アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
68.置いてきぼり2
-
「あんた、よく見付けたねえ」
煙草に火を着け、桜はため息を吐く。
今日は平日で客の入りは遅い。
まだお客さんはあまりいなかった。
「あの公園は近道だからな」
「なんか薄汚れた捨て猫みたいね」
カウンターの隅でぼんやり座っている蒼はあちこち擦り傷だらけ。
頭ももさもさだし。
ワイシャツは煤けて汚れていた。
「ちょっと。お風呂でも入ってきなさいよ。貸してあげるから」
痺れを切らして桜は声を上げる。
しかし、蒼は首を横に振るばっかりだ。
「営業妨害になるからさ。せめて風呂くらい……」
「すみません。じゃあおれ、出ますから」
「おいおい!そういう意味じゃなくて」
目の前に出されたチャーハンにも手をつけないし。
ただ座っている彼はなんだか哀れに見えた。
「困った子ねえ。なにがあったのよ。話してみたら?」
「話すことなんて。ただ。こうしていたいだけなんです」
「幽霊みたいだぞ?お前」
野木の言葉を視線で嗜める。
「野木はお客さんを見ていな」
桜は手で「しっし」と彼を追い払って蒼の隣に座る。
「なんとか言いなよ。黙っていたって分からないよ?」
「……」
蒼はじっと一点を見つめていたが、そっと桜を見る。
瞳は曇っていて、なんだか生気が感じられなかった。
「桜さん」
「なによ」
「音楽をやる人ってやっぱり世界に出てみんなに認めてもらうのが夢なんですよね」
「なによ。急に」
煙草の灰を落として、彼女は笑う。
「それはそうなんじゃないの。あたしだってそれが目標だったよ」
「だったよ?」
「そう。それは昔の話ね」
昔の……。
「そんな夢を追っかけてたら、こんなところにはいないでしょうねえ」
桜は、圭一郎やかおりと同じところを走っていた人だ。
本当だったら、今でも世界を飛び回って演奏活動を行っているはずだろう。
なのに。
ここにいる彼女は少しすれた路地裏のママ。
まったく正反対の世界。
「周りの人から見れば、あたしなんか不幸に見えるでしょうねえ。脚光を浴びたきらびやかな世界から転落の人生。週刊誌の見出しだとそんなところでしょうねえ」
「桜さん」
「でも、周りからはどう思われても構わないよ。これはあたしが選んだ道なんだからね」
「選んだんですか?」
「そうよ。あの光の中でさ。ふと気付いちゃったわけ」
「なにを……?」
桜は豪快に笑う。
「あたしにはああいうところが合わないってこと!」
どうして笑うの?
蒼は瞬きをして彼女を見つめる。
「蒼、あんたさ。地位とか名誉が好きなの?」
「そ、そんなものは好きじゃないです」
「じゃあ、あたしの気持ち分かるはずよ」
「え?」
「ちやほやされて、有名になって。本当にあたしの演奏で感激してくれているのかなって疑問だった。ただ、あたしの名前を知っているから素晴らしいものなんじゃないかって先入観だけで感激しているんじゃないかってさ」
彼女は目の前にあるビールを一気に飲み干した。
「ヤケになっちゃったわけさ。なにも信じるものがなくなって。疑心暗鬼になって。それでミハエルとも喧嘩して。あの頃はうまく行っていたんだよ?あたしたちも。いっつも一緒で、素敵なパートナーで。人生の伴侶になる人だって信じていた。でも、なにもかもがパーよ」
人は、立場が変ると中身も変ってしまうのだろうか?
心は。
心は変りやすい。
圭もそうなのだろうか?
やっぱり。
夢を追いかけていたときの圭は何事にも前向きで一生懸命で。
周りに対しても優しかった。
素直じゃないから気が付かないことが多いけど、彼は周囲の人のことを気遣ってくれる人間だ。
今もそうなのかも知れない。
だけど。
自分は信じられなかったのだ。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
508 / 869