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プロローグ
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立川駅から徒歩5分の場所にあるミドルクラスのシティホテル。あと5分もすれば、そこの10階のホールで婚活パーティーが始まる。通路に設置した長机とパイプ椅子だけの受付ブースで、俺、那須卓斗は、参加予定の最後の一人を待っていた。
「堤さん、遅いね」
隣で女性参加者の受付をしていた先輩の原さんが書類を片づけながら話しかけてくる。
「堤さんみたいなハイスぺが相談所に来るのも不思議だったし、どこか別の場所で縁があったのかもね」
原さんの声は心底残念そうだ。「結婚詐欺師を疑ってませんでしたっけ?」と喉まで出かかった言葉を、俺はぐっと飲みこんだ。
俺と原さんは吉祥寺にある結婚相談所ユノーブライドに勤める先輩後輩だ。二人とも婚活アドバイザーで、俺が26才で彼女は4つ上。俺と違って既婚者だ。
「それならそれでいいんですが……」
結婚詐欺師が会員に紛れているよりは他で縁があって退会される方がずっといい。だがその場合も、できれば一言「おめでとうございます」と伝えたかったなと思う。ネット上で退会できるのが気軽に利用しやすいといううちの売りでもあるが、その分、事情がわからないまま担当していたクライアントがいつのまにか退会していることも多い。
俺はファイルから『堤康介様』と書かれた写真付きのプロフィールを引っ張り出した。開始時間になっても来られないようなら一度電話をかけてみようと思って。近くにいれば途中から参加できるかもしれない。
堤さんは年齢は36才で身長185㎝のモデル体型。きっちりとオールバックに整えられた髪型とフレームのない眼鏡のせいでちょっとお堅いイメージはあるが、顔はすこぶるイケメンの部類に入る。シュッと尖った顎に薄めの唇。鼻筋の通った鼻梁。そして目力のある切れ長の目元。未だに学生と間違われる童顔の俺からすると、同じ男として憧れてやまない、精悍で端正な顔立ちだ。
しかも彼がすごいのはルックスだけじゃない。税理士で年収は1000万超え。
この見た目と年収でこの年まで結婚できないのは世間的には信じ難いことらしく、堤さんが初めて来店した日は女性社員は彼の話題でもちきりだった。おそらく女性社員全員が、担当でもない彼のプロフィールを頭に入れているのではないかと思う。
『性格が物凄く難ありとか』
『DV』
『結婚詐欺師』
などなど。彼が結婚していない理由を休憩中の話の肴にして好き勝手なことを言っていた。原さんなんか、『堤さんだったら、結婚詐欺師でも騙されてみたいわ~』と言っていたくらいだ。しかし俺からしたら、それは笑えない冗談だった。
「じゃ、私は先に入るね」
原さんが書類片手に腰を上げる。
「俺は堤様に電話して、繋がらないときはもう少しだけ待ってみます」
会社から支給されている仕事用のガラケーを手にし、堤さんの番号を押そうとしたとき。エレベーターが止まる音がした。続いてドアが開き男性が出て来るのが見える。
「間に合ったみたいね」
原さんはそれだけ言い残し会場へと入った。
堤さんは走ってきたのか、首筋やこめかみに滲む汗をハンカチで拭いていた。10月下旬の今は外を歩くくらいでは汗をかかない。
コートを片手にブランド物と思われる質の良いグレーの3ピーススーツを身につけている。
「堤様。お待ちしておりました」
「遅くなってすみません」
「ギリギリセーフですよ。このあと会場でプロフィールカードをご記入頂きます。その前にこちらにサインを頂きたいので、まずはおかけください」
長机を挟んで向かい側の椅子に堤さんが腰かけるのを待ち、受付用の紙とペンを差し出す。
名前を書く彼の、汗の拭き取られた首筋がなんとなしに目に入る。その瞬間、そこにある赤い斑点に目が釘付けになった。
(え?なんかキスマークっぽく見えるんだけど……)
この時期、蚊はいないし、ダニは……、家によってはいるかもだけど、ピンポイントでそんなところをダニに刺されるなんてことあるのだろうか。
いつもの彼のようにきっちりとネクタイを締めていたら、外からはわからなかった。汗を拭いたせいか襟元が少し崩れていた上に、堤さんが座って俺が立っているので、上から覗き見えてしまったのだ。
「これでいいですか?」
書き終えたようで堤さんが顔を上げ、俺は慌ててペンと紙を受け取った。
「ありがとうございます。では、会場にご案内いたしますね」
腰を上げた堤さんの襟元に視線をやり、俺はたった今、何かに気づいたかのような顔をした。
「堤様。ネクタイが緩んでいますね。お直ししましょうか?」
「すみません。急いで来たせいで汗をかいたので、エレベーターの中で少し緩めたんでした。お願いしてもいいですか?」
「では失礼します」
俺はにっこりと微笑み、両手を伸ばして彼の襟の形を整え、ネクタイの締め加減を調整した。
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