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再会
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室内には静寂が満ちていた。
茶色で纏められ、落ち着いた雰囲気だが何処か生活感が無い室内。そこには、二人の男がいた。一人は俯きながらソファーに座っている。もう一人は、彼の向かい側の壁に持たれかかり、ソファーの上の男を監視している。
ソファーの上に座る男は、八年前と比べてだいぶん様変わりしていた。学園から支給されている妖怪使用人専用の紺色の制服を身に纏っている体は、筋肉がついていて姿勢も良いため、とても様になっている。
昔は酷い猫背な為に肩が前に出てしまい、長い手足を邪魔そうにしていた。歩くときは手足を内側に折り畳むようにして動き、とても姿勢が悪く、だらしがない印象だった。今はまるで定規が刺さっているかのように背を真っ直ぐ伸ばしており、その動作は何処かの華道の師範代のように品がある。公彦は手足が長く背が高い、いわゆるモデル体型な為、姿勢を良くするだけで印象がガラリと変わる。長い手足と品のある動作もあいまって、一挙一動が優雅とすら言える雰囲気である。
「やはり、アンタは伊達なんだな」
室内に満ちる静けさを吉正が壊した。吉正の言葉に、公彦は酷く懐かしげな表情を一瞬だけ浮かべると頷いた。
「はい。私は、かって伊達 公彦と呼ばれていた者でございます」
高めだが落ち着いた耳障りの良い声で公彦は喋った。耳障りな甲高い声でキャンキャンと吠える彼しか知らない吉正は、その口調や声音の差に違和感を感じた。
「かって?」
「今は蒼頭 公彦と呼ばれております。代々霧生橋家にお仕えする、蒼頭家の一員と迎え入れて頂いております」
その事は吉正も知っている。今の公彦は、蒼頭家の長男として霧生橋家に仕えている。伊達の名は捨て、蒼頭 公彦と名乗っている。
震えながら背筋を伸ばし、吉正を見つめる公彦。その三白眼であるはずの瞳は、黒く染まっていた。公彦の瞳が黒く染まっている瞳を確認し、吉正は公彦に気付かれないように身構える。
吸血鬼の瞳が黒く染まるのは、酷い空腹や狩りの時等だ。吸血鬼の血には妖力が込められている。生命の危機を感じたりして吸血鬼の本能が刺激された時、アドレナリンのように体の中の血が駆け巡る。その時、一時的に増えた血が水晶体を透かし、瞳が黒く染まるのだ。
「そうか、蒼頭。何か用があるそうだが、一体何の用なんだ?」
「それは・・・・・・」
先程、ベランダで八年ぶりの再会を果たした二人。その時、公彦が吉正に話したい事があると告げたのだ。吉正も彼に話す事があった為、受け入れて室内に案内した。
一瞬だけ瞳を反らした公彦は、悲痛な表情を浮かべながら唇を噛んだ。何かを躊躇っていた公彦は、意を決したように吉正を見つめた。
「おい?」
吉正が公彦の行動に軽く驚いた。
何の脈絡もなく立ち上がった公彦が、床に膝と手を突いて額を床に擦り付けたのだ。
「申し訳ございませんでした」
そう言って、公彦は謝った。
「あの日の私は、川蝉様や村に大きな傷を負わせてしまいました。友人を見殺しにしながら罪を償うこともせず、安穏と過ごし、川蝉様がお怒りになられるのも当然の事です。誠に申し訳ございません」
床に頭を擦り付けながら、彼は謝罪する。彼の償いの言葉は本心からの物であり、頭を下げている為、表情は分からないが、泣き声になっている。
「本来ならば、薄汚いこの命をもって償うべきなのでしょう。しかし、私事ながら、私は霧生橋家にお仕えする身な為、それだけは御容赦下さい。その替わり、どんな苦痛も甘んじて受け入れます。どんな事も、どんなご御奉仕もさせて頂きます。金がいるならば稼いで来ます、春をひさげと言われたらやります。どのような要望にも、この身一つで応えられるように躾られてきました。ですから、どうか主に対する折檻はお止め下さい。罰を受けるならば私です。私にどうか、お願いします」
犯した罪を謝罪する公彦の体は震えていた。彼は臆病である。痛いのも辛いのも嫌いだ。戦いよりも家事が好きだし、戦闘になると逃げたくなる情けない彼だったが、こうしなければならないと思っていた。自分を尊敬してくれる主の為、主の信頼に応える為。そしてなによりも、償えなかった罪を償う為、自分を差し出すしかないと思っていた。
そんな彼を見て、吉正は無言だった。
「っ……」
その吉正が動く気配を感じて、思わず身構えてしまう公彦。小さな頃の吉正は、一切容赦もせずに敵に制裁をくだす性格だった。公彦は吉正の親友の幼馴染みであった為、暴力は振るわれなかったが、口撃によって何度も手酷く返り討ちにあっていた。
そんな吉正が、どのような非人道的な罰を考え付くか思い付かない。怯える公彦であったが、その先の展開は予想外の物だった。
何かが肩に当たった。怖くて目を閉じていた公彦が瞳を開くと、しゃがんだ吉正が公彦の両肩を軽く掴んでいた。吉正の両手に力がこもり、土下座を行っている公彦の上半身を起き上がらせた。
吉正の顔が目にはいる。吉正の浮かべる表情は、公彦が予想していたような、冷徹な侮蔑の表情ではなかった。哀れむような労るような表情を浮かべていた。
「頭を上げろ」
「え?」
掛けられた言葉も、彼が予想していた物ではない優しい声。
「怒ってないから安心しろ。お前の主にも、お前にも何もしないから」
公彦の頭を上げさせた吉正は、公彦の肩から手を離すと一歩下がった。そして、公彦が思いもしなかった事を行った。
「?」
「公彦、すまなかった」
吉正が床に両手両膝を突き、頭を下げたのだ。吉正の思わぬ行動に驚き、硬直して絶句する公彦。
「俺はあの時、何もできなかった自分が悔しくて、何も罪のないお前に八つ当たりした。沢山の酷い言葉を吐き、お前を傷付けた。すまなかった」
「それは違います。私は始祖級の吸血鬼。あの程度の吸血鬼でしたら、私は簡単に倒せられました。そもそも、私が奴を村に入れなければ良かったのです……そうすれば皆は……。あの事件は、私が引き起こしたものなのです。私のせいで皆が死んだのです。私が居なければ、良かったのです」
そう苦し気に呟いた公彦は俯き、手のひらで自らの顔を覆う。頭を上げた吉正は、痛ましげな顔で公彦を見つめる。
「それは違う。あの時、お前は子供だった。知識も何もない十五のガキが、大量殺人鬼に冷静に対処できる訳がないだろう」
「私は吸血鬼です。人間とは違う」
「それも違う。あの時のお前は人間だった。人間の両親から産まれて、人間の中で育ち、人間と同じ価値観を持ち、人間と同じ言葉を喋り、自分を人間だと思っている存在を、人は人間と呼ぶ。強い腕力を持とうと、不可思議な力を持とうと、人間と呼ぶ」
「貴方は……私が……人間だったと……言うのですか?」
その吉正の言葉に、公彦の涙腺が決壊する。人から産まれ、人の中で苦しみながら生きていた吸血鬼にとって、その言葉は大きくて重い。
公彦は混乱した。
分からない。一番自分を恨み、一番自分を憎んでいる筈の吉正が何故、このような事を言うのか分からない。混乱と戸惑い。当時の恐怖や喪失感。様々な感情が、公彦の心の中をグチャグチャに掻き回す。
その心が涙となって、公彦の瞳からポロポロと滴り落ちる。それを見た吉正は、懐からハンカチを取り出して公彦に差し出した。
「すまない。本当にすまなかった。お前を追い詰めて苦しめて、すまなかった」
この仕事をして、当時の公彦の気持ちが理解出来た。追い詰められていた公彦に暴言を吐いた事を後悔していたと、吉正は自分の気持ちを話した。
「お前が自分を許せない気持ちも分かる。だが、これだけは聞け。俺はお前を憎んでいない。これは偽りのない、俺の本心からの言葉だ。だから、お前も自分を憎むな……頼む」
その言葉を聞いた公彦は、あの日から絡み付いていた【言葉】がほどける感覚を感じた。あの事件に関して、自分が全く責任がないとは言えない。それは吉正の言葉を聞いた今も、揺るぎない公彦の考えだ。ただ、憎まれていると思っていた人物に許されたという事実は、彼の心の中の何かを癒した。
「あ、あ、あり、ありがとうございます。ありがとうございます」
臆面もなく泣き崩れる公彦は、吉正の手を握り頭を下げる。その口から出るのは、謝罪の言葉ではなく、感謝の言葉だった。
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