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ひねくれ者の、好きだった人
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本当は不安だ。
信じて裏切られたらとか
簡単に誰かを信じるなんて俺にはできない。
でも、本当は信じたいって心のどこかで思ってる。
「…今日は、もう帰る」
「え?」
「色々考えたいし」
あの夜、金井に縋って抱き締められたとき
俺は一瞬すべてを忘れた。
先生のことも、抱えた思いも。
抱かれた腕の温もりにひどく安心したんだ。
きっと、それが答えた。
「あ、そうな、の?」
「ん」
直ぐに帰りの支度を整えて自分の荷物を手にする。
部室の扉を開けようとした時、後ろから声をかけられた。
「伊澄さん!」
声は出さず振り返り視線で応えると
少し不安そうに顔を曇らせている金井
「ほんとに、待ってていい?迷惑じゃない?」
そんなことを言うものだから今度は俺が笑う番だった。
「散々振り回してたくせに何急に不安がってんだよ」
「ちょ、笑わないでよ」
「ふ、悪い……ははっダメだ、ツボった」
変なところでツボに入り笑いが止まらなくなる。
金井の不安そうな顔が尻尾と耳を垂らしてシュンとする犬に見えてだめだ。
「はー、笑った」
「笑顔は可愛いけどちゃんと答えて」
「…あほか、さっきも言っただろ困るって」
「…」
「じゃ。俺の我儘に付き合わせて悪いな。」
金井の返事は聞かずに部室を出る。
思えば、こんな風に真剣に向き合おうと思ったのは初めてだった。
自分はちゃんと前に進んでると言い聞かせて
ずっと逃げていたから。
部室棟を出て傾き始めた夕日を見ながら
今の時間なら平気か、とポケットの中からスマホを取り出す。
敷地内にあるベンチには座らず
歩きながら連絡先と書かれたアイコンをタップする。
消そう、消さなきゃ
何度もそう思って結局消せなかった連絡先
連絡先に登録してある名前なんてほとんどない。
だからすぐにその名前を見つける。
一ページ目、サ行の一番上にある名前の電話番号を押した。
スマホを耳に当てると機械的なコール音が聞こえてくる。
出てほしい
出てほしくない
二つの気持ちが絡まって切ってしまいそうになるのを必死に我慢する。
「…。」
やっぱり出ないか
数コールもの後、耳からスマホを離して切ろうとした時
機械的な音は途切れ、その場に立ち止まってしまう。
『驚いた、お前から連絡してくるなんて』
耳に馴染んだその声を聴いたとき
じんっと胸の内側が熱を帯びるのを感じた。
機械越しでも変わらない何度も聞いた落ち着く俺の好きだった声
「……ハル」
俺の、一番だった人
この前はその声を聴いただけで何も考えられなくなったけれど
今は冷静でいられた。
『連絡先、消してなかったんだ』
「ん、何度も消そうかと思ったけど」
少しの沈黙のあと「そっか」と一言だけ零したハル
ハルと過ごした日々は本当に幸せだった。
幸せは一転して苦しくて辛い日々に変わってしまったけれど
それでもあの時の俺のすべてだった記憶
懐かしい、と思い出した過去に
少しは思い出に昇華できていたのかなんて考える。
「…。」
急に連絡をして会って話がしたいだんて
本当に今更なのかもしれないけれどきっとこれは必要なことだから。
ちゃんと俺が前に進むために
俺と向き合おうとしてくれているあいつと向き合うために
ハルと会うことは避けられない
『それで、どうしたの。』
「…どこか、空いてる日…ないか?」
相手は社会人で学生の俺と違って空いている日なんて無いかもしれない
そもそも、ハルは俺なんかと会いたくない…だろう
『……どうして?』
「会いたいから。俺が、ハルと会って話したいから。少しでいい、時間をとってもらえないか?」
『…。』
言葉は返ってこない。
やはり無理だろうか
諦めかけて、やっぱりいいと言おうとした時
機械越しの少し篭った優しい声で
『いいよ、日曜日なら時間とれる。』
自分から頼んでおきながら断られるだろうと思っていたため
驚いてすぐに声は出なかった。
ハッとし、頭を働かせる。
今日は水曜日だから、四日後か…
速やかに約束は決まり構えていた分拍子抜け、というよりは安堵で肩の力が抜ける。
「じゃあ、その日に」
『わかった。場所とかはまたメールとかでいい?そろそろ会議始まるから』
「ん」
約束も交わし、電話を切ろうとした時不意に名前を呼ばれ
懐かしい感覚が身体に響いて肩が跳ねた。
「な、に」
『伊澄からの連絡、嬉しかったよ』
それだけ、と一方的に切れた通話
俺の耳に届くのはツーツーっという通話終了を知らせる音
「…な、んだそれ」
ずるい。
本当にずるい。
忘れたいのに、忘れられなくなる。
ハルの天然ひとたらしも相変わらず、らしい
無意識に握った手のひらに力が入り爪がくい込む。
ぐっと奥歯を噛みしめた。
どうしてか視界が滲む。
きっとそれは夕日が眩しいから。
しゃがみ込んでしまいたくなるほど震える脚に力を入れ何とか歩き出す。
俺が前に進むために、信じたいと思ったあいつのために俺はまず過去と向き合わなくてはならない。
そうしなければ前に進めない。
ハルは俺が通っていた高校の数学教師だった。
『ハル…鈴川春樹』
『んー』
『ハルに似合うな』
そして、
『伊澄もな』
『?』
『伊澄って名前。お前に似合って綺麗だよ』
たくさんのはじめてをくれた人
たくさんのはじめてを捧げた人
ハルは、俺の恋人だった人だ。
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