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運命の相手5にしおりをはさみました!
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運命の相手5
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黒い服に身を包んだ姿で、明典はそこに立っていた。周囲の景色はぼんやりと霞み、物と物の境目も曖昧に滲んではっきりしないというのに、何故かここが幾度となく通った道であると認識する。
そんな景色に反して、足元には妙なリアルさを持った街路樹の枯れ葉が広がっていた。よくまぁ、こんなに落ちたものだとその上を歩くが、枯れ葉を踏み締める感触もしなければ音も聞こえてくることはない。そんな奇妙な空間に全く違和感など抱かず歩いていると、後ろから名前を呼ばれる感覚して振り返った。
振り返った先は、緩やかな登り坂となっていた。ここで漸く、明典は自分がこの坂を下っている最中なのだと気が付く。緩やかな傾斜の上には、自分と同じ黒い服に身を包む男が立っていた。男が着ているのは、学生服だ。少し距離を開けた場所に立つ、170センチはいかない程度の華奢な男は、このぼんやりしている景色の中で唯一はっきりとした輪郭を持っていた。その口は微かに弧を描き、寂しそうに細められた目でこちらを見つめている。
──ああ、またこの夢か。
夢というよりかは、もはや記憶だ。自分は再び、あの時に戻ってきたのだと、明典は思う。やり直したいと切望するあの時に。
彼の名前を呼ぼう。明典は口を開いた。彼の名前を呼び、そして早くこっちまで来るように言い、余計なことを言う前に閉じよう。しかし、開いた口からは、明典が考えている言葉など一言も出てきはしなかった。その代わり、あの日、この場所で、彼へ言ってしまった言葉がそのまま出てくるのが聞こえる。
「好きなんだけど。お前のこと」
いつもそうなのだ。
後に待ち構える未来を知りながらも、言わなければ良かったと後悔していながらも、この夢では──記憶の再現だからなのか──必ず、その言葉が口から出ていってしまう。
まるで、どんなにやり直したいと思っていても、過去を変えることなんて出来ないのだと、そう突き付けられているようだ。
男のはっきりとした輪郭は、周りの景色同様にぼやけて溶けていった。明典は目を閉じる。あの日、自分の言葉を聞いた彼の顔は、はっきりと瞼の裏に浮かんできた。そして次に目を開ける時、彼の意識は現実へと浮上する。
何とも言えない、朝の目覚めだ。
目覚まし時計より1時間も早く目が覚めたことを確認すると、明典は起きたばかりだというのに盛大な溜め息を付いた。枕元に置いてあるスマートフォンの画面を付ければ、夢で見た男──もう学生服を着るような年齢ではない──から送られてきた『おやすみ』というメッセージが表示されるが、それに対して『おはよう』と送る気には到底ならない。
画面の明かりを落とし、明典は暫く天井を見つめる。本来の起床時間よりも1時間早く目が覚めてしまった。この空いた時間をどう使おうか。洗濯や掃除をしようか。しかしそれは、既に昨日済ませてしまっている。そう思案する明典に、二度寝の選択肢など浮かんではこない。ここで眠ってしまえば、再びあの夢を見る気がしたからだ。しかし、このままこうしていても、夢のことを考えてしまいそうになるため、とにかく身体を動かすことに決めてベッドを出た。
シャワーを浴びながら歯を磨く。脱衣場にある鏡を見ながら髭を剃り、量の多い癖毛の髪をドライヤーで乾かすと、パンツだけを履いた状態で冷凍庫を開け、中からカチカチになった食パンを2枚取り出した。冷蔵庫の上に置いてあるオーブン機能やトースター機能が備わった電子レンジを開け、丸い皿をどけた所にその2枚の食パンを並べると、『トースト』と書かれたボタンを2回押す。たちまちトースターとして動き出した電子レンジを放ったらかしにし、次に明典は冷蔵庫の中から卵を1つ取り出した。フライパンをIHコンロの上に置き、目玉焼きを作りだす。ちょうどそれが出来上がるか出来上がらないかという時に、食パンが焼き上がったことを告げる音がした。香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。焼けた食パンを皿の上に乗っけると、その上に出来立ての目玉焼きを置き、胡椒を軽くふった。
テレビの前に設置してあるローテーブルへ食パンと目玉焼きが乗った皿とマーガリン、牛乳の入ったグラスを運ぶと、朝食の準備は整った。先に目玉焼きを乗せた食パンをかじりながら、電源の付けたテレビへ視線を向ける。いつもとは違うニュースキャスターが、元気にコメンテーターと会話をする様子を眺めながら、咀嚼した物を牛乳と共に流し込んだ。そしてまた、食パンにかじりつく。
その行動を繰り返していると、目玉焼きの乗った食パンは呆気なく胃の中へと入っていった。2枚目の食パンの表面にはマーガリンを塗りたぐる。そしてそれも、1枚目と同様に食べきる。グラスに残った牛乳を飲み干せば、明典の朝食は終わった。
画面の左上に表示されるデジタル時計が7時になると共に、いつも見ているニュース番組が始まった。見慣れたニュースキャスターが「おはようございます」と挨拶をした後、最初の話題に入る。しかし明典はデジタル時計の横に表示されている今日の天気を確認すると、ニュースは聞かずにテレビの電源を切った。皿とグラスとマーガリンを炊事場へ運ぶと、マーガリンを冷蔵庫の中に入れ、皿とグラスと、水につけていたフライパンを洗う。
再び部屋へ戻った明典は、すぐさまクローゼットの中から白いシャツを取り出した。それを着ると、襟を立ててネクタイを締める。スラックスは靴下を履いた後で履いた。最後にジャケットを羽織ると少々暑苦しく感じたが、まぁこんな物だろうと自分の姿を姿見で確認することなく、腕時計を付けた後は仕事用の鞄を手に取る。ベッドの枕元に置かれたスマートフォンが目に入ったが、敢えてそれには腕を伸ばさずに玄関へと向かった。靴棚の上に置いてある鍵を手に取ると、革靴を履いて玄関から出る。閉まったドアの、鍵を掛ける。
ここで漸く、明典の焦燥感は静まった。敢えて何も考えないことを勤めなくても、思考が再びあの夢を繰り返すことはない。全て部屋の中に置いてきた。大丈夫。大丈夫。そう自らに言い聞かせる。たった1日、スマートフォンが手元に無いからといって、然程困る仕事ではない。大丈夫。大丈夫。
──大丈夫。
今の自分に、あの男と繋がる物は何もない。
アパートの階段を降りながり、長い溜め息が口から溢れた。これから会社へ行けば、1時間以上早くオフィスに到着することになる。何の仕事から終わらせて行こうか。歩きながら、ただひたすら仕事のことだけを考えた。
まだ誰も出勤していないだろうと思っていたオフィスは、明典が到着する前に電気が付いていた。つまり、もう誰かが出勤しているということだろう。一体誰が来ているのか。同僚の顔を順番に思い浮かべながらドアを開けば、そこにはまだ思い浮かべていなかった──むしろ候補にもあがっていなかった──小柄な男の姿が目に入る。
ドアが開いたことで、男も明典の方へ視線を向けた。そして目を丸くする。
「おはよう、宮家くん。早いね」
そこには佐々木しか居なかった。シュレッダーの貯まった紙屑を、今まさにまとめてゴミ袋へ入れようとしている体勢で静止する。
誰もいないオフィスでタイプな男と二人きりなど、なんて心踊るシチュエーションだろうか。早起きはなんとやら。心の中で小さくガッツポーズをした自分が小躍りしているが、明典はこの現状に対して少し複雑な気分にもなっている自分に気が付く。
今までタイプであると思うだけで気にしていなかったが、佐々木は少々あの男と似ているのだ。容姿はともかく、身長や体格、そして雰囲気が。全く同じとはいわないが、あんな夢を見た後であるせいで、今の佐々木はあの男を彷彿させてくる。
しかし当たり前だが、佐々木はあの男ではない。明典は自分の頭の中を切り換える。開いたドアから動かない自分を、目の前の佐々木は不思議そうに見る。今、自分はこの人と二人きりなのだ。こんな状況はこの先もそうそう起こるとは思えない。ならばこの状況を堪能するというのが、今すべきことだろう。
挨拶を返そう明典は口を開いたが、その口からは挨拶ではなく、「あ」という声が溢れた。それと同時に、案の定、佐々木が抱えたシュレッダーのボックスは下に構えてあるゴミ袋を外れ、無数の紙屑がまとめて床へ落ちる。
「うわっ!やっちゃった!」
すぐさま佐々木はボックスの口を上に向けたため、中身が全て落ちきることは無かったが、床には見事に紙屑の山が出来た。彼は一旦ボックスを床へ置くと、血相をかいて床に出来上がった紙屑の山を掴み、脇に置いてあるゴミ袋へと入れていく。少しずつ紙屑の山は減っていくが、なんて効率の悪いやり方だろう。明典は自分のデスクに鞄を置くと、慌てふためく佐々木へ近付き、ゴミ袋を持ち上げた。
「……こうしてやった方が、手っ取り早いですよ」
塵取りの要領で紙屑の山にゴミ袋の口を持っていくと、佐々木は「そうだね」と苦笑しながら一気に山をゴミ袋の中へと流し込んだ。この一動作で床の上の紙屑はだいたいゴミ袋の中へ入る。細かい物はそれこそ箒と塵取りが必要だろう。ひとまずは、このぐらいでいい。
失敗を見られた恥ずかしさからなのか、佐々木はそれ以上何も言わない。沈黙が流れる中、明典は忙しなく動く佐々木の手を見て、小さい手だなと心の中で感想を述べた。爪は短く整えられている。
「佐々木さんって、いつもこんな時間に出勤してるんですか?」
ふと沸いた疑問を口にすると、佐々木と目があった。二重の大きな目に自分の姿が見え、ここまで接近してしまっていることを自覚すると、然り気無く立ち上がる。
「毎日ってわけじゃないんだけどね。今日はたまたま、早く目が覚めたから」
「そうなんですか?」
「うん。向こうは掃除当番っていうのが決まっててさ。癖で起きちゃうんだよ」
笑いながら説明する佐々木の言葉に含まれた『向こう』というのは、彼らがこちらの会社に出向する前にいた所だろう。向こうは年齢や立場に関係なく朝の掃除当番があったようだ。
そういえば、最近のオフィスは妙に片付いている気がしていたことを明典は思い出す。あるべき物がある場所にちゃんとある。他の同僚も同じことを思ったのか、「これは小人が住み着いたな」と言っていた。佐々木のことを指して言ったわけではないだろうが、なるほどな、強ちそれは間違いではないようだ。同僚が思っている小人ほど、佐々木は小さくないが。
「宮家くんも今日は早いね。どうしたの?」
「…………俺も早く目が覚めたんです」
「そっか。同じだね」
佐々木は静かに笑いながら、再びシュレッダーのボックスを持ち上げた。先程の二の舞にならないよう、明典がしっかりとゴミ袋の口を開け、ボックスの口を受け止める。残った紙屑は、ガサッと一気にゴミ袋の中へ落ちていった。
佐々木がボックスをシュレッダーへ差し込む間に、明典は掃除道具入れから箒と塵取りを持ってくる。床に散らばった紙屑は、案外簡単に塵取りの中へ収まり、他の紙屑と同様ゴミ袋へ入った。その口を明典が縛ることによって、佐々木の掃除は一段落ついたらしい。
「ごめんね、手伝わせちゃって」
「いいんですよ。俺もこのオフィス使ってますし」
「でも恥ずかしい所見せちゃったね。俺、けっこうドジでさ。この歳になっても時々やらかしちゃうんだよ」
「あぁ。それは意外でした。佐々木さんの仕事っていつも完璧だし」
「仕事はね。……でも、そんなこともないよ」
佐々木の口元は笑っていたが、目は伏せられる。そのぎこちない言動に明典は思い当たる節があったのだが、特にそのことを口にする気は起こらなかった。誰だって、触れられたくないことぐらいあるものだ。
佐々木はシュレッダーの紙屑でいっぱいとなったゴミ袋を持ち上げる。「ありがとね」と微笑む顔に、先程までのぎこちなさは消えていた。
「じゃあこれは俺が捨ててくるから」ゴミ袋を佐々木は持ち上げる。
「佐々木さん。ゴミってどこに出すか知ってます?」
「え?えーっと、確か裏の……」
彼の曖昧な答えが出終わる前に、明典は「一緒に行きますよ」と言っていた。
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