アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
15
-
3
仕事を終えた藤田幸樹は同僚からの酒の誘いを断って、ひとりで帰路を歩いていた。就職して一年が経ち、やっと業務に慣れてきたかなと思う。
しかしながら大学時代にどうして自分は、玩具会社の商品企画部に就職を決めたのか。ろくに記録をしないで稼動している、ハードディスクのようなこの頭の中にあるものでは、高校一年の頃に目指していた将来は確か、一般企業の営業だったはずだ。営業職に就いて、ばりばり契約を取り付けてくる父の姿に憧れを抱いていたのだから、記憶違いではないはず。にも拘わらず、進路を途中で変更した理由は何なのだろう。大学は経営学部に通っていたみたいなので、入学した頃はまだその夢を追いかけていたと推測できる。
何が自分を変えたのだろうか。
交差点の前で、幸樹は足を止めた。
自宅に帰れば、妻子が待っている。
青信号は点滅をし、黄色、赤へと変わる。周囲にいる人の気配が思考に消えた。
どうして圭吾はあんなに邪険だったのだろうか。
事故に遭ってから二日後に、幸樹は目を覚ました。病室には両親と美加がいて、意識の回復に涙を流しながら喜んでくれた。
そんな状況で幸樹は、一日口を利かなかった。何を話していいのかわからなかったからだ。両親も、美加も、記憶にあるより歳を重ねた外見をしていたし、自分もそうだった。トイレの鏡で初めてそれを確認し、細い悲鳴をあげた。これは自分なのか? と表情を変えてみたら、鏡に映る顔も同じ表情をした。
高校二年の初めの頃から、目覚めるまでの記憶が消えていた。医師から記憶喪失だと告げられても、納得するのには時間がかかった。きっとこれは夢だ。何か悪い夢を見ているのだ。そう唸りながら眠りに落ち、目覚めても―見慣れぬ自分のままだった。一週間ほど経過してからようやく現状を受け入れることができたものの、奇妙な違和感が拭えないままでいる。
信号が青に変わった。車は止まり、人が歩き始めるけれど、幸樹はそのまま動かなかった。
目覚めた時から言いようのない喪失感があった。大切な何かがどこかに消えてしまっていて、それは記憶ではないような感じがした。感情のような、宝物のような、いや、自分の人生そのもののような何かが、胸の中に開いた穴へひゅっ、と落ちてしまっていた。
その何かをふと探してしまう自分がいた。景色の中、人影の中、誰かの表情の中、そして自らの中に、それが隠れているのではないかと思った。
静かで穏やかな波に似た混乱は今も続いている。
圭吾のことは、退院する間際に両親から聞いた。こちらが落ち着くのを待っていたらしい。
高校一年の頃、圭吾とは友人であったが、その付き合いが現在も続いていたことに少々驚いた。彼と自分はタイプが違う。人とはあまり深く付き合わない自分が、たくさんの友人に囲まれていた圭吾と、そんなに親しくなっていたことに違和感があった。約五年という歳月。偶然隣にいて、同じ事故に遭った可能性は限りなく低い。退院直前に見舞いに来てくれた、大学時代の友人と名乗る男から、圭吾と自分が親友関係にあったと聞いて、タイプが違うからこそ親しくなれたのかもしれないと思った。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
15 / 46