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焼かれた手紙
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正直に白状いたします。先生を初めて見たあの日から、私は先生を愛してしまっていたのです。
なぜか私に魅了されないのであるそのお暗い性格から、常に何かにびくついているような暗い笑顔、才能を持ちながら、人の憎まれ口に負けて折角の才能も持て余してしまえるようなその凡人臭さ、その、常に悲しんでいるかのような平凡極まりない容姿も含めて、何から何まで、私には貴方の愛せぬところは存在し得ないとまで思ったのでした。
周りの人間がハッとしてしまうほどの呪われたような美貌をもっている私は、よく注目の的となりました。私と話した人みな呪われたように「かっこいい」「才能があるな」などと同じようなことしか言いませんでした。そんな安全ではあるが退屈な日常の中に、生まれて初めて、薄気味悪げな視線を投げてきた貴方に、私は惚れしまったというわけなのです。
惚れる、などと言う俗悪なことばすら、その気持ちを表すのに事足りなかったやもしれません。気づけば、私は貴方のことを考えておりました。朝はどのように目覚め、昼はどのように過ごすのか。夜は?いったいどのような陰鬱な考えが、あの方の脳裏をよぎるのかしらん。
ああ、貴方の存在が喜びであり、私の存在はまるで、地球を周回する月のように、貴方に依存し紐づけられているのだと、私は繰り返し思い、またそうであるように願いました。
ある日貴方を見つけて、それから次第に、熱を込めた視線を気づいたら貴方に送っていることが増えていきました。最初はそのうちに私は飽きてしまうだろうと考えてはいましたが、それが三日に一回、二日に一回、一日、一時間、三十分と時間が短くなるにつれ視線を送る回数が増え、貴方の怯えたような暗い顔がついに私の視線を恐る恐る辿って、こちらにまで伸びてきたとき、はじめて目を合わせたのです。
忘れもしますまい。目が合うと私は私を取り囲む信者を跳ね除け、ゆっくりと口角を上げながら貴方の方に近づいていきました。貴方は恐ろしくなったのか後ずさりしましたら、すぐ後ろにあった壁に背がぶつかり、その壁にへばりつくようになっておりましたので、私はますますその愛らしさに口角を上げて、
「私は貴方の事をお慕い申しあげております。」と申し上げ、手紙を差し上げると、顔が赤らむのを感じました。
貴方はその時、おぞましくて堪らない、といった蒼白の表情で、おずおずと、手をわずかばかり差し上げて手紙を受け取りましたね。
貴方と出会うまで、私には恋愛などというものはわかりませんでした。出会うどの人間も私を狂信し、男も女も、私のために尽くし、喜んで財産や時間を投げ打ってはくれましたが、私は未だにその気持ちが、その狂妄のありようがわかりませんでした。
私が時間や財産、名誉までも投げ打ってまで、つなぎ留めたい相手など見つけた試しがなかったのです。
私は人並みに相手に尽くしたいなどと思いません。しかし、平凡極まりないくせに、私に同調しない貴方、いつも陰気な雰囲気の中に耽美なものを漂わせている貴方にならば、私は人が変わったように尽くせるのではないかという気がしたのです。あこがれうるほどに醜悪なものに仕え、そして、尽くすこと。それを愛と信じることにしたのです。
今思えば、それこそが連綿と続く悪夢のはじまりでしたものを。
私が思いの丈を打ち明けたあの日、貴方は、私と恋愛をしたらどうなるのかと、告白の一瞬のうちに打算をしたようでした。ええ、そのくらい存じております。だからこそ、私のことを、薄気味悪がりながらも傍においてくれたのでしょう。
私を傍において薔薇の花園や公園の池の周りを歩き回っておれば、貴方は、どんな栄誉もほしいままでした。貴方に悪態をつき、小説を踏みにじったというあの先生や、貴方を下に見て私の劣等感を紛らわそうとした人間、貴方の作品を駄作だと言って私自身の作品を持ち上げる人間たちは、貴方が私と付き合うことで、すっかりとその評価を覆し、貴方に媚び諂いました。
ええ、そうですとも。貴方は思った通りに私と付き合うことの利を得ていたのです。そうして私は、貴方が万事うまくいったとほくそ笑むお姿に、ほれぼれとしていれば何の問題もなく、何も考える必要もなく幸せだったのです。
私は貴方に従順でしたが、しかしそれは、貴方に嫌われたくなかったからだけではありません。
貴方が原稿を書けと言ったら貴方の名でそれを書きましたし作品のネタとして商品を盗んでこいと言えば盗みも平気で行いました。それは、貴方の凡人じみた傷つきやすい、腐りかけた、それゆえに美しく悲しい平凡の心を護ることの喜びでした。
生まれつきの整った心を持ち、誰にでも称賛されるために生まれてきた私のようなものからしたらば、貴方の醜くねじ曲がった性根は、私には得難くもの珍らしいもののように思われたのです
そして貴方が私の綺麗な顔をみて、腹を立てて殴っても何も言いませんでした。それをいいことに貴方がことある事に私の綺麗な体に傷をつけてくる度、私はこれでもう一つ貴方と私の間だけの秘密ができたのだと、例えば名誉の傷を負った軍人のような、無闇に誇らしい気持ちをさえ感じていたのです。
狂っている、とお思いになるでしょうか。そうです、恋愛とは元来、狂ったものでなければならなかったはずです。哲学者のいうところによれば、恋(エロース)とは私の中の不足を恋い慕う心の動きであったはずではありませんか。
私の中にない影を、悲しみを、不活性の、くすぶった才能の片鱗を貴方に見出したあらこそ、私は貴方を恋い慕ったのです。その異常な陰気さは、生まれつき快活のみを与えられた私には、おおよそ持ち合わせるはずのないものでしたから…
才能をもちあわせた私を傷つけることに、貴方は快感を覚えていました。きっとその行為は、貴方の鬱屈をやわらげ、まるで、私の上位に立ったかのような錯覚を、しばしとは言えその心に刻み付けたのでしょう。
この世に絶望していたかのような貴方でしたが私を傷つけている時だけはえも言われぬほどに生き生きと、貴方は輝いており、その表情を見るだけで私には幸福と言うものがなんであるかわかるような気さえしたのです。
痛みなど、不名誉など、犠牲など、その、醜くも愛らしい表情の前に何であるのか。そういった喜びが、私に無辺の夢を見させ、強く強く、更に貴方への愛を深めました。
そうして私は己を投げ打つ自信を得ていったものでした。
全てが順調だと思いました。すべてが完璧だと思いました。ですが、貴方は私の許を去りました。
血が滲む程の努力の末手に入れたであろうはずの苦労をした大学をすら中退し、調べてみれば、単身田舎などへ引越していたではありませんか。
何故。何故、何故、何故。
愛の薔薇は今やその香りを失い、その棘のみが心に刺さるのです。今までの骨折りも、忍耐も、貴方の愛が勝ち得られて初めて意味を持ったのに。それなのに。
それらは、急に愛の証ではなく、貴方の犯罪、過ち、そういった醜いものに、私の中で姿を変じてしまったのです。
そうして私は、貴方の打ちひしがれ、私を棄てたこと後悔をし、その罪の重さに打ちひしがれる姿を見たくて、今日まで生きてきたのです。
貴方の行方を掴むために私もまた、大学生という地位を投げ出し、そこにいた狂信者どもも投げ出し、長い年月を費やし、果ては家族や家柄といったものをすら投げ出しました。
憎しみが、その頃はもう愛の居た位置を占めていました。とろとろとした、ぬばたまの、深い闇のような、穏やかと呼んでもいいほどの、表面上は静かな、底の知れない、奥の深い、憎しみです。そしてそれは、同時に愛のようでもありました。
貴方のすべてを所有したいという願い。そう、その最期すら…
それを愛と呼ばずして何と呼んだものでしょう。この、愛と憎しみは、表裏一体のものでした。そうして、今もそうなのです。
今私は、貴方の家へ向かっております。
おお、可愛そうな貴方!お聞きしました、そろそろ、その屈折した才能が芽を出しかけているのだと。この時を、私はどれほど待ち望んでいたことでしょう。
私が貴方に去られ、悲しみのどん底へ突き落されたのは、すべてが完璧となろうかというときでした。あのまま行けば、貴方は私なしでは存在し得ない、私なしにはだれの目にも止まらず、小説の題材一つ取ってこれないような、情けなくも、私にとって愛くるしくてたまらない存在となり果てていたに違いないのですから。
それなのに、貴方は私の許を去りました。残された私の、どんなに狂おしく、物悲しかったことでしょう。
その苦しみを同じように味わってほしいがために、私は貴方の才能が芽吹き、(もともと不完全な貴方の所業ですから、私のように完全にとはいかぬまでも、)ささやかな人生の絶頂の春の来る、その予感の時まで会いに行くのを待っていたのです。
送りました一輪の花は、竜胆と申します。先生は、花言葉というものはご存知でしょうか。
竜胆の花言葉は「悲しんでいる貴方を愛する」という意味です。
今私が携えております小説は、貴方の心を不幸に陥れるのに充分なものであるはずです。
ずっと、お慕いしておりました。ずっと、この小説をしたためてまいりました。
今私が手にしておりますのは、貴方への長く烈しい恋煩いの思いを綴った、その恋文でありながら、貴方の栄光を呪い破滅を願ってその胸へ突き立てる、一本のナイフです。
さあ、私の目の前で、過ぎ去った日々を懐かしみ、途方に暮れる姿をどうか、お見せください。私の目の前で今までの仕打ちを悔やみ、そうしてこの仕打ちに終わりを告げるべく、貴方に題名を付けていただきたい。貴方は、弟子として参ります私との生活、全き愛の生活に戻るのです。
恐れられていることを知っています。知りながら、再び元の生活に戻りましょう。
もはや、私の天国は、貴方の地獄にあります。
貴方が恐れ、悔やみ、苦しみ、後悔に満たされる時。
その時私は、初めて愛の喜びに満たされるのです。
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