理の声が、夕闇に沈んだ自室の中に空しく響いた。こうなってしまっては、体の奥の奥まで不可視の肉に犯されて、泣きむせぶしかできることはない。
1つ力を借りるたび、その体を少年に差し出す。
それが末理と黒の少年との契約で――この契約こそが、「末席」だった末理を、恐ろしいほど優秀な「琥珀鬼」に変えた秘密だった。
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