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寝支度を整え寝室に行くと、そこには美加しかいなかった。
「美樹は?」
「ベビーベッド、リビングに移動してあったでしょ?」
「夜は寝室に戻すのではないのか」
「夜泣きが酷いから、あなたの眠りを妨げてしまうかもって思って。ほら、ベビーモニターもつけているし、これでわたしたち安心して眠れるから」
美加は鏡台の前に座り、緩いパーマがかかった、栗色の長い髪を櫛で梳いている。
眉を曇らせ、幸樹は妻の後ろに立った。
「……ベビーモニターはそういう風に使うのか? 授乳だってあるのだし、俺も心配だ。一緒に―」
「いいの!」美加は振り返った。「ねえ、そろそろ、いいでしょう?」
艶めかしい手つきで腹部を触られ、幸樹の背筋にざわりと鳥肌が走る。
「……やめてくれ」と言っても妻の手が下腹部に移動してくるので、すかさず撥ね除けた。
「よせ!!」怒鳴り声が寝室に広がる。
美加は唇を震わせ、瞳に涙を溜めた。
「あなた、酷い……っ。寂しいのに。わたし、ずっと美樹とふたりで……ノイローゼになりそうよ。ぎゃんぎゃん泣くばかりで、どうしていいのかわからない」顔を両手で覆ってゆく。「結婚だって、あの子ができたから仕方なくしたのよね? そうでしょう!!」
ため息を堪え、美加の肩に手を置いた。
「そんなことは……。おまえ、一度実家に帰ってみたらどうだ? そっちの両親だって、孫に会いたがっていただろう。おまえも少しは気が楽になるのでは?」
「あなたから離れろって言うの? 嫌よ。嫌。絶対に嫌!」
リビングの方から、娘の泣き声が届いた。
「美加……ああ、泣き声が聞こえる。美樹を連れてくるから、今日は三人で並んで寝よう。真ん中に美樹を寝かせればいい」優しい笑みを何とか作る。
美加は顔をあげると、苦り切った表情を浮かべた。
「美樹、美樹。ずっと美樹のことばかりで、わたしのことは全然気にしてくれないのね」
「おまえのことも心配している。だから、実家に―」
「嘘よ。やっぱり……ああ」チャンネルを切り替えたように、表情が一変した。うっとりと目元を緩ませ、微笑んでいる。「でも、いいの。わたしは幸せだわ。そうに決まっているもの。あなたとこうして結婚できて、子供もいて……」
「そうだな。俺も幸せだよ」
心の中で自らの発言を反芻させる。幸せに違いない。そのはずだ、と。仕事は順調。子供もいて、家族みんな健康だ。そう、幸せのはずなのに、どうしても―現実味がない。そんな自分の不安を、美加は敏感に察知しているのかもしれない。だからこうも情緒不安定になるのだ。
幸樹は美加の額に優しくキスをした。
「美樹は、俺とおまえの子供なんだ。俺たちの結晶だから、大切にしよう。な? 連れてくるよ」愛の、結晶とは言えなかった。
美加が頷いたので、幸樹は寝室を出る。リビングに行き、ベビーベッドから美樹を抱き上げた。
「ほら、泣くな。泣くな。俺が来たぞ? ほら……お父さんが来たからな」口が、重い。それがとても辛い。
元来、自分は人と深く繋がらないようにしていた。それは何か理由があって、というよりも生まれ持った性質がそうであるのだと感じる。好き嫌いの問題ではなく、ひとりの時間、ひとりの世界が大切だった。しかし、この子は自分の子供なのだ。ああ、自らのこんなに醜い一面を知るとは。
しっかりしろ。ここにある現実を正面から受け止めるべきだ。
幸樹は美樹の背中を優しく叩いてやる。
「安心しなさい。俺が守ってやる。俺が、守ってやるよ」
娘の体温が伝わってきて、胸を強く締めつけられた。
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