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酔いどれ天使
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「狭川、いい恋してんの?」
「……はあ? パイセンどうしました急に」
忘年会の後、伊吹初乃はサシ呑みで二次会を提案し、俺はそれを飲んで居酒屋で日本酒をひっかけている。
伊吹先輩は、同じ大学の二個上の先輩。
ひょんなことからダーツサークルに俺を引きずり込み、ダーツ合宿などと称してしばしば旅行を計画及び敢行するなど、当時から活動的な人だ。
この会社に入ったのはパイセンの「さっすが旅行カバンがメインの会社だ、旅行休暇が取りやすいんだよ、助かるわァ」という言葉がきっかけだ。
実際、まとまった休みは取りやすいように思う。これといって旅行に行く訳でもない、せいぜいふらっと温泉に浸かりに行くくらいなのだが、1日2日の休みだと休んだという気にならないから、ありがたい。
そんなぼんやりした志望理由で通ったのは謎だが、仕事内容には不満は無い。売る中身が変わろうと、営業マンというものは社交性と口先のうまさ、信頼を換金するもんだと思っている。
そんな訳で、未だにこの人といると大学気分が抜けきらない。
「昔からさあ、狭川はひとでなしだと思ってたんだよ」
焼き魚の骨を箸でつまみ上げながら、パイセンは言う。
「酒飲んでるとはいえ、強めの悪口すね?」
「だってアンタ、昔から女の子泣かしてもケロっとして悪びれもしないし、感情の機微が人間らしからぬドライさで、まあそれは会社員としてはおおいにストロングポイントだけどさ。……でも最近、なんか雰囲気が柔らかくなった。これまでなら気分悪い要求に険悪になる感じでも、うまいことあしらえてる。成長してる。これを私は、私生活に理由があると踏んだ訳よ」
箸で指差される。行儀悪いな。
「……はあ。まあ、そっすね多分」
「恋愛も結婚もいいものだよ。人間は仕事のみをするに非ず、ワークをライフにするのは破綻が来るものさ。いやー安心したよ、狭川にも人の心があるんだとね」
パイセンは去年、大学時代から付き合っていた人と結婚している。ダーツバーで働いていて、何回か顔を合わせたことがある。お似合いのテンションが高い二人だ。
そうやって関係があるからこそ、男女でサシ飲みというのが許されるのだろう、とも思う。
男女でも色々面倒事はあるのに、男同士の俺とはとちゃんにはいったいいくつあるのか、暗澹たる気持ちになる。
「……色々……悩んでるんすよ。俺のことを本当に好きでいてくれる、これ以上無いくらい優しい、大切にしたい人だけど……俺は、結構致命的に、酷いことをしまくって、嘘もついて、ごまかして……。本当は、俺はあの子にとっては毒なんじゃないか、って不安で」
「……何、いつものプライド高そうなタイプじゃないの? ははあん、つまり遊びじゃないんだ。酷い、っていかほどよ?」
「社会的に終わるクラスですよ」
ぐひゃひゃ、と笑ってパイセンは何杯目か分からぬビールを煽る。よくも倒れずにいられるな、と思う。旦那さんの方が酒強いとか、絶対に嘘だ。
「そんなことしても、好きでいてくれてんでしょ。なら嘘もごまかしもどうとでもなる。埋め合わせでも何でもしたらいい、喧嘩も恐れなくていい。お互いの感覚の違いを共有出来るチャンスさ。それで別れるなら、恋は盲目、アンタじゃなく理想のアンタに恋してただけよ」
「……別れたくない、から、俺はあの子の理想に近づきたいんすよ。優しい、誠実な男に。だからこそ……俺は勇気が無い。よくない自分を晒して嫌われるのも、騙し騙し続けるのも、なんか、しんどくて」
煮転がされた里芋を噛みながら、はとちゃんの屈託のない笑みを思い浮かべる。
はとちゃんは、すぐに人を信じてしまう。
自分に自信がないから、自分なんかに優しくしてくれる人はみーんないい人なんだ、って思ってる節がある。
それに乗じてそばにいるだけの俺は、本当に愛されていると言えるのだろうか?
いや、それを疑うより先に、俺は愛し方が分からないのだ。
抱きたい、の先なんて、今まで考えたこともなかったのだから。
「……ぞっこんだねぇ。どんだけいい子か気になる木だわ。見たことも〜無い子ですからぁ〜! ああ、話変わるけど、狭川はアンケートどうした?」
この酔っぱらい、落差が大き過ぎる。
深刻な気分になって損したわ。
「アンケート? あー、あれですよね、だいぶ前に配られた、転勤出来るかどうかの奴。北は北海道、南は福岡でしたっけ。特になんも考えずどこでもいいってマルして出しちゃいましたけど」
「彼女出来たんなら、遠距離になるだろ? いいのか〜?」
……そうか。そうだよな、それは嫌だ。書き直したい。はとちゃんと離れ離れになったら、誰かにちょっかい出されそうで気が気じゃない。
いや、逆に俺と二人暮らししたら万事解決なのでは? 一人暮らし出来ないなら、俺が見ていて、守ってあげたらどうなんだ。
あっいやでも病気が悪化したらどうしよう、そういう知識は無い。責任が取れない。
そもそもはとちゃんが、今、具体的にどんな暮らしぶりをしているのか、ぜんぜん知らない。
身体中を知っているはずなのに、そういう肝心な部分は分からないなんて。
いかに性欲丸出しでここまできたのか、申し訳ない気分だ。
「……いっそ、はとちゃんと一緒になれたらいいのに……支えになりたいのに、なんで俺は最低の出逢い方をして、最悪なことしたんだろ……クズ過ぎ……」
「一緒になりゃいいじゃん。そういう責任の取り方もあるよ」
「…………簡単に言いやがって、パイセンには分かんないんすよ。だってはとちゃんは、」
男で、障害者で、犯罪者。
どれかひとつでも躊躇したくなるスペックで、親しい人にさえこの話をするのははばかられる。反対されるのが目に見えてる。
はとちゃんをこれ以上厄介なまなざしで見ないであげてほしい気持ちと、俺の印象が変わってしまうならなるべく避けたいという、しょうもない気持ち。
守ると言いながら、盾になる勇気もない。
「……ああもう、俺は小さい男だな……」
飲んでて分かったことだけれど、俺は少し、臆病になっている。
クリスマスの予定をはとちゃんに尋ねると、
「クリスマスはいつもよりおいしくて、ごうかな食べものが出るの。ごちそうだよ。ぼく、作るのお手伝いするんだー。たのしみです」
と嬉しそうに電話で話し、俺と逢おうとかは微塵も考えていなさそうだった。
はとちゃんには、はとちゃんの生活がある。
それを崩してまで、俺に合わせようとするのは傲慢なんじゃないか、と思って、
「恋人同士だろ、俺と過ごしてよ」
の言葉を飲み込んだ。
淋しくてたまらない。
だけど、他の人では駄目だ。
俺は片っ端から、つながりのあるセフレを切った。薄ぼんやり自然消滅、みたいなものも徹底的に清算した。
この時季、そういう誘いも多かったけれど、すべて断った。
浮気なんてしたくないし、俺は変わらないといけないから。
そうしていつぶりなのか分からない孤独なクリスマス、俺は仕事を終え帰宅すると、はとちゃんから貰った鉢植えに、霧吹きで水を与える。
棘のある葉が、しっとりと濡れる。
はとちゃんの泣き顔が脳裏をよぎって、こんな時に思い出すのがよりによってそれは辛い、とため息をつく。
買っておいたチキンをレンジで温め、冷蔵庫からビールを取り出すと、バッグの中で携帯が鳴って、俺は嬉しくなってすぐさま応答する。
「はとちゃん、メリークリスマス。……?」
聞こえてくるのは、嗚咽だった。
「どした? はとちゃん?」
「っ、ぐす、しゅうとさぁん……ごめんねぇ、れんらく、今日はしないように、って思ったのにぃ……」
吐息が電話口にはあはあとかかり、ざらざらとした耳触りだ。滑舌も甘い。甘えるような声色に、背筋がゾクゾクする。
「……具合悪い? いや、もしかして……酔ってる、のか……?」
意識しないと忘れてしまうけれど、はとちゃんは俺と同い年で、酒を飲んでもまったく大丈夫なはずなのだが、なんだろうこの、インモラルな感覚は。
「しばさんがいけないの、おさけのんだらだめって病院でも、管理人さんも言ってるのに、こっそりのんで、ぼくまちがって、それのんじゃったんだよぉ。お薬のききめがかわっちゃうから、ぬけるまでお薬のめなくて、不安で、かなしくて、病院もお休みだから、う、うう、どうしよおぉ……」
「落ち着いて。落ち着くまでお話ししよ。はじめて逢った時みたいにさ」
「だって、しゅうとさん、きっとだれかといっしょに、ほんめいの人といるんでしょっ! クリスマスは好きな人といる日なんでしょ、うう、ぼくよりずうっとかしこくてきれいな女の人にきまってるんだあ……やだぁ……」
珍しく荒げた声だ。酔ってるせいか、いや、ずっとこんな風に存在しない相手に嫉妬していたのか。
「俺はひとりだよ。はとちゃん以外の人となんて、今日は一緒にいたくない。はとちゃん、信じられないかもしれないけど、でも本当、本気だよ。俺は、はとちゃんのことだけを愛してるんだ」
「しんじられないよぉ、うう、何ばんめでもいいの、ぼくなんかにはもうじゅうぶんなの、なのにっ、しゅうとさんにもっともっとあいたくて、ぎゅってしてほしくて……ごめんねぇ、ぼくはめいわくだよねぇ」
面倒くさいけどメチャクチャ可愛いな、とビールのプルタブを開けてグラスに注ぐ。白い泡がふわふわと浮かぶ。
「はとちゃんが一番に決まってるだろ。俺が花を贈った人なんて、たったひとりしかいないんだよ。……ね、迷惑じゃないから、大丈夫だから。俺がお薬の代わりになれるなら、俺の声を聞いてて。俺もお酒飲んじゃうから、酔っ払い同士今夜は駄弁ろうぜ。はとちゃんの声が聞きたいんだよ、俺は」
取り留めもない話をした。
はとちゃんの暮らす施設では、管理人たちが鶏を焼いたりケーキをデコレーションしたりして、わりとしっかりとパーティ風な食事を支度していた。はとちゃんはケーキにいちごを乗せたり食器を洗ったりして手伝ったのだという。
ケーキに使ったスポンジ生地は、はとちゃんが働いているパン屋からのものらしい。
他にも、そういう界隈のつてで豪勢に見えるように努力をしていたようだ。
それでも入居者全員は集まらなくて、教会に行ったり別の施設に行ったり、中には失踪状態で居場所が分からない奴すらいるというのは、恐ろしい環境だと思う。
その失踪中のはとちゃんの隣人だという男、『しろたえさん』のことをしきりに心配していた。
昔同じ病院で顔見知りで、病院を抜け出してホームレスになって、すぐふらふらといなくなるのだという。
同じホームレスの友達たちと一緒にいるのが気楽で、管理人その他のしがらみに馴染めない、らしい。衣食住満ち足りた生活より、素朴で自由な暮らしがいいのか。その感覚は、想像もつかない。
さむくしてないかな。
雪がふったら、かぜひかないかな。
いつもどってきてもいいように、ごはんをすこしのこしてあげるの。
……それを朝になったらすてちゃうのが、
さみしいな。
他人の心配が出来る、心根の優しいはとちゃんには、たぶんとっくに成人を迎えていてもサンタがプレゼント置いていくな、と酔った頭が謎の確信を持つ。
口の中も、アルコールですっかり麻痺している。スモークサーモンに雑にマヨネーズをぶっかけた食べ物を爪楊枝で口に放り込む。美味い気もする。
「……うん、すっかり落ち着いたみたいで、良かった。はとちゃん、はとちゃんはね、俺にとっては天使なんだよ。お願いだからどこかに飛んでいかないで、俺のそばに居てな」
「ええ、ちがうよぉ、しゅうとさんがてんしだよ。ぼくは毎日おいのりするの、かみさまのことばはむずかしくてわからないけど、おいのりするのはいい、ってきいたから。ぼくはとべないよ、手足がくだけるよ」
「そっちの飛ぶも止めてね、はとちゃん。ああ、やっぱり無理にでも誘えばよかった、好きだよ、ちっちゃな頭を撫でたいよ」
だいぶ酒が回って、何を言ってるのか自分でも分からなくなってきた。しないようにと思ってきたのに、長電話に付き合わせてしまった。
ああもう、ソファーの端っこに座ってるはとちゃんが思い出されて、寂しくて部屋がすかすかと広いみたいだ。
「会おう。予定決めよう。俺はね、年末と正月はしばらくは忙しいけど、その後ちょっとまとめて休めそうなんだ。はとちゃん行きたいところない?」
「どこでもいいよぉ、しゅうとさんがいるなら。んー、あ、あのねえ、あれが見たいの」
はとちゃんが説明したのは、いわゆる戦隊ヒーローのショーのようだった。
正月期間中の特別な公演があり、はとちゃんが好きな戦隊ヒーローの赤いのが今年の奴を助けに来るらしい。どれも同じように思うんだが、違うのだろうか。
過去に両親と一緒に見に行った、思い出の場所らしい。近くにはコンサート会場やら遊園地があり、楽しめそうな感じがする。
レシートの裏によれよれの字で予定を書いて、なんだか元気になってくる。
はとちゃんに生かされてる感、がすごい。
「ああ、はとちゃんにクリスマスプレゼントもお年玉もあげたい……」
「しゅうとさんは、プレゼントするの好きなの? サンタさんなの?」
「サンタになってはとちゃんの部屋に忍び込んでしまいたい……靴下という靴下ぜんぶにプレゼント入れちゃう……」
「あはは、ぼくそんなにいい子じゃないのに。……ん、うん、すみません、……しゅうとさんとおはなししてたら、楽になりました。マッサージは、大丈夫です。うん、あ、つぎはこの日にお出かけします。……はーい、おやすみなさい、おおつぼさん」
声が少し遠く、小さくなった。
おおつぼさん、というのは、たしか管理人の名前だ。管理人と会話していたようだ。
「もうおそいじかんだからおしまいにしましょうって、おこられちゃいました。……いっぱいおはなししてくれて、ありがとうございました」
「いいよ、こっちこそありがと。おやすみ、愛してるよ」
「……ぼくも、大好きです……。おやすみなさい……」
電話が切れて、途端に現実に引き戻されたように寂しい部屋が目に映って、予定を書いたレシートを指で撫でた。
……勇気が欲しい。
ちっぽけなプライドをどうにか退けたい。
嫌われたくない、見損なわれたくない。だけど過ちを無かった事にするのは、駄目だ。
他ならぬはとちゃん相手に、それは。
自分は天使なんかじゃなく、痴漢するような悪魔だ、悪魔だったんだ、どうか俺にチャンスを下さい、あなたのそばならもっと善い人間になれると思えたから、って、打ち明けたい。
ゆくゆくは管理人さんにも、俺たちの関係を認めてもらえるように。
……出来るだろうか。
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