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移り香
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残業で遅くなったハズの彼のスーツから、ふわっと異質なニオイがした。
バラのようでバラじゃない、甘く華やかな大人の香り。
あ、これは……。そう思うと同時に、親のドレッサーの上にあった、ピンクの小瓶が脳裏に浮かんで、ぞっとした。
名前なんかは知らねー。ただ、ニオイは覚えてる。
母親が特別な日につけてた、取っておきの香水と一緒だ。誰かから貰ったっていう、フランス土産の高価なヤツ。
――イライラする。
「家」を思い出す。
もう何年も嗅いでねーのに、ニオイって記憶に残るんだな。まさかあのニオイを、今になって嗅ぐとは思わなかった。
5年前にゲイだっつって告白し、親父と大喧嘩して以来――1度も家には戻ってねーのに。
その香水が、なんで彼に?
残業で移り香?
でもあれは、オフィスに付けてくような香水じゃねーだろう?
モヤモヤしながら、向こうの背中をじっと睨む。
彼はオレの視線に気付かず、ハンガーに脱いだスーツを掛けている。
当たり前だけど、改めて眺めると広い背中だ。肩幅も広い。筋肉質の、バランスのいい身体。
言い寄る女が多いのも知ってる。
口下手だし、誘われるたびに断んの、四苦八苦してんのも知ってる。
……ホントはゲイじゃねーのも知ってる。
こいつは、オレとは違うんだ。
だけど。
オレは彼の背後から近寄り、無理矢理こっちを振り向かせた。色の薄い大きな目が、驚いたように見開かれる。
「た、か……?」
最後まで言わせねーで、強引に口接ける。こいつは、オレのだ。そう思って。だけど!
唇の柔らかさより先に、甘ったるいニオイが!
「くそっ!」
ドン! と彼を突き飛ばし、顔を背けて唇をぬぐう。
悲鳴を上げて倒れた相手は、床に尻餅をつき、びっくりした顔でオレを見上げた。
「な、なに……?」
マジで分かってねーような顔。
泣きそうな表情。
でもな、ニオイはウソつかねーんだよ!
「誰と会ってた?」
抑えた声で訊いてやったら、彼がハッと息を呑んだ。
「残業なんてのはウソだよなあ?」
オレのカマかけに、視線が左右に動く。ビンゴかよ? 胸が痛ぇ。
「……ご、ゴメン」
ゴメンって。何だ、それ? あっけない謝罪が、グサッと胸に突き刺さる。
「はっ……」
笑い飛ばそうとしたけど、うまく笑えなくて頬が歪む。
「言うつもりだった」
って。何それ、本気で言ってんの?
「タカヤ……」
彼が立ち上がり、ふらふらとオレに手を伸ばす。
その手から、ふわっと香水がオレを襲う。母親と同じ匂いが。
「ヤメロ!」
オレはその手を払いのけた。キモチワリー。おぞましさに、アゴの辺りまで鳥肌が立つ。
「女を触った手でオレに触んな!」
すると彼は「えっ」と驚いて、オレの顔と自分の手を焦ったように見比べた。
「隠したってニオイで分かんだよ。香水!」
怒鳴って、はあっと息をつく。情けなくて泣けてくる。
どんな女だよ?
いつ知り合った?
いつからだ?
どんな関係?
訊きてーことは山ほどあるけど、冷静に問い詰めらんねぇ。
気分ワリー。ムカムカする。
もうそのニオイ、嗅ぎたくねぇ!
「言え! 相手はどんなババアだよ? 教えてやろうか。その香水はな、オレの母親と同じニオイだ!」
叫ぶように言って、オレは、彼の顔をじっと見た。
どうだ、ザマーミロ。ババアのニオイつけてる自分に呆然としろ。そんな思いを込めて、ふんと鼻で笑ってやると……。
「は、はっ」
彼は、柔らかく微笑んだ。
なんでそこで笑う!?
「何がおかしい!?」
ゾッとして叫んだオレに、彼がいきなり抱き付いた。そしてオレの背中に腕を回し、スゲー力でギューギューと締めて来る。
鼻先にふわりと香る、甘い移り香。
やめてくれ、吐きそうだ。
けど。歯を食いしばって目を伏せ、「放せ」って口を開こうとした時、彼が言った。
「タカヤは、スゴイなぁ!」
「なっ……」
何がスゴイのか、訊けなかった。
ただ、そのニオイがイヤで。イヤで。口もきけねーで。そしたら。
「当たりだよ! オレ、今日、君のお母さんと会ったんだ」
「……は…?」
何を言ってるか分からなかった。
誰が? 誰と? 会ったって?
「君のコト、元気かって訊いてたよ。元気ですって言ったら泣いてた。そんでさ、『あの子をよろしく』って、オレのコト、こうして抱き締めてくれたんだ」
穏やかな声で言いながら、彼がオレを抱き締める。
こうやって、オレの母親にされたんだって。その時についた移り香だって。
何、それ? 意味ワカンネー。
なんで……オレの親が、彼に? オレをよろしくって?
「何だ、それ?」
ははっと笑える。
浮気じゃねーのは良かったけどさ。
母親? なんだそれ? 泣いてたって? ワケワカンネー。
勝手だな。勝手過ぎる。なんで今頃? なんで彼に? それで過去の無理解を許せってか? 甘ぇっつの。
「キモチワリー。クセーんだよ」
オレは文句を言いながら、ぎゅっと彼を抱き締めた。
母親のニオイはふわりと香って、入学式、卒業式、特別な日の思い出がよみがえる。
特別な時にしかつけねぇ、とっておきの香水。それを――今日、どんな思いでつけて来たのか?
この移り香は偶然なのか、計算なのか?
そんで、オレ達のコト認めてくれんのか?
……今度会えたら訊いてみるか。
彼に深く口接けながら、オレは、そんなことを考えた。
(終)
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