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Gの杞憂
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Gの杞憂
四月二十七日。午後十時過ぎ。部屋の隅に置いてあるテレビからは、GW初日の道路状況について報告するアナウンサーの声が聞こえてくる。テレビの対面にあるソファーの傍ら、我妻京司は正座して、気だるげな眼差しをしていた。ブラウン管を見据える瞳は億劫極まりないが、洗濯物を畳む両手の動きは素早い。膝上に置かれたエモノは、数十秒と経過せずに片付けられていく。
テレビは、ニュースからCMへと切り替わる。行楽地の宣伝、GW期間限定の宣伝、映画の宣伝…。我妻はふっと瞳を眇める。
(お…っ。何だ、あの作品。最新作が出ていたのか。)
見ようかな、と緩慢に首を捻りかけ…やめる。
(今は、ゴールデンウィークだ。ただでさえ、外は人でごった返しているっていうのに、新作映画なんか見に行ったら、人酔いして疲れるに決まっている…‼)
我妻が思い直した、矢先だった。
尻ポケットに適当に差し込んでいた携帯が鳴りだす。我妻は息を一つついて、携帯を取り出す。発信者は、『落合』。我妻はこれでもかと眉を寄せて、電話に出る。
「もしもし??」
『あっ、我妻さん!?あ、あの…。その、あっ、明日俺に付き合ってもらえませんか!?』
はァ!?、と我妻は素っ頓狂な声をあげた。
「お前、会社にやり残した仕事でもあったのか!?」
今度は落合が、へ、と間抜けな声を返す。
『…しッ、仕事??何の話ですか??俺、明日先輩とデートしたくて連絡したんですけど…。』
でっ、と我妻は泡を吹く。
「…でーと、って。」
思えば、昨日の晩遅く、涙目のダメ部下をしごき倒して、我妻はこの休暇を手に入れた。仕事の話ではない。ホッとはした反面、大きな衝撃が我妻を襲う。
『先輩、まさか俺が休日にわざわざ仕事の話をしに電話かけたと思っているわけじゃないですよね!?』
「…。」
途中まで思い込んでいた我妻だった。
(…そういや、コイツ俺のこと好きだったっけ。)
現在は…お試し期間というか何というか。落合の猛アタックに渋々、部下以上恋人未満の付き合いをしている。
「で、でもデートって、付き合っている二人がするもんだろ!?」
反論しつつも、我妻は内心穏やかではない。何故ならば、だ。
(俺は、学生時代以来、デートなんかしてきたことないし…っ‼)
我妻は、学生時代に同性と恋をして別れてから、以降はずっと性的欲求を風俗で散らしていた。だから、デートなんて真似は学生時代の知識から一切アップデートされていない。
(つまり、俺はデート初心者で…。おっそろしく事情に疎い上に耐性もない‼)
耳まで真っ赤になる我妻だった。…テレビ電話でない点に、心底感謝していた。
更なる悩みとしては、相手の落合は年下で部下兼後輩だ。見栄を張るわけではないが、同じ男としてみっともない姿は極力見せたくない。
(あの落合に、“先輩、もしかして知らないんですか??”なんて言われたくなぁぁぁいッ‼)
我妻は、両手で頭を抱えた後でバサバサと髪を掻きむしる。…普段、仕事で上から目線(否、実際に我妻のが偉いわけだが)で接しているのも手伝って、部下の前で恥をかきたくない。
結論、デートこわい。
ただし、行きたくない、とは全く思っていない。
っていうか、むしろ行きたい。
(…だって、デートだぞ!?)
人気のないところで手を繋いだり、身を寄せ合って…。想像するだけでフローリング三周半くらい悶えそうだ。落合の体温は、知っている。自身が解け落ちそうになるほど、優しい微熱を我妻は知っている。
『…ですよ??って、アレ??先輩、俺の話、ちゃんと聞いてます!?』
「う、えぇ!?ごめんなさい…。」
反射で謝る年上の男だった。ややあって、電話口の落合が話し出す。
『どうしたんですか、ボーッとしちゃって…。だから、俺、水越からもらった映画のチケットを二枚持っているんですって。デートってのは口実で、一緒に見に行かないかと思って。』
ふん、と鼻を鳴らして、我妻は肩を落とす。
「悪いけど、俺は映画の好みにはけっこううるさいんでね。…題名は??」
落合がタイトルを答える。…先刻、我妻が見たいと思った映画だった。
(ドンピシャかよ…。)
その場で崩れ落ちる上司を、落合はきっと想像すらしていないだろう。
『…その、先輩??先輩が嫌ならいいんですよ??好みじゃないなら、俺は別の人を誘って…。』
(くそ。好みじゃないだと??嫌いじゃないお前と、見たいと思っていた映画と…慣れないに決まっているデートと…。)
「…ろ。」
『え??…すいません、先輩。もうちょっと声出してもらって…。』
「…仕方ねぇなぁ。」
体育座りで、両膝の上に顔を置き、我妻は唇を尖らせる。
「お前がそこまて言うなら、行ってやるよ。」
『…‼やったぁ‼ええっ!?いいんですか、自分今すっごく嬉しいです‼じゃあ、待ち合わせはどうします??』
相手の声が、弾んでいる。ただそれだけで、我妻は胸の奥が、きゅうっと切なくなる。
「…午後一時。前、二人で通ったことがある××広場の噴水前とか、どう??」
『了解です‼うわぁ、すげぇ緊張する。でも、それ以上に楽しみ‼』
「明日、待ち合わせに一秒でも遅れたらコロス。」
部下の悲鳴を聞きながら、一方的に通話を切ってしまう。これから先は、上司として理性的な自我を保っていけるか、自信がなかった。
「あっぶな…。」
我妻はスッと瞳を伏せる。
「…もう少しで、口に出るとこだった。」
一人っきりの室内で、我妻は回想する。
『…その、先輩??先輩が嫌ならいいんですよ??好みじゃないなら、俺は別の人を誘って…。』
“…行くに決まってんだろ。”
翌朝。デート初心者は最初っからハードルの高い準備が求められる。
(まず、だ。)
全開にしたクローゼットを前に、我妻は仁王立ちして腕を組む。
「…なに着ていきゃいいんだ??」
室内に、うすら寒い風が吹いた気がした。
我妻は、頭を大きく左右に振る。
(い、いやいやいや‼だ、だって風俗通いで済ませていた時は、格好なんてそりゃ常識の範囲内なら何でもって緩い感じだったし??今更恋愛って言われたって、何着ていけば相手が喜ぶのかすら見当もつかねぇよ‼いつもは会社で、会う時はスーツ姿だから‼)
奥歯をギリギリ噛みしめていたら、携帯から通知音がした。画面を確認すると、落合から連絡が入っている。
『我妻さんがどんな格好で来るのか、楽しみです‼』
携帯を持つ手に、知らず万力が込められる。
(俺にとっては苦痛だよ、落合ィィィッ‼)
すると突如、脳裏に落合の笑顔がふっと浮かぶ。
「…まぁ。」
(苦しんで選んできた服を着て、俺が相手の反応にオドオドしながら待ち合わせ場所にやって来ても、あいつはあんまり喜ばないかもな。)
我妻はクローゼットに目を戻す。
(俺が好きな服を着よう。着ていて、自然と笑顔になるやつ。…んで、あんまり場違いじゃないならいいんじゃないか。)
ハンガーに手を伸ばす。我妻の口元は、無意識に綻んでいた。
(服を着るのは俺だし、見るのはどうせあいつなんだ。)
ハンガーを手に、付近にあった姿見でコーディネートを確かめる。
(あいつは…思い上がりかもしれないが、とにかく俺が来れば嬉しいみたいだし。)
色々と思考しつつ、着々と準備を進めていく我妻だった。
『ずびばせん…。』
どっかの海溝にでも沈んだのか、と錯覚するほど暗い声を聞きながら、我妻は小さく息をつく。電話越しで見えないはずの相手に、片手をひらひらと振ってみせた。
「いいって…。外も、昼から急に雨が降り出したしな。っつか、お前も災難だな。連休二日目に風邪って…。」
喋りながら、閉じられたカーテンをひらりと捲って、我妻は外を確認する。ざあざあと切れ間なく降る雨は、まさに“バケツをひっくり返したような”という形容がぴったりだった。
『自分、死にたいです…。』
「おいおい、風邪くらいで死ぬな。」
ずびび、と聞くに堪えない音が電話向こうで鈍く響く。
『せっかく、先輩とデートだったのに…。』
「…お前な。」
我妻はきゅっと携帯を握りなおす。
外が土砂降りの雨でも、落合は気にしない。
好きな人とのデートなら、この男にとっては何だってかけがえのない幸福なのだ。
「…今から、お前ン家に行ってもいいか。今日は、お前の看病する。」
唇を尖らせ、我妻は拗ねた声色で問いかける。唐突な申し出に電話相手は慌てふためく。
『え゛っえ゛っ‼?困ります、俺ン家汚いし…。』
「関係ねぇっつの。ってか、わざわざ俺の一日を予約しといて、計画変更とかありえねぇから。」
『せッ、先輩!?嬉しさ半分、不安半分なんですけど…。あっ、あの、ちょっと待って下さい!?今から俺、身支度しますから。』
我妻はぐっと眉根を寄せ、携帯を口元に持っていって思いっきり怒鳴る。
『…これ以上俺を待たせるなんて、許さん‼病人なら病人らしく、ベッドで寝てろ、バァ~カッ‼』
ふんと鼻を鳴らして、一方的に通話を切る。
濡れないように上着を羽織りながら、我妻は小さく下唇を噛む。
(畜生…。)
『せっかく、先輩とデートだったのに…。』
(でかい図体しといて、かわいいこと抜かしてんなよ…。)
我妻は、無自覚に口元を緩めた。
(…映画デートは、おうちデートに変更だ。)
Gの杞憂 おしまい
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