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蘇る過去の記憶ににしおりをはさみました!
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蘇る過去の記憶に
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温い夏の夜風が頬を撫ぜ、歩みを進めるごとにじっとりと肌に汗が滲む。ポツリポツリとしか街灯の存在しない暗く静かな田舎道に、我こそはと鳴く蝉たちの声がけたましく響いていた。タオルを持っ出ててこなかったことを後悔しつつ、有紀はシャツの肩口で額に浮かぶ汗を拭った。隣を歩く咲耶を横目で盗み見れば、咲耶の首元にも髪の襟足が汗で艶かしく張り付いていた。普段いくら涼しい顔をしていても夏の暑さはさすがに堪えるらしい。僅かに眉を寄せながら、掌でパタパタと扇ぎ、顔に風を送っていた。その姿が妙に似合わず、有紀は笑みを零した。
「・・・何が可笑しい」
笑われた事が不満だったのか、不機嫌に咲耶が問う。情事に更けた後咲耶が惚けているのを良いことに、一緒にシャワーを浴びベッドに向かったは良いが、今時冷房の無い室内のうだる暑さに我慢ならず、有紀は咲耶を半端無理やり部屋から連れ出した。
「いや、可愛いなって思っただけ。暑いのは苦手?」
「いや、そんなことはない。夏の眩しいくらいの太陽はむしろ好きだ」
「そっか。俺は特別夏が好きってことはないけど、花火とか夏祭りとかイベントが沢山あるところは良いかな」
「意外と庶民的なとこもあるんだな」
「そこら辺の感覚は別にみんな一緒だと思うけど」
有紀はくつくつと小さく笑い、少し下にある咲耶の手をそっと握る。咲耶の掌は少し冷えていて心地良かった。突然触れられたことに驚いたのか咲耶の肩が一瞬揺れ、瞬きを繰り返す瞳とかち合う。クールなフリをして、本当は初心なことを有紀はもう知っていた。こんな1つ1つの動作すらも愛おしく思える。
「今年はお祭りも花火も咲耶とたくさん行きたいな」
蒼穹は多忙で家を開けることが多く、上流階級思考の母親は有紀をそういった庶民的な催しに参加させることを嫌がった。そのため有紀にはこれまで夏を満喫した楽しい記憶がない。それも仕方のない事だと諦めて生きてきたが、こうして折角想い人と一緒になれたのだから、恋人らしい事を一つの取りこぼしもなく堪能したいものだ。
「俺も有紀と色々な場所に出かけたい。夏だけじゃなくて、その・・・、同じ場所に出かけた記憶をたくさん共有して、もっと有紀との時間を埋めたいんだ・・・」
「咲耶・・・」
咲耶は俯きながらも一言一言丁寧に言葉を紡いだ。その言葉には有紀への愛しさが切に込められていて、有紀はここが路地だということも忘れ、咲耶をきつく抱きしめた。
「本当、俺を殺す気?これ以上好きになりようがないのに・・・」
咲耶の耳に唇を寄せ熱っぽく呟く。それでも胸に立ちこめる想いはこんな言葉じゃ伝わらない。
「今直ぐに咲耶を裸にして全身にキスをして、俺がどれだけ咲耶のことを愛してるか教えてあげたいのに」
「馬鹿なこと言うな・・・っ!場所を考えろ!」
月明かりの下で咲耶の白い頬にサッと朱が差す。突きはなそうと有紀の胸を押す腕を掴み、掌に口付ける。
「場所を変えればしていいの?」
しまったというように咲耶の目が見開く。付き合う前は感情が読めず本当に通り名のような氷の女王だと思っていたが、咲耶は存外表情豊からしい。気を赦してくれたからこそ見せる咲耶の様々な表情が有紀は堪らなく好きだった。
「・・・アイス、買いに行くんじゃなかったのか」
咲耶は有紀の指先をキュッといじらしく握った。可愛くて愛おしくて心にブワッと花が咲き誇る。
「そうだったね」
極上の笑みを咲耶に送ると、手を繋いだまま有紀は歩き出した。こうして咲耶といると、時間が秒速で過ぎていくように感じる。薄っすらと明かりの見えてきた駅前のコンビニエンスストアまでの道のりも、もっと長ければ良いのにと馬鹿な考えが浮かぶ。
「星が、綺麗だね」
「本当だ。あれは、ヴェガか」
「んーどれどれ?」
「頭上の1番目立つ星だ」
咲耶の指差す夜空を見上げる。そこには確かに数多の星々の中でひと際輝く星があった。夏の大三角形の一角を成す星であり別名織姫とも呼ばれる星。
「ヴェガを見つけたなら、アルタイルも探してあげなきゃね」
「違いない」
冗談めかして言う有紀に、咲耶は優しく笑い返した。
「あ、見つけた」
ヴェガよりも少し斜め下に瞬く星、アルタイル。
「俺も見つけた」
のんびりと2人で手を取り歩きながら星を眺める。なんて優しい時間なのだろう。願わくば永遠にこの幸せが続いたら良い。
「あ、駅に着いたぞ」
咲耶の声に有紀は視線を空から戻す。まだ終電までは時間がありシャッターは下りていないが、流石田舎。こじんまりとした駅は閑散としており、隣にあるコンビニエンスストアの蛍光灯の光に呑まれてしまいそうだった。有紀の見慣れた駅前の景色とはあまりにかけ離れている。
「え・・・どうして・・・」
急に脳の深部がピリピリと痛み出す。見知らぬ景色のはずなのに、妙な既視感が有紀を襲う。忘れたい過去。記憶の奥底に沈めたはずの想い出が有紀の意思を無視して浮上してくる。
「有紀・・・?」
咲耶は訝しげに眉を寄せ有紀の顔を覗き込んでくる。その様子が今は曇ったレンズ越しの映像のように映る。古びた木造の駅。降りかかる冷たい雨。暗い灰色の空。絶望に引き裂かれた心。そしてアイスグレーの瞳をした少年。
「そうか、ここだったのか・・・」
薄れていた記憶が鮮明に蘇ってくる。あの日。有紀が迅に完膚なきまでに打ちのめされた日、有紀が電車に揺られたどり着いたのはこの街だったのだ。病院から連絡を受けた蒼穹は車で有紀を迎えにきたため、有紀は駅の名前も街の名前も知らず仕舞いだった。辛い過去を必要以上に思い出さぬようにと、その後蒼穹は有紀に街の所在を明かしはしなかった。
「有紀、本当にどうしたんだ?駅に何かあるのか?」
過去に意識を奪われていた有紀を咲耶の声が呼び戻す。アイスグレーの瞳が不安に揺れていた。そう、この瞳と同じ色を持った少年に有紀は救われたのだ。
「咲耶、もしかしてこの街に来たことがある?」
「え・・・、どうして急にそんな事を聞くんだ?」
「いや、ごめん。今聞くことじゃなかったね。アイス買って部屋に戻ってからゆっくり話すよ。気分の良い話じゃないんだけど・・・」
「どんな話でも良い。俺の知らない有紀の話なんだろ?」
有紀の手を握る咲耶の指に力が篭る。有紀は真摯に見つめてくる咲耶の頬をそっと撫でた。咲耶ならきっと受け止めてくれるだろう。どんな情けない過去でも。有紀は指先から伝わる愛しい温もりを噛み締めた。
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