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✽縦皺と横皺✽ 8にしおりをはさみました!
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✽縦皺と横皺✽ 8
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翌朝、新橋で汽車を見た那由多は何時もの驚いた顔というよりは、よもや不安げな顔であった。
馬車鉄道より遥かに大きく、馬もついてない。何だか恐ろしゅうて乗ることを躊躇った。
「どうしたのです!さぁ、参りますよ!」
トシに促されおっかなびっくり汽車に乗車した。乗った下等の汽車の中は進行方向を向いて座る板の間の席で、他の客の様子を見ながら席に着く。あちらの方は正座をしているが、こちらの方は椅子に腰掛ける様に座って居られるし、どちらが正しいのやら。
「──ひゃあ!!?」
出発を知らせる鐘の音に続き汽笛がなると、那由多は飛び跳ねトシにしがみついた。トシも声こそ出しはしなかったが、目を丸くして胸を押さえている。
真にこれに乗って広島に行くのかと那由多は増々不安になったが、汽車が動き出すと窓から見える景色の流れる速さに「わぁ〜」と感嘆の声を漏らした。
官有鉄道で新橋から御殿場へ向かっていくと、汽車は海岸沿いを走っていく。那由多は産まれて初めて見る海に感激し、食い入るように見つめていた。
「.....海とはこんなにも大きいものなのですね、初めて見ました...」
「そうですか。...私は海の近くで育ちましたから、嫌と言うほど見て過ごしました」
そう答えたトシは憂い顔で海を眺めていた。
その顔に何時ものトシの覇気はなく、何ぞ嫌な思い出でもあるのやもと聞かずにいたが、ふうと息を吐き出したトシは風呂敷から握り飯を出して那由多に渡すと、「長旅ですから昔話しでもしましょうかね」と自分の半生を話し始めた。
トシは下総国の印旛沼という海跡湖の近くの産まれで、印旛沼は江戸を洪水から守る為に長期に渡り工事を繰り返した。その役割を果たしたと同時に、広く関東平野における洪水の防御、灌漑、新田開発に寄与し、また舟運整備によって江戸を中心とする関東各地、さらには東北各地を結ぶ物資輸送の動脈を確立したが、その一方では利根川上流からの多量の土砂等が下流に運ばれて堆積し、その結果として印旛沼は利根川の氾濫のたびに水が沼に逆流し、多大な洪水被害を蒙ることになった。
そんな軟弱な土地の農民の子であったトシは、ある年の飢饉の時、自分を食糧と引き換えに旗本に差し出す相談を親がしているのを聞いてしまう。親より遥かに齢が上の男の妾になる事がどうしても我慢ならなかったトシは家を飛び出し、それから今まで一度も帰った事はなかった。
「親を捨てて、歩いて歩いて江戸に行きましてね。住み込みで置いてもらえる所を探して回ったんですよ」
「そうだったのですか.....」
「幼い頃から勝ち気な性分でしたので、絶対に帰ってなるものか!と、あちこち御屋敷を転々としながらこの歳です」
皆多かれ少なかれ何かを抱えて生きているのだなと、那由多はトシの話しを聞き続けた。
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