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止まない雨
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それは、何を流してくれるのか。
哀しみか、苦しみか、それとも…………………。
キィ………………………
錆び付いたドアの、軋む音。
開けた隙間から覗くのは、割れたタイルの床と空虚なフロア。
商売なんて、する気配は微塵も感じない。
ヒタ…………………………
濡れた革靴でタイルを踏み、大和は何もないフロアを見渡した。
「京之介の言う通りやな……………………何かをおっ始めようって、雰囲気やない」
天井に二ヶ所ある蛍光灯も、一ヶ所は完全に切れ、もう一ヶ所はチカチカと点滅。
これも、安道の読み通り、長居する様子も見受けられない。
大和は雨の滴る傘を入口の隅に置き、奥に見えるドアへ目を向けた。
「…………………………あの向こうか」
今まで、こんな時自分の隣には、必ず高橋がいた。
高橋がいて、自分を助けてくれる仲間達がいた。
一人とは、こうも心細い。
「ふぅ…………………………」
小さく息を吐き、大和はジャケットの上から、懐に入れた拳銃を触った。
硬く、冷たい感触。
これを、ぶっ放つ度胸はあるか?
大和は、高橋の昔話を思い出しながら、尊敬すべき『親父』の顔を頭に浮かべる。
昔、父親は一人で、高橋を助けに行った。
一人で。
敵が、何人いるかもわからないのに、一人で。
凄い勇気だと思う。
それが、褒められるかどうかは別として、やってのける父親が、凄い。
まだ親しくもなかった、高橋の為だけに。
そんなの………………………。
「俺には、出来ん……………………」
自分は、そんなに強い人間ではないから。
ろくに知りもしない他人の為に、命を懸けるなんて、したくもない。
でも。
「出来んけど………………今の高橋の為なら、出来る」
大事な右腕。
大事な家族。
大事な、高橋だから。
ビルの窓に打ち付ける雨が、益々強まる。
「しみったれたヤクザには、お似合いの勝負日和やで…………………………」
ゆっくりドアノブを回し、大和はもう一度息を吐いた。
「……………………………親父、ごめんな」
何への謝罪か。
「高橋………………………ごめんな………」
何への謝罪なのか。
愛する人と、愛すべき右腕。
こんな真似をして、許してはくれないだろう。
二人の哀しむ顔が、目に浮かぶ。
それなのに、どうしても黒河への怒りが、自分を止めてはくれなかった。
どれだけ考えを巡らせても、許せない。
生きた人間を、どこまで苦しめたら気が済むんだ!
痛みのわかる心が、涙で濡れる。
「……………………ごめんな……………………皆」
激しい雨の音にかき消され、大和の声は、誰にも届かない懺悔を繰り返す。
これが、命懸けだとわかってるから。
ガチャ………………………
ドアを開くと、小さな照明に照らされた、細長くて薄暗い廊下が姿を見せた。
地を這いつくばった黒河にお似合いの、カビ臭さが鼻につく、暗い道。
その先に、また一つだけ目に入る、傷みの目立つ扉。
暗い廊下へ、微かに中の光が漏れ出ていた。
この向こうに、憎き黒河が。
「まるで、地獄への入口やな………………」
地獄。
高橋の十代は、それの中を生きてきた。
守られて来た自分とは、あまりにもかけ離れた世界。
最初は、助けを求めただろう。
誰も聞いてくれない叫び声を上げ、ただ助けを。
それが、意味がないと知った時の絶望は、どれ程の暗闇だったか…………………。
大和は唇を噛み締め、扉を睨み付ける。
ギラギラと光を帯びる、ヤクザな目。
望むところや…………………………。
これでも、冴木を倒し、喜多見を倒し、関東にその名を馳せた。
ここへ行き着くまでには、大切な仲間も死なせた。
「……………………………腹なんざ、とうに括れとるわ」
ザァァァァァ………………………
遠くに聞こえる雨音が、やたらと耳に響く。
外は、どしゃ降り。
目に映る世界、全てを洗い流すよう。
「黒河…………………………俺や、入るで」
そこは、黒河の領分。
立て付けの悪い扉を押し開け、大和はまだ見ぬ外道の世界を、知る。
『嵩原さんは、今日風邪でお休みしてる筈ですが』
関東支部の一室。
高橋は、自分に与えられた支部の部屋から雨の中庭を眺め、何処かに電話をかけていた。
「休み………………………そうですか。ほな、行き違うたようですね………………………お手数お掛けしました、すみません」
『いえ……………………では、失礼致します』
休み。
切ったばかりのスマホを見つめる高橋の、厳しい表情。
「若………………………やっぱり、学校休まれてはる」
昨日から、どうも様子がおかしかった。
大和の潤んだ瞳が、高橋の脳裏にこびり付く。
気にならない筈がない。
気にならない筈がないから、高橋は大和の学校へ、探りの電話を入れたのだ。
「何処へ行かれたんや………………………何処へ」
苛立つ気持ちと、妙な胸騒ぎ。
カタ…………………………
デスクの引き出しを開け、高橋は中に入れている拳銃へ視線を向ける。
何か起きているのなら、自分が行かなくては。
自分が行って、大和を守らなくては……………………。
「…………………………………さか」
まさか、黒河……………………?
黒河の所へ、行ったのか?
「いや……………………せやけど、場所は………………」
場所までは、教えてはいない。
大和を巻き込みたくなくて、黒河の場所まではあえて言わずにおいた。
「………………………っ!………………………でも、俺があの日誰と行っとったかは、知っとる筈…………………」
胸騒ぎが、確信へと変わろうとする。
高橋は再びスマホを手に取ると、慌てて画面に指先を滑らせた。
電話の向こうで鳴る、発信音。
『トゥルルル………………トゥル………………あ、はいっ!高橋さ…………………』
「小早川っ、ちょっと教えてくれ………………っ!」
それは、裏路地で初めて黒河を見た日に、一緒に同行していた組員。
ザァァァァァァ………………………
今日は一日雨だと、天気予報が言っていた。
止まない雨。
止まない雨は、何を流す。
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