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「 桜木、昨日のメール見てくれた?」
朝教室に入って自分の席に着こうとしたら、白石くんがいきなりそう声をかけてきて驚いた。
「 メール?」
「 そ、昨日の夜の9時くらいにメールしたんだけど、もしかして既に寝てた?……健康的だなお前」
そう言われて昨日のことを思い出す。
確か昨夜は、あの後いつものように遅めの夕食を済ませて少し課題をしたり適当に時間を過ごしていたはず。
特に忙しくもなかったのに連絡が来てることに気づかなかった。
「 ごめん…気づかなかった。朝携帯使う余裕もないし」
「 そっか。しゃーないな 」
白石くんは俺を責める言葉を掛けたり嫌な顔をしたりせず、随分さっぱりとした態度で軽く頷いた。
なんてメッセージが来てたんだろう……と気になって携帯のホームボタンを押す。
一件未読のメッセージの存在をお知らせする通知があって、メールを開くと確かに白石くんからのメールが届いていた。
『 今日はお疲れ。明日放課後残れそうだったらジャージか体操服でもなんでもいいから、動きやすい服持って来て欲しい。』
届いていたのはそんな内容のメッセージだった。
そういえば昨日放課後残るとか残らないとかそんな話してたな……。
白石くんも急ぎの用ではないと言っていたし、
あんまり重大なことではないと思ってすっかり忘れていた。
「 メール見てないんじゃ、多分持ってきてないよな?今日体育無いし……一応俺の体操服ならあるけど、今日大丈夫そう?」
特に用事はないし体調も少し回復したため、断る理由はなかった。
持ってきてない俺のことを考えてわざわざ自分の体操服まで持ってきてくれるなんて。
そこまでして貰ったんだから行かないわけにいかない。
「 うん、大丈夫。じゃあ体操服借りるね、ありがとう」
「 よっしゃ、じゃあまた放課後な」
心成しか白石くんのテンションが上がった気がする。
声がワントーン高くなって語尾に力が入る感じ。
なんでそんなに嬉しがっているんだろう。
他の人よりも、声色や表情で他人の感情を察するのに
長けている自覚はあったが、
白石くんがなぜ今嬉しそうなのかは分からない。
「 あ、桜木 」
何かを思い出したように声をかけられ、
反射的に首を後ろに向けて「ん?」と聞き返すと白石くんが少しだけ照れたように笑いながら
「 今日も昼飯一緒に食おう」
と言った。
彼のはにかむような笑顔を見た時、なんだかこちらまで落ち着かないソワソワとした気持ちになる。
同時に暖かいお湯がじわっと広がっていく感覚がして、あったかくなる。
たかが昼ごはんを一緒に食べるだけの約束。
1日のうちのたった数十分の昼休みを一緒に過ごすだけなのに、なんだかそれがとても幸せなことのように感じて切なくなる。
だけど俺と一緒に過ごして価値のある時間を提供できる自信も無い。全然喋る方でもないし聞き上手なわけでもないし、会話の種になるような趣味もない。気の利いたことも言えないし、自分なんかと過ごして果たして彼にメリットなんかあるんだろうか。
がっかりされるのやだな。
変に何かを期待されたり求められたりしているなら、
きっと俺はそれに応えられない。
嬉しかったけど急に不安になって自分の顔が曇るのを自分でも感じた。
「 …いいの?」
恐る恐るそう尋ねると、白石くんは不思議そうに首を傾げながら「じゃないと言わない」、とはっきり言った。
「 なにを難しく考えてるのか知らねーけど、俺がそうしたくて言ったんだからお前は何も思わなくていいよ。嫌なら断ればいいし、嫌じゃないなら一緒に居ればいい」
そうキッパリと言われても俺は白石くんみたいに割り切れてないし、白か黒かはっきり決めつけることもできないのだ。自分の言動が他人にどう感じられるのか、常に神経を研ぎ澄ませて、アンテナを張り巡らせてるものだから、ついつい自分の発言は恐る恐るになってしまうし決断に自信も持てない。
ただ白石くんの真っ直ぐな目に見つめられると、
確かに難しく考えすぎだな、と肩の力が抜ける気がした。
自分の張り詰めていた心臓がゆっくりと解されたような気分になって、気が楽になる。
「 うん、ありがとう 」
白石くんは「礼言われるようなことしてないけどな」と肩をすくめて苦笑した。
「それより桜木、手大丈夫なの」
白石くんが俺の手を覗き込むように頭を傾けて、視線を右手に向けたまま尋ねてきた。
「 あー、うん。ガチガチに包帯巻かれてるからあんまりよく分かんないけど、昨日よりは痛くない」
「 なに、これお前がやったん?」
「 いや、弟 」
白石くんが「ふーん」と言って俺の手首をそっと持ち上げる。そして手のひらや手の甲をまじまじと見て「なんか意外」と呟いた。
「 意外って?」
「 こういうことしてくれるタイプなんだな、って思って。お前ら仲良いのか良くないのかわかんねー。」
別に仲が悪いわけじゃない。
俺が常にご機嫌取ってるから、千里は俺のことが好きだろうし、俺が望んでるものが少ないからか、争いも起きない。
お互いの間にあるのは歪んだ執着心と劣等感。
仲が良いとか良くないとかそんなアバウトな表現では言い表せないのだ。
自分の中では確かにはっきりと「ある」ものなのに、
いざその感情や関係を言語化しようとすると途端に言葉を失う。本人が分からない事を説明しようとしたって伝わるはずもないし、伝えたいとも思えない。
まぁ白石くんなら「言っても分からないなら、尚更言わなきゃ分からない」なんてバカ真面目な事を言いそうだけど。
「 ……千里は俺のこと大好きだからさ。」
半分冗談のつもりで。そしてもう半分は本心でそう言った。
ここで笑うのは変だろうか。
けれど自然に口角が上がるのが自分でも分かった。
決して楽しいわけでもないし嬉しいわけでもない。
冗談めいて発したその言葉に、どれだけの重みがあるかは彼には到底理解できないだろうな。
可笑しくて、そして無性にバカバカしく思えて自虐的な笑みがこぼれる。
「 仲悪いわけじゃないと思うよ。一般的な兄弟がどの程度のものか知らないから基準が分かんないけど。」
多分千里に同じ質問しても今と全く同じ答え方をするんじゃないかな。
「 悪くはないよ」って。
きっと1番安全で1番当たり障りない模範解答。深くも浅くもない、丁度いい表現。
詮索されるのはごめんだ。
「 桜木は、なんかいいお兄ちゃんやってそうな気ぃする。勝手なイメージだけど 」
不意に真面目な顔して白石くんがそんなことを言ってきたから思わずぽかんとしてしまった。
なんで急にそんなことを思ったんだろう。
というかそもそもいいお兄ちゃんの定義とは。
「 ……一応聞くけどどの辺が?」
今の言葉が良い意味だと信じたい。
つい疑うように恐る恐る聞き返してみたら、俺の微妙な表情が可笑しかったのか、白石くんはフッと小さく笑って続けた。
「 自分の事より人優先するタイプじゃん、お前。だからなんだかんだで弟のこと1番考えてそう…。」
さっきも言ったけどあくまでイメージだからな、と付け加えて白石くんが笑う。
驚いた。
なんでいつもこの人はこんなに勘が鋭いというか、言ってることが的を射ているんだ。
そうだ、優先って言葉が1番しっくりくるのか。
「尊重」や「思いやり」って気持ち的なものじゃなくて、
ただ純粋な行為としての業務的な言い方だもんな。
「 そうだね、俺の中の優先順位の1番上にいるのは昔からずっと千里だから 」
「 その順位が今後変動することは?」
「 ないね 」
「 ……言い切ったな」
「 まぁ今まで十数年間それが当たり前だったんだから、今更別のビジョンが見えることは無いよね 」
自分に言い聞かせるように言った。
見えない、ビジョンが。
本当にそうだ。
常に自分の中では千里が1番でそれが覆ったことはない。
親でさえ、俺の中では千里の次くらいの存在だ。
それが愛情なのか、憎しみなのか、他に言い表せない執着のようなものか、またはその全部なのか。
ただ一つ俺の中ではっきりと浮かぶのは、
俺と千里はセットだということ。
簡単に言えば、お互いがお互いの比較対象なのだ。
俺はあいつの「良いお兄ちゃん」というポジションじゃないとやっていけないし、あいつはあいつで努力や才能を比べられる相手が居ないと、その結果を満足に評価されない。
親曰く、「出来損ないの俺」がいることで、千里の存在が引き立っているのだろうし、課せられる期待も倍になる。
存在意義や価値とかいうものが今は天秤で釣り合っているのかもしれない。
抱えているものの種類や大きさは違うかもしれないけれど、その本質は似たようなものだ。
今までそれで生きてきた。
俺の中から千里の価値が消えるってことは、千里の中でも俺が消えるってことだ。
俺が自分のためだけに生きることがあれば、一気に天秤は釣り合わなくなる。背負っているものの大きさの違いによって。
多分それはあいつが許さない。
「 一人っ子が良かったとか、思ったことねえの ?」
難しそうな顔で白石くんが聞いてくる。
そういえば今までそんなことを考えたことがあったろうか。一人っ子だったらとか、あいつがもしいなかったらとか。
「 そこに『いる』ことがもう当たり前だから、いないことの想像ができないな。完全にイフの話だし、分からないこと想像したって怖いもん。結果。今が1番良いんじゃないかな」
「 ふーん、ま、俺桜木みたいな兄貴なんて絶対嫌だけど」
「 ……はい?」
真顔でそんなこと言われたから思わず間抜けな声が出てしまった。
もし俺が白石くんの兄貴だったら??
「 え、いや待って。さっきまで良いお兄ちゃんとか言ってたじゃん、あれ褒め言葉じゃなかったの?」
「 いやそりゃもちろんお前の弟から見たらお前は良いお兄ちゃんだろうけどさ。俺はお前の弟とは違うから。」
「 あ、……なるほどね」
たしかに白石くんと千里は別の人間だし考えることは違って当たり前だし、考えてることも理解できなくて当然。
「 だって俺、別の誰かの優先順位の1番に常にいるのとかぜった無理だし、ぞわぞわする」
「 ぞわぞわって…」
「 いやまじで。いくら兄貴でもずっと俺のこと考えられてずっと優先されて、ずっと俺のために生きられるのとかほんと勘弁。疲れそう、こっちが。人1人の人生が自分の為にあるようなもんじゃん、そんなの気持ち的に無理。しんどい。」
「 俺のことめっちゃ批判するじゃん 」
「 あ、ごめん。別にお前の事を悪く言ってるわけじゃなくて、そういう生き方ってする方も大変だろうけど、される方も……つまりお前の弟もなかなか神経図太くないと成り立たないだろうなって思って」
「 ………… 」
たしかに千里の神経はワイヤーくらい太いと思うけど、そんなこと考えるようなやつか…?
俺は俺の気持ちしか分からないから千里が俺に対して考えることは、「もし俺が千里だったら」の憶測でしか分からない。だから必然的に俺の感性がその想像に反映されるわけで。100%理解できるわけないしほぼ意味もない。俺が千里の立場であっても結局そこにいるのは「俺」になるのだから。
「 誰かが、自分の為に生きてるのって……煩わしいことなの?」
俺の存在が千里にとって煩わしいものなんてこと、今まで考えたことなかった。
ポツリと呟くと、白石くんは困ったように頭をわしゃわしゃと掻いて「あー…」と声を出す。
「 少なくとも俺はな。煩わしいってより、自分の人生は自分の為に使えよ、って言いたくなる」
いかにも彼らしい真っ直ぐな言葉だなと思った。
………自分の人生は自分の為に、ねえ。
それで俺にメリットあれば良いんだけど、
あいにくこういう生き方でしか自分の存在価値を見出せないもんで。
生きるのが下手なんて今に始まったことじゃないし。
白石くんと話してると、気づきたくないような、気づかないフリをしてた自分の本心や黒い部分を曝け出してるような気がして気持ちが落ち着かなくなる。
自分さえ知らない心の中まで見透かされてるような気がして、怖いのだ。
俺は、真っ直ぐ見つめてくる彼の目を逸らせないままでいた。
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