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【序】馬鹿って…
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「俺、気付いたんだけど…馬鹿な奴って、つまり要領悪い奴の事だよな」
真横で聞こえた大きなため息に英介(エイスケ)の片眉がピクリと上がった。
「それって…俺のこと?」
英介の右横、肩が触れるか触れないかの位置で頬杖を付く退屈そうな顔を睨み付ける。
しかし、ため息の主は全く動じる様子もない。
やはり退屈そうに視線だけを英介へと向けて、もう一つ大きなため息をついた。
「誰もお前の事だなんて言ってないだろ?」
切れ長の涼しげな目は、ただ見つめ返すだけでもそれなりの迫力がある。
幅の広い二重まぶたのせいで、いつでも眠そうに見える英介の垂れ目では、いくら睨みをきかせても敵わない。
「どう考えても、俺のことでしょ…」
諦めて視線を本来の敵へと戻した。
机の上に広げられたキャンパスノートには、罫線を無視して数字や記号が書き殴られていたが、唯一罫線に沿って書かれた2次方程式は長い間手付かずのままだった。
教え子のシャープペンシルが動きを止めた時点で助け船を出すのが普通だろう。
それが彼の役目、つまり家庭教師の役目なのだから。
だが、英介の隣に腰掛ける男はその役目を果たそうと言う気がないらしい。
適当に参考書を捲り、これとこれとこれをやれと言ったっきり、後はその手元をただ見つめるだけだった。
英介が教えてと言うまで口を出そうとしない。
聞いたところによると、問題集を押し付けたっきり、自分はさっさとベッドに寝そべって漫画を読むような奴いるらしいので、それよりはマシなのかも知れないが——
いや——そっちの方がマシか…いくらやる気を感じられない表情だとしても、ずっと監視をされている方が何倍もプレッシャーだ。
もしかすると、これが彼を寄越した家庭教師派遣会社の指導なのかも知れない。
『ただ無言で圧力をかけろ』
確かに、和やかな雰囲気でおしゃべりしながらの勉強よりもよっぽど頭に入るだろう。
もしそうならば、魅力的な女性を派遣して欲しいところだ。
年上のお姉さんにならば、「わからないから、教えて」。なんて、少し甘えた声でお願いするのも悪くない。
それが、選りに選って、見た目からしてキツそうなこの男を寄越すなんて…
文句を言いたくても、言えない事情が英介にはあった。
元より家庭教師など乗り気で無かったため、全て母任せにしていたのだ。
派遣会社への希望として、最初から女性が対象外だったのかはわからない。
母の事だから、そんなことも全く気にせず適当にお願いしますとでも言ったのだろう。
経歴などで値段が変わるのなら、気になるのはそのくらいだったのではないか。
そして、選ばれたのがこの男。
一重だがしなった弓の様に美しく孤を描く目と、きりりと上がる太すぎない眉が目元に涼しげな印象を与え、すっと通った鼻筋や薄い唇、全てがバランスよく並んだ顔は純和風で、細い顎もプラスされれば、歌舞伎の女形の様にも見えるが、襟から覗く首筋を見れば、線は細くてもそれなりに筋肉質であることが予想できる。
なるほど、母の好みそのものだ。
最終確認の時点で、写真付きの資料か顔合わせがあったのなら、喜んで承諾したに違いない。
いくら乗り気じゃ無かったとしても、決定前に自分の承諾をとって欲しいものだ。
と、英介は、再び横目で彼を伺う。
視線を寄せれば、直ぐに気付き見返してくるのは何故だろう。
目が合うと、英介はいつも不思議な気持ちになった。
もちろん、苦手意識にドキリとしてしまうのはあるが、それだけではない何かがある。
例えば採用の不可を決める場に自分が立ち会ったとしたら、彼を却下しただろうか。
キツそうだな…と思っても、結局は彼が自分の処へ来るのは運命だったのではないだろうか…
そう思いながら、ついつい彼を見つめていると「なんだよ…」と、珍しく彼が笑った。
その瞬間、英介の中で糸が繋がる。
「えっ…イっちゃん?」
「やっと気付いたのか?馬鹿—」
ふっと鼻で笑う顔を見て、英介は一気に脱力した。
緊張感が安堵に変わり、顔から自然と笑みが零れる。
「やっぱ、馬鹿って俺のことじゃん…」
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