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主の帰宅、その決断
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陽が高くなる頃、紅丸は所用を済ませ果ての屋敷へ帰宅した。待ち構えていた様子で緑太が玄関の外に立っている。紅丸は、門を潜った時から感じていた違和感と、その事が気の所為ではないのを確信した。
「常の匂いがしない。何があった、」
「申し訳御座いません。私が少し畑へ出てる間に、白楊様と契約を結んでしまわれ…今は西国の屋敷へ。」
深くこうべを垂れ、今にも土下座をしそうな緑太を止め、紅丸は屋敷へ入るように促した。常の部屋へ向けて廊下を進みながら話をする。
「契約…それは、魔法を解く為か。」
「はい。白楊様を頼ってしまわれ、今は仮にですが対価となる目を失っておられるのです。」
「…そうか。」
牡丹の間の障子を開く。無人の布団、何の匂いも残ってはいない静まった空間。常の僅かばかりの荷物と誂えた着物、それから文机に置かれた冷めた薬湯だけが、常がここへ確かに存在していたのだと告げていた。
「私が畑に行かず、ずっと側に付いているべきでした。」
緑太の後悔は深い。この場で殺されても文句は無かった。
「いいや、それは済んだ話だ。もし今回の機を逃したとしても常は諦めなかったろう。そして白楊もまた、いずれ付け入る隙を突いたに違いない。」
「ですが、」
「緑太。俺は不思議と怒りは感じていない。」
その声は静謐な響きを持ち、牡丹の間に吸い込まれた。
「何故ですか、」
緑太は首を傾げた。紅丸ならば、冷酷な怒りを見せると思っていた。
「常をここへ連れて来た時の事を思い出した。国の行く末を背負わせ随分な無理を押し付けた…あの様に攫っては、此処から逃げたくもなる。」
あまりにも意外な言葉だった。紅丸が、人である常の気持ちを考えている。主の変わり始めた心情に、緑太はまた常の存在の大きさを感じた。矢張り、常こそが御方様に相応しい。
「白楊様に許可を得て、使い魔を西国の屋敷へ留めております。赤月と、それから紫さんが世話をしてくれるそうですのでご安心下さい。」
「ああ、紫。あれも、おかしな奴だ。人間の男ばかりを好む。」
袂から煙管を取り出し、紅丸が微かに笑う。緑太は主が直ぐにでも西国へ発てる様にと考えていたが、紅丸は動く気配がない。
「西国へは行かれないのですか、」
「行かぬ。常の決めた事だ。瞳を失う覚悟、それ程までに思い詰めているのだろう。もし今常の側に行けば…契約の事を忘れ、手出しをしてしまうだろう。」
それは紅丸だとて通らぬ道理。そうなれば常の身は危険に晒され、ますます白楊の思う壺になる。
「分かりました。私の考えが至らずに申し訳有りません。」
「いや、この部屋をいつでも使える様に管理してくれ。あれは棗が此処へ住む事を知らぬままだろう、それを知れば魔法が解けて此処へ帰って来るかもしれぬ。常の気持ちに任せよう。」
「はい。」
棗と共に此処へ住もうと思う可能性も有るが、果ての屋敷へ帰りたくないと思う可能性もある。そうなれば棗もまた常を追い此処を去るだろう。
それは常の気持ち次第、主である紅丸が動かぬと言えば緑太には如何しようもない。図らずも、白楊の思う通りに事は進んでいる。
「黒鉄は遅いな、」
「ええ。元々体の弱かった棗様の身を思い、余計に気を付けておられるのでしょう。」
「そうだな…人とは弱く、儚い。」
それは体だけの事に非ず、精神的なものも含めてだ。もっと早く気付けていれば、黒鉄の注意を正しく理解出来ただろうか。
「紅丸様。私は、近い内にこの屋敷が再び賑やかになる日を願っております。」
「そうだな。」
紅丸の吐き出す煙が縁側に漂う。もう牡丹の香りは風に消えている。庭には秋の草花といろは紅葉、目に映える美しい彩りだった。しかし縁側に座り、この庭を美しいと眺める笑顔はない。
以前と同じに戻っただけの筈。常が居ない、それだけでこの広い屋敷はとても寂しく感じた。
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