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【番外編・儀一】頑丈いきもの係
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朝6時の目覚ましを止める。
なんとなく、いつも通り、身体がだるい。
昨夜は柴さんが外で飲んでしまい、彼が帰宅したのは0時過ぎだった。
抗酒剤の服用をして、お酒が美味しい感覚は阻害されているはずなのに、相変わらずだ。
酒のみならず、酒で繋がる人間関係に依存していると、なかなか断つのは難しい。
柴さんの場合、その関係は彼にとっては居心地がいいであろう、同性愛者のグループで、それが彼の支えなのは間違いない。
簡単にどうにかならないことだ。
それでも、今日のようにベッドで眠れればこちらはまだいい。
円満くんや白妙さんのように、突然帰ってこないパターンの時は、せいぜい椅子で仮眠にしかならないのだから。
台所に立ち、朝食の支度をはじめる。
昭知くんのところのパンがまだ潤沢にあるから、スクランブルエッグとベーコンを焼いて、トマトをスライスしようか。チーズの枚数は怪しいか、みんなに行き渡るか?
最悪、管理人の分から省けばいいや。
スープはコンソメ。洋風に。
今朝は皆いる。姉妹の早朝からの礼拝はこの曜日ではない。僕とパートの郷田さんを含めて8人分。郷田さんは7時到着がデフォだから、いつものように皆を起こすのを手伝って貰おう。
一階に降りると、白妙さんが珍しく早く起きてお茶を飲んでいた。この寒いのに氷を入れて、うんうんと言いながら共用部の椅子に腰かけている。
共用部の冷蔵庫は、最近は飲み物のクーラーボックスとしての使われ方しかされていない。
以前は共用部でも料理出来るようにしていたのだが……円満くんが包丁を悪用してしまってから、危険物を配置しないようにされてしまった。仕方ないとはいえ、一人暮らしをするための練習、前段階としてのこの住まい、という側面がないがしろだ。
「おはようございます白妙さん。よく眠れましたか」
「あ、大坪さんだ。おはよう、昨日はね、スッと眠れたよ。やっぱ冬はベッドが欲しくなるね。新聞紙や段ボールでもなかなか寒さはこたえるからね、」
途切れずに話し続けるのをいつものように笑顔でかわして切り上げ、まずは柴さんの部屋をノックする。
反応はない。さらに2回ノックして、鍵束から柴さんの部屋の鍵を出して中に入る。
腹を出して寝ている。
床で。
風邪を引くといけないのでとりあえずベッドに戻し布団をかけ、肩を叩くと、
「……飯要らないから寝かして……」
と、むにゃむにゃぶつぶつ言う。
「ご飯をパスすると、薬までパスするでしょ柴さんは。これ以上酒飲んだら、ヤバいって身体でも分かってんだからさ……長生きしようよ、柴さん」
「……寝かして……」
見た感じ、昼まで動けそうではない。仕方なしに部屋を出る。
昭知くんはノックで、はあい、と返事をした。
昨日はお友達と東京ドームシティでヒーローショーを観て、とても楽しかったと言っていた。よく眠れて、朝も調子がいいのだろう。
……お友達、というのが正しい形容なのかは、正直言って自信がない。
狭川柊人という男と昭知くんは、ごく親密な関係にある、とは徳永刑事が話していた。
昭知くんは、彼に出会って、変わった。
体調にもよるけれど、女装なしで外出出来るようになったり、2階の姉妹とわずかだが意思疎通を図れるようになったり、表情も明るく生き生きとして、薬も減った。
睡眠薬無しで眠れる日がぽつぽつ出来て、ここ数年で間違いなくいちばん体調がいい。
……ただ、やはり誰かに依存することになれば、その関係がこじれた時が怖くなるのも、また事実だ。
3階から朝食を下ろし、食卓に並べた。
こういう時は自分の図体のでかさに感謝する。持ち運びが楽だ。
昭知くんは白妙さんの分までフォークを並べてあげている。
フォークも例の一件以降、プラスチックの刺さりにくい物に変えている。
「……しばさんは?」
「昨日酔っ払って帰ってきて、具合が良くなくて朝食は要らないって」
「わ、また……? しばさん、かおいろ、よくないのに……」
「柴の分も、食っていーか?」
確認しながら既にパンとスクランブルエッグを自分の皿に乗せて、もはや口にしている。
「いいですよ白妙さん。でもいただきますしてから食べましょうね。いただきます」
壁にかけたホワイトボードに、今日の予定を聞いて書き込んでいく。
柴さんはとりあえず、ブランク。
昭知くんは今日はパン屋のシフト。
白妙さんは、画材屋に切らした紙を買いに行くという。
後で水張りの手伝いをしてあげよう。白妙さんの作品は障害者アートの展覧会で人気がある。
各々薬を飲んだのを確認し、今日の分のお小遣いを確認し、朝帯の労働は終了。
今日の彼らの予定や朝の様子を、メールで申し送りする。
2階から米田姉妹が揃って降りてくる。姉の愛純基さんが妹の都萌絵さんの寝癖を直してあげている。今日はたしか揃って介護の資格の説明を受けに行くはずだ。
2人とも読み書きは出来るから、真面目に勉強すれば資格取得は可能だろう。働きながらでも取れるから、うまく宗教活動との兼ね合いが取れるといいのだが。
できれば、妹さんを夜の仕事から引き剥がしきりたい。判断力が弱い彼女があれ以上続けたら、二束三文で肉体ばかり痛めてしまう。
2階に上がり、2階分のホワイトボードを確認すると、円満くんは寝る、と書いてある。
「まだあんまり具合良くなさそうですか」
「そうねえ。ずっとイラついてる感じ」
郷田さんも申し送りをして、コーヒーを飲んで休んでいる。
うちの会社の管理人は、朝の数時間と夕方の数時間、というやや変則的な就業時間で、今から昼間は長い休憩にあたる。
業務内容は朝夕食事の提供、薬品と金銭の自己管理能力に乏しい入居者への補助、その他生活に関わる相談援助、など。
僕は同じ建物の3階に住んでいるから、ほぼ住み込みに近い。おかげで月の半分以上宿直というトチ狂ったシフトなのだが、稼ぎには露骨に反映されるし、まあそれはいい。
課題の多い住人が集められるここ、『あまるていあ』の総管理人として、より生活の中で彼ら彼女らと接することが出来ているから。
体格がいいことで、学生時代アルバイトを紹介された。
精神科病院の、ざっくりと言って暴れる患者への対応が仕事だった。
あざが出来ることもあったが、見た目からして立ち向かえないと戦意を喪失させるのか、そこまで危ないとは感じなかった。
その後働きながら資格を取って正社員として勤務して、その中で「社会的入院」という現実に憤りを感じるようになった。
入院が必要な状態から回復しても、退院するための支援が足らない。家族から絶縁されて孤立していたり、長期にわたる入院で家を手放し、住み家が無い。
社会に受け皿がないせいで、回復、寛解を遂げても病院から出られない。不備な社会の側が、患者を患者にしていた。
退院先に有資格者を配置して生活を援助する仕組みが徐々に普及し始め、僕はそんな会社に転職を何度かして、今はここにいる。
なかなか担い手が少ない業種な上に『あまるていあ』は少し激しめの入居者が中心だから避けられて、人手が慢性的に足らない。同グループの別のマンション『ぬすばうむ』の管理人を度々助っ人にするが、やはり恐れられている。
向こうの入居者は大半が就業支援施設に通えていて、自立度高めだからな……。
こっちじゃ昭知くんがいるけど、彼は彼で知的な問題や恐怖症があるし……。
徳永刑事は僕を「けだものたちの飼育員」なんて酷い言い方をするけれど、人間の尊厳をなんだと思っているんだろう。
……とりあえず夕方の勤務のために昼寝をしよう、白妙さんはゆっくり買い物してくるだろうから。
「……おお、綺麗に出来てますね」
「だろ? やれば出来る男なんだよ、俺は」
「この調子で断酒出来ると、有り難いんですけどね」
白妙さんのキャンバスには、真新しい画用紙が水を浴びてピンとシワなく張られている。
酔いが醒めた柴さんが手伝ってあげたらしい。白妙さんは小さなアトリエのような部屋の、ど真ん中でうつ伏せになり、紙にイメージを広げて、自分の世界に没入している。
「……パスタとごはん、どっちがいいですか?」
「具は?」
「パスタならきのこのクリームソースと、ミートソースの二択を作ります。ごはんなら肉そぼろと、きのこ料理……茶碗蒸しかな。あと生野菜は何が残ってたかな……」
「俺はパスタの方がいいな。腹減ったからどっちでもいいけど」
そう言って僕を見る柴さんの目は、相変わらず独特の粘っこいような動きをしている。
とりあえず力こぶを作り、ポーズを取る。
「……柴さんが夜遅くまで飲まなかったら、もうちょっと駅前のジム行く時間増やせるんですけどねえ」
「もったいないくらいいい身体してんのに、物好きだよな、こんな仕事してよ」
「天職ですとも。じゃ、パスタですね」
ミートソースを炒めていると、郷田さんが青い顔をして部屋に入ってくる。
僕の部屋で料理を作らざるを得ないのはプライバシーとか色んな部分が無さ過ぎるし、僕に完オフ日を与える前提が皆無なのが本当に酷い。
火を弱める。
「……今日、円満くんお小遣い無い……ですよね……?」
「今月も無計画な金銭計画だったよね、月頭から大半使うやつ。郷田さんが朝二階だったし、渡してないなら、絶対無い」
こんな感じのちゃらんぽらんな金銭感覚の人が多いので、朝にその日の分だけ手渡し、あとはこっちで管理して財産を浪費しないように守っている。
「靴を……革靴です、たぶん一万くらいはするような靴を買ってきて、ともえちゃんに見せびらかしてて……。リサイクルショップで買ったなんて言ってますけど、アレは新品ですよ」
食べ物作ってるのに胃がキリキリしてくる。
「……また、お金スッてきたんですかね」
「あと、昭知くんがすごく……落ち着きなくて、柴さんが言うには、大事な物が見つからないって」
「うわ、彼の私物売って金作ったパターン? はあ……分かりました。昭知くんが関わると男しか応対出来ねえもんな……。う、若干焦げたかもですけど、料理、お願いします。話聞きに行って来ます」
二階に降りると、ちょうど共用部で円満くんと昭知くんが話をしているところだった。
「……知らないって言ってんじゃん」
「そ、そう……? くろい、ほそながい、はこなの。だいじなものが、入ってて……」
「さっきから、中身が何なのか話さないし、そんなの最初から無いんじゃね?」
ふてぶてしく椅子に座ってテーブルに頬杖ついて、円満くんは笑う。
「いや、花瓶のそばに置いてた奴だろ? 俺、見たことあるぜ」
「酔っ払いの目撃談とか意味がねえよ」
「……あ、あれは……しゅうとさんからもらった、だいじな、だいじなものなの。なくなったら、ぼく……ぼく……」
昭知くんの顔は青白い。明らかに不安が増している様子だ。それを案じて、柴さんが背中をさすっている。
「……郷田さんから聞いたよ。昭知くんの部屋から物が無くなってて、円満くんがお買い物してきてた、って」
「疑ってんのかよ、おまえも!」
「信頼したいからこそ、疑いは晴らしたいと思う。……昭知くん、箱っていうのはお友達からプレゼントしてもらった物だよね? 中は何かな?」
「あ……う……」
動揺したように丸い瞳をキョロキョロさまよわせて、言い淀む。
「……もしかして、お年玉貰っちゃった?」
ハッ、と瞳を開いて、すぐに潤み始める。あまり刺激したくないのだが、どうもこの状況だとそうもいかないのが、もどかしい。
「……ごめんなさい、言ったんだけどね、あのね、も、もらっちゃったの……そ、それで、おはなとしゃしんといっしょに、入れて……」
「花? 写真?」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
ぽろぽろ泣き始め、よしよしと柴さんが頭を撫でてあやす。
不機嫌になって、円満くんはばん、ばん、とテーブルを何度も強く叩いた。その音で、部屋にいた米田姉妹がおそるおそる扉からこちらを伺い見ている。
「……ずるい、なんでお前にばっかりみんな優しくすんの、こんな、気色悪い奴に! お前が悪いんだよ、お前服とか靴とか沢山貰って、遊びに行って、金持ちの友達いいなって思ってたら、あんな……吐きそうなプリクラ、お前なんなんだよ、キモいんだよ!」
ほぼ自白と見ていい。
写真、としか言っていないものがプリクラだと言えるのは、昭知くんと犯人だけだ。
お年玉を盗んだ証拠隠滅のため、箱ごと処分、もしくは売却したのだろうか?
テーブルを乱暴に打つ太った手のひらをつかみ、両手で握り、手を僕の腹に沿わせる。
刺されてもそばにいるなんて、仕事上の金銭目的だけで出来ると思うのかい?
「僕は君に、君の親以上の親愛を持って接していたつもりだったけど……まだ足りないかい? 物じゃなく、僕に当たりな。僕は頑丈が売りだからね」
「っ……ウザいんだよ、筋肉馬鹿!」
ぺちぺちと腹筋に拳が当たる。次第に力が弱まり、最後にはエプロンのすそをきゅっと掴んでうつむいた。
うん、感情を少しずつ抑えられるようになってきた。進歩を感じる。
一方の昭知くんは、ぺたんと床に座り込み、まだ泣いている。少し過呼吸気味だ。
「薬、部屋から取ってきてやろうか?」
柴さんの言葉に、首を曖昧に揺らす。瞳が虚ろで、何かよくない感じがする。
人形のような顔面が、不意になにかピエロみたいな不気味な笑みに変わる。
「……しゅうとさん、いっしょに、プリクラ、とって、ちゅーしてくれたの。あいしてるって……おはな、くれたの……こんなぼくに……」
「……はあ!? お前、お友達とそんな関係だったのか!? おいおいマジかよ、ついに」
柴さんが、昭知くんの肩を揺らす。えー、と姉妹の声が上がる。
「ほかのものは、ぜんぶ、あげてもいいの。でも、あれだけは、だめ。ぼくが、なくなっちゃう……こわれちゃうよお……」
うまく顔も舌も動かないまま必死に笑おうとするかのような、悲しい笑み。
円満くんは舌を打って昭知くんに近づいた。
足蹴にするつもり、じゃないか?
これまでの傾向からそう感じて、間に割りこもうと思ったら、円満くんは昭知くんの前にあぐらをかいて座った。
「……あの眼鏡が、お前の『しゅうとさん』なのか?」
「……うん……」
胸を抑えて、明らかに苦しそうだ。柴さんに目配せすると、ニヤッと笑って指で丸を作り一階へ降りて行った。
住人に他人の薬の用意などさせるべきではないのだが、僕が席を立てる状況でもない。心苦しいが、頼む。昭知くんの背中を撫で、目線は円満くんから外さずに警戒する。
「……あいつはさ、お前がどういう奴か、分かってんの?」
「……ぼくが、病気なのも、あたまがわるいのも……はんざいしゃなのも、わかってる。こんなにやさしいひとは、いないんだ。きっと……てんしなの」
無理やり笑った涙目の瞳から、雫がこぼれる。胸が締め付けられる。
円満くんは呆れたような、安心したような溜息を短く吐いた。
「全部分かってて、あんな……キザな花贈るのか。やべえな。マトモじゃねえよ、俺らが言えた事じゃねえけど」
「そう、ぜーんぶ、ゆめなんじゃないか、って、こわいよ。ぼくのあたまが、こわれてみえる、てんしのゆめ……。あのおはな、まいにちみるの。しゅうとさんは、ちゃんと、いるんだって、わからなくなるから。
……えまくん、おはな、どこ……?」
「……リサイクルショップで売った。500円だった」
そっぽを向いた、ぶっきらぼうな自供。
円満くんにしては珍しく、ちゃんと認めた。が、その言葉を聞いた昭知くんの表情は一瞬で硬直して、まばたきの間に口を手で抑えて、それでも鼻穴とわずかな口の隙間から胃液があふれた。
「昭知くん!」
軽い身体を持ち上げてトイレに駆け込み、吐かせる。鼻にまで上がってしまった分をトイレットペーパーで拭い、背中を撫でる。
食事の前だから胃の内容物は少ないけど、それでももっと早く薬を飲ませていたらここまで激化しなかったか、と判断を悔やむ。
ぐ、う、げほ、ほ、となす術なく口からあふれる物に耐える昭知くんは、必死に洋式トイレのふちに爪を立てる。
「おい、薬持ってきたけど……大丈夫かよ……?」
「……柴さんありがとう、そろそろごはんの時間だから、戻ってて。……食欲減るから」
心配そうな顔だが、大人のうなずきをして、僕の肩を「がんばれ」とエールを送るように叩き、トイレを出て行った。
……嘔吐があると、薬が満足に入らない。
外来で注射を受けられればいいが、昭知くんは過去に職場でいたずらされそうになって錯乱し、手がつけられずに緊急入院した経験もある。
大丈夫、と返答しなかった自分に、苛立つ。
「……おおつぼ、さん……」
疲弊した瞳が、僕を見た。
丸まった背中は、未だ不規則に痙攣している。口元を拭ってあげて、瞳を見つめ返す。
「……もっとせなか、なでて……。マッサージ、して……。こわい、こわいよぉ……」
甘えるような震える声に、耳がかゆくなる。
「分かった、マッサージだね。それで落ち着いたら薬飲んで、飲めないようだったら……病院行って処置して貰おう。部屋まで歩けそう?」
首を横に小刻みに振る。
胃を刺激しないようにそおっと抱きかかえて、昭知くんの部屋に連れて行った。
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