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jun.10.2017 大人の男
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<1>
「これでようやく肩の荷がおりた」
「いやいや、リタイアはまだ先ですよ?」
「まあそうだが。自分の作った会社がこの先心配ないと思えるのは、肩の荷がおりた以外にぴったりする言葉はないよ」
社会にでて初めてお世話になった会社の上司だった三木田さん。彼はなかなかできる人でアイディアは一風変わっていた。その個性を羨ましいと思う新人だった俺を残し、5年後三木田さんは会社を辞めた。中規模のプロダクションである会社をあっさり辞め、自分のやりたい仕事をするために小さな会社を作った。
三木田さんの個性に惹かれたクライアントと作り上げた仕事は自分の会社では扱えない物が多かった。限られた予算、規模が小さく扱いの数も少ない。そんな仕事でも手を抜かず、三木田さんは会社を運営し続けた。同じ業界だから顔を合わせることもあるし、お互いの仕事を目にすることも多い。
50代を迎え、ビジネスシーンのどこに自分をポジショニングしていくのか。若い頃に考えなかった事が新たな「悩み」として存在し始めた頃、三木田さんから予想外の提示をされた。
「うちの会社に移ってこないか。そして将来会社を継いでくれ」
その提案を聞いた時、驚くと同時に「面白そうだ」と感じた。直感にも似た感覚――これだ、これを掴み取れ。
内から湧き上がる何かが自分を突き動かした。熟考すべき問題であるはずなのに、問題とはまったく思えない。新しいステージで自分なりの仕事をするという環境は魅力的だった。
会社でポジションが上がっていくにつれ現場よりも管理や調整業務が多くなっている。
やはり現場で動き、自分のひらめきを形にしたい。クライアントの意向を受け取りながら予想外の提案をする醍醐味。それこそが楽しめる仕事だ。
「歳だと感じるようになったよ」
「三木田さん、あと10年は問題ないですよ」
三木田さんはスリムなグラスに注がれた生ビールを口にした。その表情は何かを悟ったような落ち着いたものだ。60代半ばまであと少しの時期、自分は何を考えるのだろう。その年齢で出現する「悩み」はどんな形をしているのか。
「面白いと思えるモノの……幅が狭くなった」
どういうことだろう。
「納得のいくカタルシスが待っているのなら、ヘビーな起承だとしても許容できた。でもな、60を超えるとそれがしんどい。たとえカエルが空から降ってくる、そんな結があったとしても面白いと感じられなくなるものだ」
『マグノリア』という映画。それを面白いからと薦めてくれたのは三木田さんだ。そのとんでもない結び方に驚いた。こんな思考の人間がクリエイティブの世界にいるという現実にワクワクしたものだ。
「スパイにバンパイア、それに新興セックス宗教の教祖様を加えてもよかったのにな。トム・クルーズに対してそう思えるのに、物語としては何が面白いと思えたのかわからなくなった、歳とはそういうものだよ」
トム・クルーズの役柄は彼の履歴で一番「在りえない」ものだったろう。それもまたよかったし、口説き落とした制作は頑張ったに違いない。しかしトム・クルーズはこの映画のプロモーションに参加することを一切拒否した。意外と小さい男だなと当時思ったものだ。
「石田はまだアレを見ても面白いと思えるだろう?」
「ええ、もう一度みようかなと考えていたところです」
「そうか、その感覚を忘れるなよ。今となってはベタベタのハッピーエンドのラブストーリーか、火薬が大量に使われているセガールの「沈黙」シリーズのほうが安心する。こんな様だ、会社の行く末を考える時期だってことだろう。
石田は俺より長持ちするよ。俺は面白い事ばかり考えようとしてきたからバランスが悪い。お前は管理も現場もこなせるし、まだ面白がる気持ちとキャパがある。
さて、そろそろ料理を注文しようか。さすがに腹が減ったよ」
そう言いながら微笑む三木田さんの表情は晴れ晴れしていた。こんな告白をして自分を保つことができる、そんな器を自分は持っているだろうか。あと10年した先、そんな男になっている自分を想像できない。
俺は俺、今は今。見えない未来を思い描いてありもしない悩みを抱える必要はない。自分に与えられたステージでどう生きていくか、それが肝心だ。
三木田さんに渡されたメニューを開く。
まずは腹ごしらえ。その後に考えるべきことを考えればいい。
<2>
「そんなにあの男がいいのか!」
「いいのかはよくわかりません。でも私はそっちを選びたい」
「恋愛はいつでもできるだろうが!」
「あの人との恋愛は今しかできない。そうですよね?違いますか」
「お前は……その能力を今後生かしていくのなら、今は恋愛ではなく仕事をとるべきだ。可能性が沢山あるからこそ、この時期は大事だ。西山にとっては頼りない上司かもしれないが、少なくともお前よりは長く生きている。それだけの経験はある。絶対に後悔する」
「今を諦めたら後悔すると思います」
西山との話し合いは平行線をたどり続けた。お互い譲らないということより俺の説得力がない。その情けないことに腹立たしい思いが湧き上がる。
大事に育てて、ゆくゆくは片腕として一緒に仕事をしたいと望んでいた。デザイナーの佐々木、西山の発想力、それをディレクターの自分が形にする。その構想は昔から自分が望むものだった。そしてようやく俺の理想プランが形になった頃、西山が一抜けを宣言した。
一抜けといっても自分のプランを提示したことがないから、本人には迷惑なだけだろう。恋愛にのめり込んでいる今は余計に。
「申し訳ありません。どんなに頭を下げても足りないでしょう。でも私は東京に行きます」
佐々木の引き留めも効果はなかった。結局西山は会社を辞めて東京に行った。
ポカリと穴があいた感覚は身に覚えがあるものだ。特に離婚を2年前にした経験値から、正体は喪失感であることを痛感した。
優秀な部下を失った。俺はその言葉にこだわり続けた。喪失感の正体を違うものにすり替え、仕事にのめり込み成果をあげる。その成果は欲しくて得たものではなかったが、自分のポジションはとんとん拍子に上がっていく。
西山だったら……そう考えることをやめたいのに止められない。時々佐々木が「西山さんなら、ここで何かやりますよね。あの人の発想は面白かった」なんてつまらない事を言うから、その都度自分の内面を誤魔化した。「そうだな」「あいつもバカをしたもんだ」そんな言葉で取り繕う。そのうち消えてなくなるだろうと日々を過ごした。
思春期の若造とは違う。自分の中にあるものに囚われて動けなくなる、そんな時期はとっくに終えた。見て見ない振りをしながらやりすごすことを覚え、己をコントロールすることで平静を保つ。仕事があり、面倒を見るべき自分と部下がいる。そこにだけ意識を集中させていれば惑うことはない。
一人でそう納得した。そしてそれはうまくいった……ように見えた。というよりそう信じた。
しかしあっけないもので、自分の鎧は隙間だらけだということを思い知ることになる――再会によって。
〈3〉
西山は晴れ晴れとした笑顔で、仕事よりも優先した恋愛が散々な結果に終わったことを報告した。そして『delicious』というサイトが成功して、色々と仕事の幅が広がっていることを嬉しそうに話続けた。
「当たり前だ、俺が見込んだ人材だぞ。そのお前が何かを形にせずにいられるか?」
そう言った俺を見た西山。目の奥が揺れたのを俺は見逃さなかった。どうした?と聞いてやればよかったが、変な意地があった。仕事より恋愛を選び、結果仕事に戻っている回り道を認めたくなかったからだ。
「男女問わず……皆が石田さんみたいな人だったらよかったのに」
西山はそれ以上言葉を継がなかった。だから聞かなかった。
ウォール街のトップトレーダーや常勝の弁護士や検事のように、一流ブランドのパワースーツを身に着けた西山。それは彼女なりの鎧にしか見えなかった。大好きだったコーヒーを飲むことをやめた無意味さに気が付かない振りをしている。
誰にも頼らず自分だけでやっていかれる。その決意はにじみ出るどころか全身から発散していた。
俺はそんな姿を見たくなかったのに、説得できなかった自分の無力さが今の西山を作っているように思えて奥歯を噛む。
いじらしいと思った。
力を抜け……頑張りすぎるな。そう言って抱きしめてやりたい。
俺はその言葉を渾身の力を喉にこめて飲み込んだ。今は違う、今ではない。もう少し、西山の気がすむまで遠くから見守る。
そして俺は自分のビジョンをしっかりと定めた。
西山の気が済む頃までに、自分が疲れていると自覚するまでに、居場所を作ってやる。帰ってこようかな、そう思える魅力的な次のステージを作って迎えてやろう。
その日から、仕事に対するスタンスは大きく変わった。自分が会社を興すと考えれば物事の見方や人脈の作り方も変わる。
そして転がってきたのが三木田さんからのオファーだった。
すべてがビジョンに沿った形で自分の前に提示されたこのタイミングを逃すべきではない。
俺がしたことは、本と花を選び東京に送ることだった。
<4>
「コーヒーおちたぞ」
西山は二畳ほどの細長いバルコニーに立っていた。白いストンとしたワンピース型のコットンのルームウエア。彼女が纏う白と見える景色はいい具合に溶けていた。
この場所から大倉山のジャンプ台がはっきりみえる。初夏を間近に控えた山は緑がモコモコと盛り上がりつつある。盛夏を迎える頃には濃い緑色になった葉がよりいっそう高く山を彩るだろう。200万人都市でありながら、札幌はやはり北海道。目にする自然は大きく雄大だ。
西山はダイニングキッチンに場所を移し、コーヒーマグを手にとった。ゆっくりコーヒーを味わい、浮かべる表情は満足そのもの。
「モカって酸味ばかりのコーヒーだと思っていました」
「それは焙煎が下手くそなだけだ。焙煎のうまい店の見極めはモカをおすすめにしている、又はモカが美味いこと」
「モカを買っておけば店の力量がわかるってことですね」
「そういうこと。淹れるテクニックを磨けばいいのだろうが、俺にそんな暇はない」
「充分美味しいです」
朝食用の全粒パンを切り分けながら何気ない会話を装い切り出した。
「SONを辞めることになる」
「え?」
「三木田さんの会社に移る。将来会社を継ぐことが条件」
「え?三木田さんの?」
「また面白くなってきた」
西山は何事か考えたあと「ふふふ」と笑う。
「でしょうね。SONではできないことができます、あのフィールドなら」
「お前のやりたいことを現実にできるフィールドでもある」
「……石田さん?」
「俺は言ったぞ?『何年かしたら自分の会社をつくるつもりだ。西山の席は作ってやるから、気が済むまで東京で頑張ればいい。いざとなったら帰る場所があると思えば冒険もできるだろう。
保険ぐらいは俺がつくってやるさ』 覚えているか?」
「……はい」
「気が済むまで自分なりに頑張ってみればいい。俺の準備は整ったから保険はばっちりだ。全部丸抱えしてやる、お前も、お前の仕事も、やりたいことも」
「……。」
「由梨」
うつむいていた西山の顔が跳ね上がり、俺の視線とぶつかった。そこにある表情は今まで見たことのないものだった。困惑、驚き、照れくささ……あとは何とも形容しがたいものが浮かんでいる。少し幼く見えるのは気のせいだろうか。
「あの……ええと、ええと、私」
「大丈夫だ、俺は気が長いからトコトコ追いついてくれればいい」
「……石田さ……ん」
「だから二人でいるときぐらい、由梨と呼んでも文句は言うな」
みるみる顔が赤くなる。パワースーツに身を包み、負けることが何より嫌いですと公言していた頃の姿とは真逆の女性が目の前に立っている。
西山が変わる切っ掛けは高村さんと北川さん、そしてあのレストランだということを知っている。少し悔しくはあるが、細かいところにこだわっているようでは大事なものを逃すだけ。
きっかけは切っ掛け。それをどう自分なりに利用して欲しいものを得るか。物事の本質はそこだ。
欲しい物を得る
「由梨はしばらく石田さんでいい。ずっと石田さんでも俺は構わないけどな」
由梨はヘナヘナと床にしゃがみこんだ。恨めしそうに下から俺を見上げる。
「なんですか、その余裕の笑みは。これだから大人って!……もう!!」
持っていたマグをテーブルに置いて、しゃがんでいる由梨と同じ目線に位置を変える。由梨の言うほど大人の余裕はないが、それを隠せるくらいには大人だ。ゆっくり柔らかく抱きしめる。
「ゆっくり、少しずつ。これからのステージを始めるぞ。俺は久しぶりにワクワクしている」
「そんな余裕、私にはありません」
「余裕がない由梨も悪くない」
「もう!石田さん!」
困ったり、余裕がなくなったり焦ったり。それを見せる事をしなかった由梨の時間を取り戻してやりたい。きっと昔のように様々に表情を変え、いろんな人間を魅了する女性になるはずだ。他の人間にくれてやる気はさらさらないが。
顎をすくって口づける。俺が気に入っているへの字口に。
「この唇、への字具合がかわいい」
勢いよく肩口を叩かれたがその程度。
欲しいものを手にする為の力はいらない。相手の柔らかい場所に遠慮なく突き進むことだ。
俺達はここからが始まり。最初は由梨と石田さんで我慢するか。
由梨と呼ばれることが当たり前になる頃、お前はどんな女性になっているのだろう。
そんな楽しみが一つ増えた。
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