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右腕
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見慣れぬ室内、見慣れぬベッドの上で、俺は寝かされていた。部屋に明かりはなく、窓から射し込む月の光が室内を照らしている。
……ここは、どこだ。俺たちはどうなった?
身体を起こした瞬間、頭に鋭い痛みが走り、俺は呻き声を上げた。
頭を押さえると、幾重にも包帯が巻かれていることに気付く。……そうか、消毒液臭いかと思えばここは病院か。
「ラルスさん……!」
誰かが俺の名前を呼んで駆け寄ってきた。見れば俺らと共に猟へと行き、仕留めたシカを持って先に帰った男の一人である。
そいつはベッドの横まで走ってきて、俺の顔を見るなり安心しきった表情をうかべた。
「ああ、良かった……。いつ目が覚めるんだって、みんな心配していたんですよ、ラルスさん」
「お、俺は……どのくらい眠っていたんだ?」
「1日くらいですかね」
1日。
あれから1日寝てしまっていたのか。
俺はハッとした。
「レ、レイは!?」
あのとき転んで気を失ったレイを背負おうとして、それから……、
男は首を振った。
「3人がなかなか戻ってこないから俺たちは森へ探しに行ったのですが、倒れていたラルスさんとクシェルさんしか見つからなかったんです」
やはり、あれは夢ではなかったのだ。
頭の中にレイの顔が思い浮かぶ。
……この状況は、あまりにも絶望的だ。
「ラルスさん、目が覚めたばかりで申し訳ないんですけど……」
男は申し訳なさそうに眉を寄せながら、隣の病室を指差した。
「ラルスさんが起きたら来るよう、クシェルさんが言っています」
「クシェルが……?」
腰が重い。
だが、行かねばならなかった。
俺はベッドから出ると、隣の部屋へと足を運んだ。
「……入るぞ」
一応ノックをしてから扉を開けた。
俺が寝ていた病室と同じ構造の個室だ。
緊張からか、口の中がカラカラだ。乾いた唇をそっと舐めながら、窓側に置かれたベッドに歩み寄る。
「よお、ラルス。まだ目が覚めないと思っていた」
ベッドに座って窓の外を眺めていたクシェルが、ゆっくりとこちらを見た。その顔は整っているのに相変わらず感情はなく、無理に笑おうとして口端だけが不自然につり上がっている。
そんなクシェルと対面した瞬間、背筋がゾッとした。クシェルの顔を見て寒気に襲われたのではない。
俺はすぐに言葉が出てこず、口を小さくパクパクとさせた。
「ク、クシェル……お前、それ、」
「まあ、いいから座れよ」
クシェルはベッドの横に置かれた椅子を顎で指した。
あまりの衝撃に身体が硬直して動けない。
「ラルス」というクシェルの低い声で我に返り、ようやく椅子に腰掛けた。
「……お前は、あの時のことを覚えているか?」
クシェルが静かにあの日のことを切り出してきて、それに俺は小さく頷いた。
「俺が……レイを背負おうとして、しゃがんだ。そのとき森の奥から飛び出てきたんだ」
「ああ、そうだな。あれは、」
クシェルは目を細めた。
「確かに狼だった」
灰色の毛に、2メートルはあるんじゃないかというほどの大きな身体をした狼。それが突如俺たちの前に現れたのだ。
それが狼だと俺が認識したその瞬間、狼の大きな身体に吹き飛ばされて背中を思い切り木にぶつけた。そのとき気を失って……、現在に至る。
その後どうなったか。
今のクシェルの姿と、レイが発見されないと聞けば、大体は予想出来る。
「……あれは、なんだ?俺は長いこと猟師をやっているが、あんな化け物が森にいたなんて知らない」
「いや……、知っていたはずだ」
「なに?」
「昔から言い伝えがあっただろ。あの森に人喰い狼がいると」
言い伝えはやっぱり嘘ではなかったのだ。
クシェルは顎に手を当てて、小さく唸った。
「それならば、連れ去られたレイは喰われたことになるが?」
俺は唇を噛んだ。
そうではないと信じたいが……、否定出来ない。
「レイ……」
情けない。俺には、なにも出来なかった。
やっぱりレイが猟師になることをもっとちゃんと止めれば良かったのだ。クソ、クソ……!
俺はいつの間にかズボンをキツく握り締めていた。
「なあ、ラルス。お前はどうしてその言い伝えを信じていたんだ?」
「え……?」
この状況で、そんなことが重要なのか?
レイのことをちっとも心配しようとしないクシェルに苛立ち、俺は勢いよく立ち上がった。
「今はそんなことどうでもいいだろ!」
「いいや、どうでもよくない。答えろラルス。お前はなぜ、そんな言い伝えを信じていた?」
小さく唾を飲み込んだ俺を、クシェルの冷たい目が瞬きをせずに見ている。
「……これはあくまでも俺の仮説だが」
「お前……、以前にもあの狼を見たことがあるんじゃないか?」
俺は無意識のうちに呼吸を止めていた。
「そうだな……たとえば、5年前森に行ったとき、とか。ああ、もしかして、お前の右の頬にある傷。それはあの狼に付けられたものか?」
まるで全て見ていたような口ぶりに、俺はなにも言えなかった。
それを肯定と判断したクシェルは、なにも言わずに窓の外に視線をやる。蛇に睨まれたような視線から解放された俺は、そこでようやく息苦しさを感じて、震える息を小さく吐き出した。
「……隠すつもりは、なかったんだ。ただ、あの日のことは、もう、口に出したくなくて……」
こんなことただの言い訳ではある。だけどあの日の出来事は、今でも夢に見るくらいの悪夢だ。それはきっとクシェルも同じはずで、窓の外の月を見ながら黙って布団を握り締めている。
「俺は、お前のことを許したわけじゃないからな、ラルス」
「……分かってるよ」
一生許してもらえるなんて思っていない。
だから俺はずっとクシェルのそばにいるつもりだ。
「ッ、クソ……!!」
クシェルが左手を握り締め、思い切りベッドに叩きつけた。
レイが殺されたかもしれない。それを知りながらも無表情だったクシェルの表情が怒りに歪み、何度も何度も左腕を振り下ろす。
「や、やめろ、クシェル!」
俺はそれをやめさせようとクシェルの肩に手を伸ばしたが、その瞬間クシェルの鋭い眼光が俺を貫き、反射的に手を引っ込めた。
「絶対に、許さない」
俺を睨むクシェルの声は、身震いするくらい低く、その目は怒りに燃えていた。
クシェルが己の右肩を掴む。肩に爪が食い込むほど強く、強く、掴んだ。
その先にあるはずの右腕は……、ない。
「俺はお前のことも、俺の腕を引き千切ったあの狼のことも、絶対に許さない」
「……ああ」
クシェルをこんな風にしてしまったのは、他の誰のせいでもない。俺のせいだ。だから俺は目を逸らしてはいけない。
だけど、変わってしまったクシェルを今は直視出来なくて、俺は静かに目を閉じた。
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