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june.4.2016 昔の男、現れる 2
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「悪いね、遅くに。」
テーブルについてビールを頼んだ僕に先輩はまた「悪いね」と言った。
悪いと思うならしなければいいのにと言いそうになって飲み込む。揉め事を起こしたいわけじゃないから、話とやらを早く聞いて帰ろう。
「いったい僕になんの用ですか?」
「あの人と付き合っているの?」
「一緒に住んでいます。」
嘘ではないし・・・なんだか付き合っていませんとは言いたくなかった。それに先輩に今の僕のことは必要ないだろう、そんな気がして。
「テレビを見たんだ。映画を紹介する番組。そこに北川が映っていた。それとCM。思い出して泣いているやつ。」
僕の電波デビューの余波がこれですか・・・。
「びっくりしたよ。まさかTVにでているなんて思いもしなかったから。」
「あれは流れといいますか、とある方の企みというか。CMにはびっくりしましたよ、僕も。」
ビールが苦くて美味しくない。仕事終わりの一杯を飲むのはミネさんがいいのに、目の前には逢いたいと願ったことなんか一度もない人が座っている。
だんだん苛々が募ってくるから押し込めるためにビールを口に含んだ。
先輩は少し背筋を伸ばして椅子に座りなおすと頭をさげた。
「ちゃんと謝りたいってずっと思っていたんだ。本当に悪かったと思う。北川だけが悪者みたいになったのは俺がちゃんと言えなかったからで・・・悪かった。」
「今更です。」
先輩はまた目を見開いで僕を見た。謝罪・・・これに何の意味があるのだろうか。それに随分前のことを謝ってもらって僕は何かを感じられるのか?
あの時間が戻るわけでもない。
ドキドキした自分を思い出せるわけでもない。
そして事実は消えることがないままずっと僕の記憶の中に留まり続ける。苦しくて苦いかつての思いは僕の中でかなり小さなものに変化しているから、思い出しても辛くはない。
ほんと、今更だって思う。
「ゴメンって言ってもらって僕が喜ぶと思いました?僕が謝罪を望んでいると?」
「・・・あ、いや。それは・・・。」
いざとなったら尻込みするくせに正義感が強い人だった。当時僕はそれがこの人の優しさだと感じていた。優しい人だと思っていた。
でも僕は色々な人から「優しさ」を受け取って生きている。様々な質がある「優しさ」という実体のないもの。最近僕は優さしさって強さを兼ね備えていなければ成立しないんじゃないかと思い始めている。
理さんや飯塚さん、トアさん。両親、高村さん、お客さんたち・・・そしてミネさん。みんなが僕にくれる「優しさ」は時に叱ることであり、相手を思って指摘することだ。物をくれるとか「頑張って」っていう事じゃない。良いことも悪いことにも、相手に寄り添って心を砕く。それがやさしさだ。
でも先輩は僕の気持ちを推し量って会いに来たわけじゃない。それがはっきりわかった。
「番組にでている僕を見た。そしてずっと心に引っかかっていたことが気になり始めたってことですよね。謝りたいと思っていた、そのつかえを下ろすために来た。」
はっとした顔。
「僕は謝ってもらおうなんて考えたことなかったですよ。確かに僕と先輩の間に起ったことは楽しいことではありませんでした。でも僕は先輩を恨んだり憎らしいと思ったことはありませんよ。
ご両親には正直二度と会いたくないですが。」
「悪かった・・・。」
「先輩が謝ることじゃないのです。親元を離れて自分を見つめなおす切っ掛けになりましたし。一人で暮らすと考える時間がたくさんあります。自分のために使える時間もたっぷりできた。
僕なりに自分に向き合って生活しましたよ。家族との距離ができちゃいましたけど、それは最近また元に戻りつつある。それは今働いているあのお店とスタッフ、そしてお客さんのおかげです。それもこれも僕が一人暮らしをしなければ出逢わなかった人と繋がれた。それが今の僕の生活の基盤になっています。
だからもういいです。」
「許してくれるのか?」
「許すもなにも、お互いさまです。そして随分前のことです。」
ああ・・・そうか。そういうことか。
「先輩、もしかして結婚するとか?」
「・・・えっ。」
「なにか理由があるだろうって。そうじゃないとTVで僕を見たからってわざわざ会いにこないかなって。僕だったら「あ~元気にしているんだな。」ってそのくらいは思いますけど、会い行くことはしない。」
先輩は「まいったな。」といって情けない笑顔を浮かべた。この人はすっきりしたかっただけだ。
綺麗に過去を清算して次の一歩を踏み出したかった。
「もうたぶん僕たちが会う事はないでしょう。お元気で。明日も早いので先に帰ります。」
「北川・・・ありがとう。」
「お先に失礼します。」
僕は席を立ちそのまま店の外にでた。急ぎ足でSABUROに向かう。早く帰らなくちゃいけないのに、最終電車は出てしまった後・・・ミネさん疲れているのに。
窓から店中をのぞくとミネさんがこちらに背を向けてカウンターに座っている。照明は消えていてカウンターのダウンライトだけがともっていた。半分くらいしか減っていないジョッキが見える。
ドアをあける音でミネさんが振り向いた。
「ハル、お帰り。約束守っておりこうさん。」
「・・・ただいまです。もう電車出ちゃいましたね、すいませんでした。」
「んん・・だな。どうしようか、タクシー乗るしかないな。チャリンコ買ったらいいのかも、こういう時。」
ミネさんはカウンターから乗り出してジョッキを厨房側に置いた。知らずに気をはっていたのか、体から力が抜けていく。僕はそのまま椅子にソロソロと座った。
振り向いたミネさんが僕を見る。その視線は強くて優しくて、そして・・・何かがあった。
いつもと違う何か。
「大丈夫?」
ミネさんが近づいてくる。視線を外せないままミネさんを見つめることしかできない僕。
僕の向かい側に椅子をひっぱりミネさんが座る。少し・・・息が苦しい。
「あの男はなんて?」
両手がそっと握られる・・・あったかい。
「ごめんなさいを言いに会いに来ただけです。僕は別に謝ってほしいわけじゃないのに、僕の都合なんかお構いなしに悪かったって何回も言いました。」
「そっか。」
「そうです。たぶん結婚するか何か・・・昔のことをスッキリさせたかったタイミングだったようです。」
「ハルのために来たんじゃない。自分のために来たわけか。」
「はい・・・肝心な時に尻込みするのです、でも正義感が強いというところがあって。」
ミネさんは繋がった僕たちの両手をずっと見ている。どうしたんですか?そう聞きたいけど、僕は聞けなかった。黙って言葉を待ちながら視線を下に向けているミネさんを見つめた。
「話に聞くのと、実際見るのは全然違うのな。」
「・・・なにが・・ですか?」
ミネさんは僕の顔を見てフニっと笑った。
「元カレってやつ。あの男が付き合っていた男なんだなって。なんだかね、変なんだわ、俺。」
「ミネ・・・さん?」
「必要と・・・いないと困ると・・・好きの違いはなんだろうな。」
ミネさん、何を言いたいの?ホントに変ですよ?
「さ、帰ろっか。」
ゆっくり立ち上がるミネさんを見上げる。そこにある顔はいつものミネさんだけど、どこか曇っているようで胸が詰まる。
「あの人は・・・もう来ませんよ。」
「うん、わかってる。」
座ったままの僕はいきなりミネさんにギュウと抱きしめられた。僕のずっと上にあるからミネさんの顔は見えない。
「ミネさん、過保護すぎます。」
「わかってる。」
「変ですよ。」
「うん・・・わかってる。」
ミネさんの鼓動はトクトク規則正しい音でドキドキしているわけじゃないのが残念。
僕もドキドキしていない、フーフーフーもいらない。
僕たちはいったい何をしたいのかな。
ミネさんは僕に何を求めているのかな。
僕はミネさんとくっついているのに平気なのは何故?
「帰ろっか。」
ミネさんが僕から離れた。
グレーのシャツしかみえなかった視界が広がり暗い店内の様子が見て取れる。。
「なんか安心した。ちゃんと帰ってきたから。」
「僕は他に行くところも、行きたいところもありませんよ?ミネさん、僕のこともっとちゃんと見てください。」
「・・・ハル。」
「僕のこと、もっとちゃんとです。」
「・・・そうなのかもな。」
「そうですよ。」
座っていた椅子をもとの場所に戻してドアに向かう。
さあ、帰りましょう。遅くなってしまいました。
施錠するミネさんを待つ。鍵をポケットに入れながら振り向くミネさんに僕は右手を差し出した。
「帰りましょう?明日も仕事です。」
「うん。」
ミネさんと僕は手を繋いでタクシーまでのわずかな距離を歩いた。
ビル3つ分の少しだけの距離と時間。
その少しだけの距離分、僕とミネさんのどこかが近づいた。
そんな不確かな確信が僕の胸に宿った。
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