アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
腐れ外道の少年
-
風の音。
「……」
時計の針の音。
「…………」
ペンでノートを削る音。
「………………」
誰かの声ひとつで消えてしまうような些細な音が、やけにはっきりと聞こえてくる。
が、これは決して日常の事象ではない。
確かに今は静かな授業中だからこういう音は聞こえやすいけれど、普段なら目の前の板書の理解に手一杯で、教師の声以外を気にしている暇などないのだ。
だけど、今日は。
授業の終わりを今か今かと待ち望む今日だけは。
数式や教師の声の方が頭に入ってこない。
早く出てこいと風が呼んでいる。
それを拒むかのように、まだ10分残っているぞと時計が小言を入れてくる。
そんな小言にはシャーペンをノートに走らせて、ええ最低限やることはやっていますよと頭の中の声で返す。
そしてまた風が僕を呼ぶ。
さっきより少し涼しくなった風だ、確実に夕方に近づいている。
ほら電車の音がした、これが聞こえたら残り9分。
9分といっても9分40秒だろう、ちゃんと先生の出した問題は解いたのか?
はいはい、ちゃんと解いていますって。
・
・
・
こんなやりとりを繰り返して、ようやく残り0分10秒。
して、六時間目の疲労困憊状態の脳内で、こんなくだらない一人芝居をさせるろくでなしの正体は……。
と、ここでチャイムが鳴る。
だがまだ帰ってはいけない、フライングはハイリスクローリターン。
「終わったやつから帰ってよし、号令はなしでいいぞ」
さぁ、退出許可はいただいた。
委員会なし、掃除当番なし、部活は帰宅部、モウマンタイ。
机の上の文具たちを高速でカバンにぶち込みドアを飛び出す。
カバンを机にぶつけてしまった同級生4人、ごめんなさい。
明日謝ります、覚えていればだけど。
決して自分には「陽キャ」の属性があるわけではないし、いつもならば頭のいい人がちらほら立ち上がり始めたところで便乗するように出ていくのが常で、こんなド派手な帰宅をしたことは一度もない。
おかげで周りの同級生たちからは妖怪でも見たかのような視線を受けてしまったが、そんなことを気にする余裕は微塵もない。
この11月4日だけは、16の誕生日を迎えた今日だけは……絶対に、1秒たりとも無駄にはできないのだから。
〜・〜・〜
「……い、いんだよね?
これ、手に取っちゃって」
ひそひそ声ですらカタコト口調しか出なくなった僕が立っているのは、同人ショップ「ししのほら」の年齢制限コーナー。
残念ながら、魅惑溢れる18禁コーナーではなく、微妙に物足りない15禁コーナーの方だが。
どちらにせよ、今までの自分では購入が許されていなかった商品の類が所狭しと並んでいる秘境であることに変わりはない。
恐る恐る同人マンガの一冊を手に取ってみて、そこに「R-15+」のマークがあるのを確認して、表紙に書かれた題名がやんわりと「行為」の展開を匂わせるものであることに気づく。
18禁ではない以上、明確な描写はないのだろうけれど、やはり手は震えてしまう。
「…………」
元々、官能的な内容のものはそこまで好きではない。
だが「今まで許されなかったものを手に取っている」という背徳感があるせいだろうか、なんとも言えないおかしな感情が湧き上がってくる。
「と、とにかく……買うやつを選ばないと。
金欠なんだから、手当たり次第には買えないし」
手に取っていた官能系の同人誌を慌てて棚に戻し、買いたい作品を探す。
基本は残酷要素の多い、猟奇系の作品を中心に。
同じ15禁でも、僕が好むのはそっちのタイプだ。
そんな時、
「あ……この本」
ある一冊の同人マンガが目に入る。
題名は、「××世紀少年とラジオ」……どうやら、終末世界に住む不死の子供2人組が、壊れたラジオが繰り返す核戦争報道の音声を聞きながら遊ぶ、というなかなかに狂ったストーリーとなっているようだ。
原作は、僕も知っている。
「Apocalyptic Boys(終末的少年)」……通称アポカリ……という、R-15G指定の入ったダークファンタジー小説だ。
ストーリーそのものは「戦争の果てに生命のほとんどが死滅した世界の中で、不老不死の少年ゾンビがガラクタと化した文明遺産で遊ぶ」というシンプルなものだが、幼いゾンビ達の無邪気で残酷な言動や生前の物語の容赦の無さが物好きさんの間で人気になっているらしい。
これまでならば僕の年齢では手に取ることのできなかった猟奇的な作品が、今はこうして僕の手の届くところに置かれている……これは、またとないチャンスといえよう。
「よし」
最後にそのアポカリの同人マンガを手にとり、レジへと歩みを進める。
「……そうか、店員さんにこれ見せなきゃいけないのか。
なんというか、いやに緊張するな…………」
そしてその足取りは、手に持った本たちの薄さに反してとても重いものとなっていた。
「やぁ、勇人くん。
今日は……お?」
ありがたいというか気恥ずかしいというか、今日のレジに立っていたのは顔馴染みのお姉さん店員だった。
「……一応、誕生日は迎えています」
「なるほど、来るのが早いと思ったら今日が……そうか、おめでとうねぇ」
学生証を提示して年齢制限をクリアしていることを確認してもらうのも、なんというかすごく気まずい。
合法的に悪事に手を染めているような気分になる。
さながらこの店員さんは、脱法ハーブ売りのヤバい商人さんといったところか。
「しかし、そうか……勇人くんも16か。
何も知らずにボーイズラブのマンガを持って来て真顔でレジに置いた時のことが懐かしいよ」
前言撤回、ここまで開けっぴろげに黒歴史を喋るヤバい商人さんはいない。
「ち、ちょっと、その話はやめてください!
本当にあの時は、ただの少年マンガだと思って……」
「ははは!
分かってるわかってる、そりゃ当時は小学生だったもんな。
そして今やここのBLコーナーの常連さんになってくれたんだ、私としては勇人くんには感謝しかないよ」
ただまぁ、黒歴史といっても、今との違いは分かっていて買っているか否かだけでしかなかったりするのだが。
……そう、僕は今でもBLを買っている。
アポカリを含め、今日買ったのも全部その類だ。
男のクセにとかなんとか言われるかもしれないけれど、小学生時代のやらかしによって開いてしまった禁断の扉はもう閉じれないわけで。
今や脳内は完全に腐り切り、年齢制限がかかるレベルの外道作品を求めるようにすらなってしまった。
「はい、127円のお釣りだね」
「どうも」
ありがたいことに、この店員さんは作品の表紙がどんなものであっても表情やら声色やらを一切変えないで振る舞ってくれる。
18禁のどエロい作品も取り扱っていることを考えれば当然なのかもしれないけれど、僕なら絶対にたじろいだ声を漏らしてしまうと思う。
「ありがとーございました!」
無料でもらえるタイプのレジ袋に入った同人誌を受け取り、小さく手を振って店を後にする。
さぁ、早速帰ってこの作品たちを読まないと。
そして……「仕事」も。
あとは、親が帰ってくる前に家に着かないといけないけれど、今日はまだ時間に余裕があるし、そっちについては問題ないだろう。
〜・〜・〜
「……ただいま」
返事がないことにとりあえず安心し、靴を脱いでリビングへ向かう。
テーブルには、「明日の食費」とだけ母親の字で書かれたメモと1000円札が置かれていた。
朝にはこのお金はなかったから、昼に一度帰ってきていたらしい。
「……残業だとか友達との夕食会とか、そういう『言い訳』すら無くなったな」
母親は基本、帰ってくるのが遅い。
特に僕が高校生になってからは一日中顔を見なくなることも出てきて、今はそれがほぼ毎日になっている。
あの母親は、あまりその姿を見ていない僕でも分かるくらいには頭が足りていない。
もしかすると、帰るのが遅い本当の理由を息子の僕が知らないままでいると、本気で思っているのかもしれない。
「まぁ、どうせ何してるかは分かっているんだからいいけどさ」
お札を財布に滑り込ませ、メモは丸めてゴミ箱に投げ入れて、自分の私物を全て自室に運び込む。
そして自室のドアを閉めて、ようやく帰宅は完了だ。
家のドアを開けた時点で帰宅じゃないかと言われるかもしれないが、僕は自室以外を自分の家だと認めていないから。
「よし、と……」
早速袋からアポカリの同人マンガを取り出し、表紙を眺める。
大手のコミック単行本にはない大判の丁寧なイラストを堪能するのはもちろんだが、独特の印刷インクの匂いや紙質もなんとなく心地よいと思うのは僕だけだろうか。
表紙に描かれているのは、瓦礫の中でラジオを囲む、顔色の悪い2人の少年。
一人の表情はいかにも楽しげで、もう一人はそれを見て静かに笑っている。
楽しげな顔のゾンビの名前はゼット。
生前の記憶はほとんど無く、常識知らずの不用心。
そのクセ好奇心だけは旺盛だから、危険な所に突っ込んでよく身体がもげる。
静かな顔の方の名前はミュー。
逆に彼は滅ぶ直前の世界も自分が死なない身体になるまでの過程も全て知っており、冷静で臆病なところがある。
ゼットを止めようとしながらも結局振り回されることになる苦労人だ。
「…………」
表紙のグロ可愛い少年を存分に味わったところで、ページをめくる。
大きな一枚絵に描かれているのは、人工的な建物の中と思わしき壁の隅に、ぽつんと置かれた一台のラジオ。
混ざるノイズによって音が割れ、無機質な声が繰り返され、狂ったように鳴り響くサイレンが、何世紀も前の惨劇を途切れ途切れに告げている。
しかし何も知らないゼットは、それすらも「おもしれー音」としか思わずにドヤ顔でミューの元にそれを持って帰る。
ミューが指摘するまで、建物の中に落ちて足を潰していたことにすら気づかないままで。
小説の原作とマンガの二次創作。
媒体は違えど、この同人誌の作者さんたちは、マンガでしかできない方法で小説のデメリットを見事にカバーしてくれている。
うまく言い表せなくてもどかしかった箇所が完全解釈一致の形でイラスト化されているし、生々しい描写も、デフォルメ調の可愛いデザインだからこそより露骨に主張されてるのもよい。
絵の描けない僕にとっては、ただただ感嘆の声を上げることしかできない。
「ありがたい話だよ、本当にファンの方々には頭が上がらないや」
さて、なぜ16になったばかりの僕がこんなにも15禁小説の内容に詳しいかだが。
「……っと、もうこんな時間か。
そろそろ『仕事』にも取り掛からないと」
ずっとマナーモードだったスマホを取り出し、オリジナルBL作品投稿サイト「B-Lack(ブラック)」を開いてログインする。
「あ、コメント来てるな……リクエスト、ね。
うん、これならストーリーに支障がないような形で組み込めそう」
そして通知からコメントを確認しつつ、「小説作成・編集」ページに飛び……「Apocalyptic Boys」のタイトルを押す。
……そう、アポカリの作者は僕だ。
この作品の世界も、キャラクターも、僕が作ったからよく分かっている。
ネット上の僕は「zemute(ゼミュート)」という名前で、年齢を詐称してBL小説を書いている。
名前が「くま『ぜみゆうと』」だから「ゼミュート」。
アポカリの主人公であるゼットとミューも、ゼミュートから分解して作った名前。
ある意味で、僕の分身のようなものだ。
最初は一時の好奇心と自己満足のために書き始めた小説だったが、思いの外人気が出てきて、ファンアートも描かれるようになって、今ではB-Lackのランキングで常に上位に位置し続けている。
どちらかといえば、僕の作品そのものよりは二次創作界隈やら考察班やらが盛り上げてくれたのが人気の要因らしいけれども。
自作発言さえなければどんな形式の作品を作っても、商業利用もしていいとは公言していたものの、まさか同人誌まで出ていたとは思わなかった。
郊外の同人ショップの15禁コーナーにすら1冊あるのだから、実は僕の知らないところで何種類か出回っているのかもしれない。
「よし、今日中に『××世紀少年と命』」は書き終えれそうだな」
現在執筆しているのは、生命体の少ない世界の中で見つけた、放射能によって歪に変異している動物を飼おうとする話。
その結果、ミューがその動物に寄生されて卵を植え付けられ、その卵に頭を冒されてゼットに襲いかかることになるのでやはりほのぼの要素なんか微塵もないのだが、需要は案外あったりする。
僕と同じ趣味の人というのは決して少なくはないようだ。
ーなぁ、ミュー……お前にこう言うのは
嫌かもしれないけどよ。
本当にもう、動かないのか?
俺たちみたいにくっつけることも、
機械みたいに修理することも……
全くできないっていうのか?ー
ーゼット、これが命ってやつなんだよ。
死ぬんだよ、僕たちと違って。
だからどんな手を使ってでも
食べ物を見つけて、仲間を増やして
生き残ろうとするんだよ。
……本当に、醜いよねー
「うん、誤字はないね……投稿、と」
特に、ミューは……僕の分身なんだろうなと自分でも強く思うことがある。
いや、別に被害者願望があるわけではない。
「はーっ……マジであとちょっとってところだったのによぉ……。
それで負けとか、やってらんねぇ」
「……!」
がちゃり、ドアの外から音がして、不機嫌そうな男の声が聞こえた。
最悪だ、父親が帰ってきた。
よりにもよって、僕の誕生日に。
普通の家庭なら、子どもの誕生日に両親が帰ってくるのは当然なのかもしれないが、僕の場合は二人とも帰ってこない方がよほどいい。
「ふふ、今なら私でも勝てちゃうかしら」
「はっ、生意気なこと言いやがって。
今夜は寝かせてやんねぇからな」
なぜなら、親が帰ってくる時は……決まって知らない相手がいるから。
母親の場合は隠しているから直接相手の声が聞こえてきたことはないけれど、僕が聞いているのも知らずに電話で知らない男の名前を呼んでいたから、相手がいること自体は知っている。
そして父親の場合は……実の子がいてもそれを隠そうとすらしない。
堂々と不倫相手を呼び込んで泊まらせるのを何度もやっているから、母親とは別のベクトルで屑である。
そのクセ、その場に僕が入り込もうものならば容赦なく半殺しにされるから、家からはもう出られない。
夕飯は抜きになるが、その分小遣いが増えたと思うしかないだろう。
「…………」
ああ、本当に気持ち悪い。
これからするであろう「こと」を嫌でも想像してしまって、吐き気がした。
まぁ、想像しようがしまいが、結局声や音が聞こえてくるから一緒なのだが。
「そういえばさぁ、まだ離婚しないの?
奥さんも相手がいるんでしょ」
「何度も言ってるだろ、アレの親権をアイツに押しつけるまで待ってくれって。
どうせなら未練なく二人で結ばれてぇじゃん」
ついでに、実の子どもを「アレ」呼ばわりするところもハッキリと。
そんなに僕の存在が邪魔だというのであればホテルで会えばいいのに。
もし、そうしようにも金欠でできないくらい負けたというのであれば、真っ当な仕事に就けばいいというのに。
そういう不満は、結局口にはできなくて心の中で押し込めるだけだ。
高校生ともなれば、父親に歯向かうくらいできるだろうに……そう思われるかもしれない。
普通ならば、普通に育っていればそれも可能だっただろう。
地下格闘技を生業にするとかいう、不良の延長線上のような金の稼ぎ方をやってのける屑な暴力漢が父親でなければ。
そしてそんな男に惚れて抱かれたいとか考えるような頭の悪い女が母親でなければ。
物心ついた頃から「間違いで生まれたヤツ」と言われ続けて僕にかけるお金や食事の全てをケチるような両親でなければ。
そのせいか全く成長期が来なくって、平均を大幅に下回る体格になっていなければ。
そんな日常がおかしいともっと早くに気づくことができれば。
抵抗を試みた時に右目の虹彩と視力がバグるレベルの暴行を実父から受けることがなければ。
あと、その時の暴行を「僕が勝手に階段から落ちた」とされていたことに対して、僕が他の大人に違うのだと訴えることができるくらいの度胸があれば。
それに……いや、これ以上考えても無駄か。
望みたかった「普通」のファクターを想像すればするほど、あまりにもそうなれないファクターの方が多すぎて呆れてくる。
まぁすなわち、クソみたいなトラウマを抱えたヒョロくてチビな身体の高校一年生が、現役で非合法に近しいルールの格闘技をやっているクズに勝てるわけがない、ということである。
こんなに心の中ではひどく軽蔑することができていて、恐怖より呆れの方が勝っているはずなのに、体に染み付いた震えは取っ払えないのだからタチが悪い。
「うるっさいなぁ……」
ドアも閉めて、布団に潜って、それでも二人分の生き急いでいるような呼吸音と家具ががたがたと揺れる音から逃れることができない。
どうぞそのまま腹上死でもなんでもしていただきたいものだ。
「……あ、コメント増えてる。
読むの早すぎない?」
気休め程度ではあるが、「zemute」として振る舞うように意識を向けると、ほんの少し外の音がマシになる。
ー主さん、一体どうしたらそんなに酷い話が作れるんですか(褒め言葉)ー
ー人類が生きていた時代を知っているからこそ、その醜さも分かっている…苦しいよなミューくん、好きだよー
ーゼットにとっての初めての「命」がこれなのがもうね、うん…辛いー
二人の少年、ゼットとミュー。
ゼミュートから分解して作った名前を持つ僕の分身のような彼らは、僕の手によって多くの理不尽を受け、そしてそうであることを愛でられる。
本当に正真正銘、僕の分身なのだろう。
特にミューは、今の僕の捻くれた思想が色濃く反映されている分、より僕に近い存在と言えるかもしれない。
そんな僕と同等であるはずの二人を僕自身が傷つけるのは……きっと、自分の周りの現実から目を逸らしたいからだ。
自分より酷い目に遭っている姿を見ることで、自分はそれよりもいい立場にいると思い込むことができるからだ。
「被害者は僕ではない」という不思議な愉悦、それだけが今の僕にとっての唯一の快楽。
「……本当に、醜いよね」
人ならざる存在であるはずの彼らよりも、命の価値も倫理も消えた世界よりも、僕の方がよほど性根腐った外道であるに違いない。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
2 / 10