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104.夏2
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『日本には帰れそうにないし。みんなのところには顔出せないから』
「そういうなよ。父さんたちも心配している」
『父さんたちに言ってないでしょうね?』
「それは、約束だから」
『陽介だから信頼してるんだからね』
そういうと電話は切れる。
陽介は診察室にいた。
受話器を置くと、看護師が顔を出した。
「先生、次の患者さんもお待ちなんですけど」
「あ、ごめん。どうぞ」
陽介の言葉が終わらない内に、おばあちゃんが入ってくる。
「まったく。先生はいつも待たせるんだから」
「すみません」
おれのせいじゃないっつーの。
陽介は内心、苦笑しながら申し訳なさそうな顔をする。
年寄は予約時間よりも早く来る傾向がある。
早く来て、待たせてって話もないだろうに。
おばあちゃんの背中に聴診器を当てながら、声をかける。
「どうですか?その後は?」
「先生にもらった薬を飲んでから、なかなかいいみたい。もう少し出してもらえるかい?」
「いいですよ。飲みにくくはないですか?」
「大丈夫よ」
おばあちゃんは、そういうと、自分の手提げかばんから、ビニールの包みを出した。
スーパーの買い物袋だ。
「はい?」
「これ。先生にって漬けてきたの。きゅうりとなすの糠漬けなんだけど」
陽介は笑う。
「トメさん。漬物上手だからね」
「あらやだ。そういうこと言ってくれるのは先生だけだよ」
トメは愛嬌のある笑顔を見せる。
若いころはさぞ美人だったろうに。
くしゃくしゃになったしわだらけの顔には、彼女の生きてきた時間が刻まれていた。
「じゃあ、みんなでお昼にいただきます」
「ありがとう。こうして食べてくれる人がいると、やりがいもあるのよね」
トメはそういうと、にこにこして診察室を出て行った。
側にいた看護師は陽介と視線を合わせ苦笑する。
「トメさん。先生にこれを渡すのが生きがいになっているね」
「みんなでお昼に食べようね」
「はい」
看護師が漬物を持っていくのを見て、トメのカルテに記載事項を入力する。
そして、ふと手を止めた。
蒼が突然、姿を消してから2か月がたったころ。
突然、彼からの電話が入った。
自分ではすっかり姿を消すつもりだったのだろうけど。
やっぱり、ここの場所への思い、日本への思いが残っていたのだろう。
彼は少し話をする相手として陽介を選んでいた。
あれから。
時々、陽介宛てに蒼から電話が入る。
陽介は彼がどこにいるのかなんてさっぱりわからない。
だから、こっちから電話をすることもできないが。
気が向くと、いや、定期的になのだろうか?
蒼からの電話が入る。
陽介は誰にも話をしていなかった。
父親や母親が心配していることは重々承知だ。
だが、自分が蒼と話をしていることを伝えたところで、なんの解決策にもならないことを知っているからだ。
それに。
自分だけが蒼と連絡をとれるという立場を優位に思えることは自然のことであった。
ただ、自分が説得できないのは残念に思う。
それに。
きっと、自分に電話を寄越すということは信頼している反面、心が向いていない証拠にも思えた。
本当に大切に思っている人たちには、なかなか電話できないから。
当たり障りない自分に寄越しているのだろう。
そう思われたからだ。
だけど、それでもいいと思う。
そんな電話をできない人たち以外の人間の中で、自分だけが電話をもらえる立場なのだから。
蒼の心の中に自分がいられることはとても嬉しいことでもあったのだ。
「先生。次の患者さん、いいですか?」
陽介は顔を上げて「どうぞ」と答えた。
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