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シネマレストラン「天使がくれた時間」
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「深雪さんは結婚してもお仕事続けます?」
さて、これはなんの前振りなのかしら?
深雪さんみたいなデキる女性をめざしま~すとかなんとか(爪の先ほども信じたことはないけれど)が口癖のみゆきちゃん。名前も一緒、漢字とひらがなの違いはあるけれど。
北国生まれだからって「深雪」っていささか安易じゃないかしら。父親は「雪解け水があるから北海道は水不足と無縁なんだ!それを名前にこめた。」と意味不明なことを言う。湧き水のごとく幸せの泉で生活できますように?おとぎ話ね。
「さあ・・・その時になってみないとわからないわ。」
そう、わからない。
そして私は色々わからない。
子供が欲しいのか?結婚したいのか?仕事を続けたいのか?専業主婦になりたいのか?
小さい頃の花屋やパティシエに保育士さん、そんな「なりたいもの」は大きくなれば変わっていく。そして進路という分岐点がやってきて大人になるという意味すら理解していない中学生の頃に将来の方向性を決めろと言われる。「将来何がしたいんだ?何になりたい?」
そんな将来に答えや希望を持っている10代はごくわずかでしかない。高校生になってみたい、大学生になる、そんな想像はできても、将来何かになるために学校を選ぶ、進路を決めるなんて、いったいどれくらいの10代が成し遂げたのだろう。
普通にいけるレベルの高校にいって、いける大学に行って、どんな仕事がしたいというより、どこかに引っ掛ってくれ!という就職活動をして現在に至っている。
自分の置かれた環境の中でやりがいや面白味をみつけて充実を図っている現実。なりたい自分なんて今の今だってわからない。10代の頃に突き付けられた進路をいまだまっとうできていない気がしているのに、今度は人生の進路ときたものだー結婚、親、家族。わかるわけがない。
「結婚話がでてるんですよね。」
まあ、そういうことだよね。
「子供欲しいし、仕事はやめることになるだろうなって思います。」
まあ、そういうことだよね。
「幸い彼氏の会社安定しているので。」
今はね。それずっと続く?でも言わない。
「彼氏の給料でなんとかなると思うんです。」
今はね。
「そうね、具体的な時期がきたら早めに教えてくれるかな。早ければ準備ができる。」
「はい、わかってます。深雪さんは?」
「私?思案中ってところかな。」
付き合っている相手はちゃんといる。将来の話だってする。するけれど、決定打がなくていつも二人とも疲れてしまう。マイナス面を言い出したらキリがなくて残念ながらそれを上回る打開策がない。
商談ってそうじゃない?クロージングの段階までにお客さんが散々悩んで悩んで、ああなるかもしれない、こうなったらどうしよう、そもそも失敗な買い物だったら?それ今やめちゃったらリスクないよね?というウダウダに付き合う。時には「じゃあ、やめちゃいますか?」なんて引いたりもする。「え?」って顔をすれば戴き。というか「え?」って顔をするだろう段になって引きトークをするわけなんだけど。タイミングを間違うと「はい、やめます。」で終了ってことになる。
散々悩んだのに、色々マイナス面もあるのにでも欲しい。そう、ここまでもってくればこっちのものだ。
仕事をしながらの育児。仕事をしながらの結婚生活。一人の稼ぎで生活する際の算出、共働きになったときの互いの負担とメリット、デメリット。それを話し合っていくと「なんとかなるよ。」「それでも子供は欲しいよね」と言えなくなってしまった。いっそのことできちゃった結婚なら腹をくくれたかもしれない。
それでも頑張ってみようか・・・お互い臆病者だからそれを言えない、軽々しく。
やめちゃおうか?それだって言えない、重すぎて。
「9:00に出社、17:00にビタっと帰宅。完全週休二日で残業なし。あぶれることなく保育所に預けることができたり、自治体の援助がある。そういうのならもっと簡単だったかな。」
彼氏が半笑いで言った言葉。少子化対策で一時金をばらまいたり、女性が安心して働ける日本とかミクスでもなんでもない大風呂敷よりも現場は切実だってこと、センセイたちは知らないというか知ろうとしているのかしら?
庶民とレベルの違う金銭感覚で生きてきた人たちに血の通った対策ができるのか疑問すぎて嫌になる。
「なによりもかけがえのない物で、お金よりなによりも家族や愛が大事!みたいなね、そういう映画ばっかりよね。いっそのこと金と地位をとる!みたいな映画ないのかしら。自分がどっちに共感できるのか確かめたい気分。」
「深雪さん、声大きいですって。」
あ、忘れていた・・・ここはオフィスの休憩室ではなかった。パニーニをテイクアウトするつもりだったのに、漂う美味しそうな香りにつられて店内でランチをすることにしたんだった。
メガネの店員さんがニコニコしながらコーヒー片手にやってきた。
「おかわり、いかがですか?」
「い・・・ただきます。」
ちょっと居心地が悪い。
「実は聞こえちゃいました。」
ああ・・・やっぱりね。ちょっと熱くなっていたもの、声だって比例して大きくなっていたはず。
「もし、あの時違う人生だったなら?誰しも考えてしまう事。映画や小説の定番テーマです。過去に戻ってしまった主人公が同じ人生を歩むのか、同じ相手を選ぶのか。
お金や仕事よりも大事なものがあると心を入れ替え、めでたしめでたし。でもこの映画はどれとも違います。すべてが色々と。」
「すべてが色々と?」
「ええ。」
店員さんはニッコリしながらコーヒーをカップに注いでくれた。
「『天使のくれた時間』という映画です。ニコラス・ケイジが主人公。彼はウォール街で成功をおさめた独身男性。若い頃、将来のステップアップのためにロンドン行きを決めたことが当時つきあっていた彼女との別離につながった過去を持っています。
ある雑貨店で少々危ない客と店の仲裁に入ったことがきっかけで彼の生活が大きく変わります。
目覚めると、その別れた彼女と結婚してなんと子供もいるという世界にいたわけです。まったく違う庶民の生活。さて彼はどういう選択をするのでしょうか。というお話です。」
「その流れだと、お金よりも地位よりも大事なものがある、僕は君と子供たちとの生活を取る!元の世界には戻らない!ってことじゃないかしら。」
「確かめたくなったら、ぜひ見てください。」
なんだろう、思わせぶりね。
「映画は見る人の経験値や環境、その時の年齢によって様々に響くところが違います。お客様のどこにこの映画が響くのか僕にはわからないのですよ。だからやはり人から聞くよりも自分の目でみて物語に触れてほしいと思います。」
まあ・・・一理あるわね。
「20年近く前の映画なので、レンタe-zoさんにはあると思います。」
どんな映画なのかしらね。そのうち気が向いたら・・・ね。
<<所変わって
「珍しいな、DVD?」
金曜の夜、5日分の疲れをためた彼が私の家に来た。平日はおのおの生活をしているけど、金曜の夜から日曜の午後までは一緒に過ごす。どこかに出かけることもあれば引きこもりの週末だったり、その時によって様々だ。彼は金曜の朝に1週間分の洗濯をすませるらしい。土曜日は私の洗濯ものと一緒に金曜に着ていたものを洗い、乾いた衣類とともに帰っていく。同じ空間にいても不具合はない、別々のことをしていても居心地が悪いわけではないし、相性はいいと思う。
「一緒にみる?」
「何?面白映画?」
「それがよくわからないのよね。でも見てみたいって気になってね。」
「へえ。」
「ビール買ってあるし、つまみつつきながら見てみる?」
「そうだな、たまにはいいか。」
そして始まった映画。
思った通り主人公はマンハッタンのゴージャスの極みみたいな部屋に住んでいる。衣裳部屋にたんまりある高そうな服の数々。もちろん美女だってセットだ。巨額の金を動かし休みナシ、バカンスナシ、仕事仕事、金、金。
その彼が落っこちた別世界は郊外の一軒家、安い服の数々、まだ小さい子供と犬、そして別れたはずの彼女が奥さん。ご近所のパーティーやボウリング大会。自分がまとめた合併が違う男の手柄になっていてそれをニュースでみる。自分の仕事はタイヤの販売員。
元の世界に戻せと怒り続け馴染むことをせず、仕方なしに生活をする。そして少しずつ主人公の心が何かに気付き始める。
この映画は少しずつ違うと言った意味がわかった。
主人公はキャリアを望むからだ。今の環境を手にしながら元のキャリアを奪い返そうと動く。もちろん、郊外の一軒家のつつましい生活のままウォール街にスライドなんかできやしない。
そして・・・彼は。
余韻を残して映画は終わった。
「あのコーヒーはどう転ぶのかな。」
彼の言葉に私も同じことを考えていたからコクコク頷いた。
「どうするんだろ。彼女は何も知らないわけでしょ?」
「そうなんだよ、今度は彼女が知らない。」
「ロンドンじゃなくてパリだし。」
「そ、逆だしな、立場も。」
「郊外の家で一家四人めでたし、よかったね、で終わるとばかり思ってたからなんだろ、なんだろう、この気持ち。」
彼は黙って仕事で使っているカバンを手にした。
「どうしたの?」
「・・・いや、どう言っていいのかわからないんだけど。」
「どういうこと?」
「できるかどうかわからないって、もう散々話合ったよな、子供のことや二人の仕事のこと、生活のこと。」
「うん。」
「なんかそれ、このままだから無理なのかなって。ちょっと視点を変えてみた。」
彼がカバンから取り出したのはプリントアウトの数々。どうやら色々な自治体のものらしい。
「これなに?」
「ほら、人口減少に歯止めをかける意味で移住事業している町が結構あってさ。それも選択肢の一つじゃないかって。俺も深雪も札幌育ちってわけじゃないしさ、田舎者じゃん、しょせん。」
プリントアウトを手にとる。色々な町の子育て支援や移住支援がアピールポイントとして積極的にうたわれていた。
「住宅とか、おしめ代援助とか給食費無料なんて町もあるし。保育所は問題なく入れるみたいだしね。俺たちの仕事があるのかって問題もあるけど、こういうのも選択肢にあるかなって。」
「いっちゃん・・・。」
「なんかタイムリーだった、この映画。今のまんまじゃ難しい、無理無理いっているならさ、できるように全部作っちゃうってのも手かもよ?」
「…簡単に言うわね。」
「そ、言うは易し。」
あはははと笑う彼を見て、今までとは違う何かが見えたような気がした。見方を変える、だからこそ見えるものがある・・・へええ、面白い。
「なんで深雪がこの映画を借りてきたのか聞かせてもらおうかな。もしかしたら映画の中の黒人天使みたいな人にこれ渡されたんじゃないの?」
あのメガネの店員さんが?
天使?
「ふふふふ。」
「ずるいぞ、自分ばっかり知っていて笑っているなんて。」
「じゃあ、パスタを作るわ。食べながらゆっくり話すから。」
「そうしてくれよ俺が知らないのは不公平だ。パスタはなに?」
「しめじとエビのクリームパスタ!」
「やった!じゃあ、俺パン焼くよ。クリーム多めでよろしく~。」
この先どうなるかなんてわからない。
相変わらずどうしたいのかだってわかっていない。
でもきっとどうにかなる。
あの店員さん…本当に天使なのかもしれないわね。
FIN
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