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【番外編・初乃】無自覚な復讐
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狭川柊人と初めて会話を交わした時、私はまだ野中初乃で、大学4年になった頃だった。
狭川は周囲の女たちから「地雷」という評価を確立した存在だった。
狭川は1年の前期の時点で、出席する講義では軒並み最前列に居座り、そうでない時は別の勉強を熱心にしている、という意識の高さが有名だった。
ガリ勉だが、顔はいかにも文系の細面。それでいて口も達者で小気味好い。
モテないはずがなく、早々に告白を受けて交際を始めたのだが、これがまた酷いのだ。
狭川には歳の離れた弟がおり、弟は中高一貫校を受けるために猛勉強をしていた。弟の勉強を見ること、そしてその延長で始めた家庭教師のバイトが忙しく、ろくすっぽ連絡もしない。もちろんデートだってほとんどナシだ。
運良く2人が逢える時間が出来ても、遊びに行く事はごくまれ。
することといえば専らセックスである。
彼女がブチ切れて、
「私の事、ちゃんと彼女として扱ってよ! 私は都合のいい女なんかじゃない!」
と怒鳴ると、表情一つ変えずに、
「お前が付き合ってくれと頼んできたから付き合ってやってるのに、これ以上何を望んでんだ? お前が俺を都合のいい男にしようとしてるんだよ。惚れてもいない女とセックスしてる時点で、俺は相当尽くしてると思ってたんだけど」
などと言ってのける。
別れたり、セフレと化したり様々だが、とにかく大学内の女は「いくら顔が良くてもあいつだけは避けて通ろう」という共通認識を持つに至った。
それでも、友達付き合いの中で他大の子と合コンをして、そこで犠牲者を生んでいた。
ガードの固そうなツンとした女にいい顔をして擦り寄って、落としたら興味を失って、無慈悲にも振る。
完全に、女をお手玉みたいに翻弄して遊んでいる。ひとでなしのサイコパスだと思う。
時々、ストーカーじみた女が憎しみのこもった瞳で狭川を睨んでいるのを見た。
狭川はそれでも動じず、食事と読書中以外はノートを広げて何か作業している。
やばい奴だと思う。
やばい奴が好きだから、私は声をかけた。
狭川は大学内のカフェテリアで、一番安くて大して美味くもない肉無しラーメンをすすっていた。
食堂はガヤガヤと人が多く時に席が無いが、隣接するここは幾分静かだ。雲行きが怪しく、春の雨が降るかもしれないのに、天井のないここに来るのはちょっとした賭けだ。
2人がけのテーブルの正面に座って、私は定食を置く。他にも空きはあるのになんだこの女は、という目で狭川は私を見た。
「やあ、有名人」
「……俺、なんかしました? 存じ上げませんけど」
「同じ研究室の菫があんたのセフレだって聞いてるよ。超愚痴聞いてる」
「ああ、はいはい。スミレさんね。彼女にしろって口では言わないけど、見え見えでうっとおしいと思ってたよ。ご迷惑をおかけしていますね、すみません」
まったく感情のこもっていない言葉に、思わず吹き出す。
「聞きしに勝るクズっぷり、ウケるわ。面白え、お前ちょっとうちのサークル入んない?」
私の反応が意味不明だったのか、中空で麺をつかんだ箸が静止している。
「入学時の奨学生制度は漏れたけど、1年次の成績優秀者向けの学費減免制度は上手く乗れたらしいじゃん。むしろ減額幅が広いから、こっち狙いだったのか?」
「……よくご存知で」
「私も狙ったんだけど、しんどくて無理だったわ。バイトしながら、よく頑張ったね。この天ぷらをやろう。まあ私がレンコン苦手なだけなんだけど。しこたまレモンを搾っておくぞ」
狭川は首を傾げながら、それでもおかしそうに笑って、ラーメンのスープに沈没した天ぷらを食った。
「あんた、知らないタイプの人種すね。弟の受験のサポートが第一だから、あんまり活動に参加するとも思えないですけど……何のサークルなんですか?」
「ダーツ」
「あー、片手間に出来そう。いいっすよ。あんた何て言うんすか? スミレさんの友達ならたぶん先輩ですよね」
「野中初乃。4年。よろしく」
握手をして、そのまま食事を共にして、狭川は本当にサークルに参加するようになった。
実はサークルに入って先輩たちの使った教科書を流用して、テキスト代を浮かす魂胆だったらしい。実際、お古を狭川は有難く使った。
サークル室は人数が少ないため割り振られたスペースも少々コンパクトで、ダーツ盤を設置して投げるための距離を空けると、椅子を数脚置くくらいしか場所がない。
投げるたびに机を動かす始末なのだが、ダーツの種類はそこそこあり、ダーツ盤に刺さる部分であるチップをはじめ、消耗品は部費で賄っている。必要最低限の物は揃っていた。
狭川は昼休みや休講になった空き時間などにサークル室に現れては、矢を放った。
ダーツはスポーツでありながら、体力と同等にメンタルを問われる競技だ。
狙いを定める正確性、それを遂行する技術力、結果から修正しアドリブで数値を削り取る柔軟性、一喜一憂する心を抑える集中力。
見立てた通り、狭川には資質があった。
「すーぐ腱鞘炎になるのなんとかならないんですかね」なんてぼやきつつ、すぐに私より上手くなって、自分でマイダーツやダーツ盤を揃えていた。
私は就活を無事に終え、卒論準備以外の必要な講義はごく少なくなっていた。サークル室に入り浸り、せっかくの部費を旅行に使ってやろう、関西の方のアマチュアが出られる大会に合わせて、なんて計画を練っていた。
狭川は必要な単位をハイペースで取得し、少し余裕が出てきた様子だった。
「……パイセンは、ひとりっ子っぽいですよね」
「そーだよ。弟の話はよく聞くけど、2人兄弟なのか?」
「いや……パイセンと同い年の、姉が」
狭川は携帯をいじり、画像を見せた。
アイドルがステージを終えて集合写真を撮った、って感じの画像だ。衣装がしょぼくて、たぶんテレビに出てる子たちには遠く及ばない。うまく言えないが、貧相だ。
7人のうちの右から2番目を指差す。
狭川によく似た、あっさりとした顔立ちの子が汗だくで微笑んでいる。
「……姉です」
思わず吹き出した。
苦々しい顔をして、狭川は嘆息する。
「……天才だと思います。大した努力もなしに、あっさりと最高学府に入って……だけど唐突に、『飽きた』って休学してこんなことをしてるんです。あてが外れて、母さんは弟にプレッシャーをかけ始めた。あいつは子供を駄目にする人だから、上手く守ってやらないと」
狭川は姉と母親を嫌っていた。
天才の姉を溺愛する母。
やや不出来ながら運動が好きな弟と、父親らしい事をして楽しむ父。
真ん中の自分は、ろくに褒められなかった。
姉より勉強しても、姉には及ばない。
歳の離れた弟のために、兄らしい振る舞いを、悪く言えば損をしてきた。
私の勘繰りだけれど、姉と母親という最も身近にいた女性たちから、自分の欲しかったもの……根源的な愛情や努力への報酬としての賞賛、を得られず奪われていた環境が、狭川が女をこけにするような恋愛しか出来なくさせている、と感じた。
狭川は、無自覚に復讐をしている。
チヤホヤされる事を求めた姉への嫌悪感が、女をチヤホヤしない選択を導く。
振り向いてくれなかった母親を振り切るために、振り向いた女を振る。
そう解釈すると、地雷のクソ野郎は『甘え方の分からない可愛い奴』になる。やはりヤバい奴はいい、楽しい。面白い。
まあ、私にはダーツが縁で出会えた最高の恋人がいるから、そういう興味は露ほどもないけれど。
女はもっと多種多様だ、もっと自由に生きていけばいいよ、というごくありふれた気づきを、私で分かればいいな、と思って、マジでダーツ旅行に連れ出したりしてやった。
新卒で狭川を見つけた時は面白すぎて、手を叩いて笑ってしまった。
本当に、生きるって楽し過ぎるな。
ダーツバーでの恋人の紹介を終えても、狭川は何事もなかったみたいにきびきび働く。
ひとでなしだった男は、伴侶を見つけて随分人らしく、丸くなった。
弟の世話を焼いていたから、世話を焼くのは苦じゃないんだろう。それともああいうユルい感じの子がタイプだったのか? 女嫌いだと思ってはいたが、まさか男を選ぶとは。
式は挙げられないから、スピーチとかも出来ないな。はあ、残念。
女を泣かせに泣かせてきた男の怨念は、ついに成仏できるらしい。
ずいぶんと泣かせてきた分、不幸せになれ、なんて言わない。幸せにならなかったら、むしろ失礼だ。
破れ鍋に綴じ蓋、これ以上ないコンビになるがいい。
もちろん、私たちの次にね。
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