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渡辺くんの追憶。にしおりをはさみました!
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渡辺くんの追憶。
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***
「その妹を殺したの、僕なんだ」
自分の言葉が頭の中で反芻する。艮くんは声を失ったまま僕の方をただ見ていた。それが嫌悪か侮蔑かはたまた別のモノなのか今はまだ判断がつかない。それでも驚いているのだけは何となく解る。
「だからね、艮くんが気にする必要はないよ。相手の狙いは僕だと思うし」
久々に会った奴の顔を思い出し思わず笑いが込み上げた。恨みと憎しみが重なり合った鋭くて暗い眼光。あれは本気で人を殺す目だ。歳月をかけて歪んでいった狂気の目。憎くて憎くて憎くて。昔の面影は微塵も残っていない。そして奴をそう変えたのは、
僕
「……殺した?」
「うん」
「…お前が?」
「うん」
「何で」
何で?何でだっただろうか。思い出せるのは刀の重みと弾力ある肉の感触。兄の断末魔が耳を劈いて、手の甲を伝った血が妙に生暖かった。早鐘のように鳴る鼓動。その鼓動は果たしてどちらのモノだったのか。貫いている僕か、貫かれている彼女か。重なり合っていた影が崩れ落ち、半狂乱になって叫ぶ兄の姿が見えた。視線の先に落ちている赤い残骸が兄の左眼だと気づくのにそう時間はかからなかった。それが自分の所為だという事も。
「……忘れちゃった」
理由なんて無かったのかもしれない。僕がそうゆう事の出来る人間だったとゆうだけで。
嗚呼
笑える。
「渡辺。歯食いしばれ」
「え?」
顔を上げた途端、頬に衝撃が走った。地面に倒れこむ僕を艮くんが見下ろしている。一瞬何が起きたのか理解できず、艮くんに殴られたのだと気づくまでに数秒かかった。解ったところで反応が出来ない。地面にへたり込んだまま、ただただ艮くんを見上げてた。
「てめえ、何カッコつけてンだよ」
「…」
「平気じゃねえクセに笑って全部誤魔化すな」
真っ直ぐな瞳だった。
「俺に話すって決めたんだろ?だったら全部ブチまけろよ。一人で背負い込もうとすんじゃねぇ!」
正面から射抜くその感情は嫌悪でも侮蔑でもない全く別の何かで、正直どう返して良いのか解らず笑うのも忘れて立ち尽くした。だって、そんな反応をされたのは初めてだから。そんな真っ直ぐな瞳で返されてしまったら。
「俺を巻き込んだのはてめえだろ」
「…」
「だったら俺にも背負わせろ。俺を信じろよ」
ああ。
狡い。
狡いよ。
どう繕えば良いか解らなくなる。
「…六年前」
「…」
「一人の女の子が僕の家に連れて来られた。歳は十二、生きていれば僕らのひとつ上」
ポツポツと話し始めた僕の言葉を艮くんは黙って聞いていた。他の二人も同様。世界に自分たちしか居ないのかと錯覚するほど静寂が辺りを包んでる。
「当時、渡辺家は兄と僕の跡目相続で揉めていた。順当にいけば兄が継ぐべきなんだけど少し関係が複雑で僕のほうが前妻の子なんだ」
難しい話ではない。僕の母は身体が弱く跡目にしばらく恵まれなかった。だから渡辺家の存続の為に父は余所で子供を作らざるを得なかったのだ。誤算だったのはその後に僕が生まれた事。数年後、母は亡くなり父は後妻にその人を迎えいれた。
確かに普通ではないけれど兄と僕の関係は然程悪くなかったと思う。僕自身、跡目には関心がなかったし兄は周囲が心配になるほどお人好しで、競争ごとには不向きな人だった。当時揉めていた跡目相続も実際本人たちの預かり知らぬ所で起こっていただけ。だからあの時も簡単な気持ちで彼女の世話を譲ったのだ。
「彼女の退治が決まるまで僕らに世話をするよう言いつけたのは上だ。事実、この事が後に跡目相続に響くのは解っていた。けど僕は断った。代わりに兄が彼女の世話を担ったのだけど……兄が彼女に惹かれていくのを気づかなかったと言えば嘘になる」
兄は愛してしまった。相容れぬはずの彼女を。可憐で清楚な鬼の彼女を。
「或る日、兄は僕に言った。彼女を逃がす方法はあるだろうかと。僕は驚いて答えられなかった。品行方正な兄がそんな事を言い出すとは思ってもみなかったから。兄はすぐ訂正した。何でもない、忘れてくれ、て。ただ誰にも言わないで、そう付け加えた。僕は黙って頷いただけだった」
あのときの気持ちを、未だどう表現して良いのか解らない。正直、兄に跡目は継いで欲しかった。僕自身面倒だとか興味が無いのも確かだったけど、何より兄が後妻の子として散々周りから陰口を叩かれ、それでも笑って人一倍努力をしてきたのを僕は知っていた。不器用だけど真面目で素直で優しい人。当主には、ああゆう人がならなくてはならない。ああゆう心ある人が。だからそれを望んでいたけれど。
『彼女を逃がす方法はあるだろうか』
あのとき、僕の心は凪いでいた。とんでも無い事を言われてる筈なのに何故か嬉しかった。ただ単に自分より年上の人間から相談事をされて気分が良かったのかもしれない。実際、兄の相談相手が自分だとは思ってもみなかった。でも、多分そうじゃない。初めて見たからだ。兄の、誰に言われやらされてるのではない兄の、あの人の意志を、初めて見たから。だから騒ぎ立てるつもりも告げ口する気もなかった。ただ幸せになって欲しい、そう思ってた。なのに、
「……三日後、兄は彼女の脱獄に失敗した」
僕が駆けつけたとき、彼女はその手に持つ刀で見張りだった男の腹を貫いていた。もう一人は既に地面に沈んでて、むせ返る血の匂いに思わず息を飲んだ。兄も同様に佇んでいて、彼女が動いた。兄の方に足を動かす。走り出したのは本能だった。どうにかしなければ、ただそれだけだった。彼女が僕を見る。掴んだのは倒れてた見張りの刀。彼女が兄に近づいて、
『裏切り者…ッ』
崩れゆく彼女を抱きながら兄が地を這うような声で僕にそう叫ぶのを聞いていた。血で滑って手元の刀が落ちる。兄は泣いていた。泣きながら僕を罵っていた。
ただ幸せになって欲しかっただけなのに、
なのに僕が、
僕があの人を、
「兄は彼女を連れてその場を去った。見張りは一命を取り留めたけど、脱獄を幇助した罪で兄は破門」
仮にも渡辺の長兄だった人間の処分に御家の奴らは慌てた。そして脱獄された事自体、醜聞とした源氏と四天王家は…
「隠蔽した。彼女を連れてきた事すら無かったことにしたんだよ」
上から箝口令を強いられ家で兄の名は禁句となった。何処に行ってもその名は出される事がない。まるで存在すら無かったかのように触れられる事はない。
「…だから貴方の討伐記録は無いのですね?」
小角玄が静かにそう問うた。
「けれど当時から噂だけはあった。齢十一にして鬼を退治した子供がいると…」
「噂…ね」
どんなに箝口令を強いようが人の口に戸は立てられない。本当はそれで良かった。嘘がばれて弾糾されれば良かったのだ。けれど実際にはそうならなかった。
「隠蔽後、母に呼び出された。後妻で嫁いだ兄の実母だ」
責められると思った。兄のように、母にも手酷く罵られると思った。息子を失ったのだ、それくらいの事は覚悟していたけれど。
「…褒められた、鬼を殺した事」
公に出来ないのが辛いけれど、流石は渡辺の血を引く子だ。そう褒められて開いた口が塞がらなかった。殴られたんじゃないか、てくらい頭が痛くて目の前がグラグラした。手に汗を掻いてる。あのときの返り血みたいに手がグッショリ濡れてる。殺したのに。人を殺したのに。褒められてる。
なんの冗談だろう。
そう何度も思った。
でも冗談なんかじゃない。
ここは狂ってる。
そして僕も。
そう思った。
「…っ、」
艮くんの歯をくいしばるような音が聞こえたけど顔は見えなかった。代わりにあったかい体温に包まれている。地べたに座ってるから顔が艮くんのお腹に当たって苦しい。けど引き剥がす気にはなれない。いつもの、太陽みたいな匂いがする。
「もしかして…同情されてる?」
「違う…、ンなもんじゃない」
いや、でも小鬼ちゃん達の前でこんな事するなんて感情的になってるとしか思えないけど。
「……出来ねえから」
「え?」
「そン時のお前にしてやる事は出来ねえから…、いまやっといてやる…」
「…」
それって…あの時の僕にこうしたい、てこと?
「…ソレ同情じゃね?」
「チビは黙ってろ!」
小鬼ちゃん達の前とゆう事は解ってるらしい。解ってて敢えてしてくれた。
「同情じゃねえ。…子供は無条件で愛されて良い、そうゆう生き物だ。……泣きそうな顔してたら尚更」
小さいけど芯のある声。艮くんのお父さんとお母さんは良い躾をしてきたんだね。そう呟いたら艮くんが「普通」と答えた。普通かな?普通ならその普通は凄い。こんなにも僕のつっかえを溶かしてゆく。
されるがままだったのをギュッと抱き締め返す。
「…で、どうすんだァ?これから」
「オークションのケリをつける」
「安部に迷惑が掛かるようなら俺らは関われません」
「解ってる。玄たちには充分手伝って貰った。無理強いはしねえ」
バンと背中を叩かれ我に返った。さっきまで抱き締めてくれてた艮くんがしゃがみ込んできて目を合わせる。
「…お前もケリつけろ」
「…。」
「兄貴と話し合え」
字面にしてしまえば強制的な物言いも、実際は優しさに溢れていた。ちゃんと話し合え、そう言ってるのだ。今更だ。もう手遅れだって、そう思うけど。
「…そうだね」
そう口から出たのは本心だった。
今更、手遅れだって思うけど、あの人を変えてしまったのが自分ならば、向き合う義務が僕にはある。
「あのときより最強の助っ人もいるしね」
「…?」
「何でソコは鈍ィんだよ」
小鬼ちゃんに蹴られて艮くんがブチキレた。
彼となら本当に進めるかもしれない、一歩前に。あのとき彼を巻き込んだ直感を、信じてみても良いのかもしれない。彼の言う通り、僕は彼に運命を半分預けてしまった。だから。
「…良い顔になりましたね」
小角玄の瞳に映っていたのがそうならば、確かにそうかもしれない。
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