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「鹿賀、はいこれ言ってたやつ」
鹿賀を呼んだリカちゃんが、何かを手渡す。本のように見えたそれが何か俺は知らないし、いつ2人がそんな話をしていたのかも知らない。
新しい1週間が始まり、リカちゃんの様子は元に戻ったように見える。怒ってはいないし機嫌が悪いわけでもない。俺と違って感情の起伏が激しいわけじゃないリカちゃんは、正直よくわからない。
あの日出て行けと言われたのが嘘だと思うぐらいだ。
「慧君、そろそろ出ないと遅刻するんじゃない?」
リカちゃんに言われて時計を見れば、家を出る時間が迫っていた。用意された朝食を急いで食べ終え、鞄を持って玄関へと向かう。歩きざまに鹿賀を見ると、何か言いたそうな顔をしてこちらを見ていた。
「何?」
「いえ、別に」
「あっそ。お前も早く用意したら?今日で終わりなんだろ?」
明日から一足先に鹿賀の夏休みが始まる。大学生である俺の夏休みは2週間後からで、リカちゃんだってもちろん仕事だ。だからこの家には鹿賀だけがいる。
それをリカちゃんは許さないと思っていた。
思っていたのに──。
『帰りたくないなら、もうしばらくここに居ればいい』
そう言ったのはリカちゃんだ。その言葉に鹿賀は明らかに安心した顔を見せ、俺は反対できなかった。
だって鹿賀が可哀想だと思ったから。
学校に友達がいない、家に帰っても1人で、仲の悪い父親がいる家に帰りたくない。それは以前の俺と少し似ていて、鹿賀の気持ちがわかる。
だからリカちゃんに意見を求められた時、俺は了承した。今度は俺も納得して、鹿賀が可哀想だという気持ちを優先した。それだけのこと。
そう、それだけのことだ。
「暇だったらレベル上げしといて」
なぜか玄関まで見送りに来た鹿賀に言う。靴を履きながら言ったから顔は見えないけれど、後ろから聞こえるため息で鹿賀の反応はわかった。
「その代わりボスは残しておけよ。俺が倒すんだから」
「それ勝手すぎません?」
「ここは俺の家なんだから当然だろ」
トントン、とつま先を地面に打ちつけ、両足を履き終えて振り返る。鹿賀の少し後ろに立っていたリカちゃんは、壁に凭れて両手を組んでいた。
「リカちゃん」
呼びかけてやっと俺とリカちゃんの視線が合う。黒い瞳が少しだけ弧を描いて笑い、薄い唇が開いた。
「行ってらっしゃい、慧君」
「ん。俺、今日は早く帰れるけど何かしておくことは?」
訊ねるとリカちゃんは一切考えることなく答える。
「ないよ。それよりお前は自分の課題をしなさい」
「……リカちゃんがいないと読めないし」
まだ半分も読み進んでいない課題図書。俺1人じゃ絶対に読めないそれのことを考えるだけで、頭が痛くなりそうだった。けど、まだ痛くはなかった。
だって俺にはリカちゃんがいるから。リカちゃんなら、俺を助けてくれるって自信があったからだ。
「そのことんなんだけど」
体勢は変えないまま、リカちゃんは表情だけを変える。フッと笑って何てことのないように言う。
「しばらく忙しいから、鹿賀に頼んで。あれぐらいなら鹿賀でも読めるから」
突然話を振られた鹿賀は、ムッとしたように唇を尖らせた。
「僕でもって何ですか。僕ならもっと難しいのも読めます」
「はいはい、お前が頭いいのは知ってるから。それより早く食べ終えて、自分の用意しろって」
諭された鹿賀は、少しだけ俺を見てから部屋へ戻る。
苦笑したリカちゃんも身体を起こし、リビングの方を向く。その背中を呼び止めると、振り返って首を傾げる。
「なんで?」と訊ねた声はすごく小さかったけど、リカちゃんには届いた。
言葉としては届いても、そこに含まれる気持ちは届かない。
「だって慧君が言ったんだろ?人の好意を受け入れろって」
「だからって別に鹿賀に頼まなくても……」
「それに、俺が相手だと話の内容に集中できないのは目に見えてる。と言うか、こんなところで無駄な話してる時間ないんじゃないの?」
付けていた腕時計を指さしたリカちゃんが早く行けと促す。俺にとっては大事なことも、リカちゃんにとっては無駄なのだと思うと腹が立った。だから何も言わずに家を出て、力任せに玄関の扉を閉めてやった。
リカちゃんの鹿賀に対する態度は優しくなったと思う。鹿賀の存在を受け入れて、ちゃんと相手してやってると思う。
それは俺が望んだことで、リカちゃんはそれに従ってくれてる。だから少し胸が痛い。
見せかけの優しさだってわかっていながらも安心している鹿賀を見ると、モヤモヤして、それでいてやっぱり『可哀想だ』って思ってしまう。
思ってしまうから鹿賀に強く言えない。けどモヤモヤは募る。
それを、どこにぶつけるべきか。考えているうちに時間は過ぎて、大学へついてしまった。いつから俺は、ここに来ると安心するようになったんだろう。
「ウサマル、おはよ。今日もめっちゃ暑くて、俺死んでまうかもしれん」
最近は人型の時が増えた幸を見てわかった。
ここには幸がいる。俺が安心するのは大学じゃなくて幸がいる場所だ。
「そんなに暑いなら、その鬱陶しい髪を切れよ。見てるだけで暑苦しい」
「いやいや。ここは幸が死んだら悲しいって泣くとこやろ」
「誰が?お前が死んで泣くのなんて、その辺の派手な女だけだろ」
「朝から酷すぎや」と文句を言いながらも幸は笑う。
作り笑いじゃない本物の笑顔。誰に対しても平等に向けられる笑顔。
俺のことを特別大事にしてくれつつも、みんなに優しい幸。
俺は、リカちゃんに幸のような優しさを求めているのだと気づいた。
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