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壱にしおりをはさみました!
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壱
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柔らかい草の上に寝転がると、土の芳ばしいにおいがした。
その香りを深く吸いこんで、大きく吐きだす。
自然に身を委ねれば、からだがしっとりと土に沈みこみ、風がそっと肌を撫でていく。
「はあ……」
なんて心地いいんだろう。
ゆっくりと目を閉じたとき、ふいに上から声が降ってきた。
「殿下、そこにおられましたか」
驚いて目を開ける。
壁に開いた明かり採りの窓から、柔らかい灰茶の髪を豊かに垂らした色白の男が顔を出していた。
「伊万里(いまり)」
目が合うと、彼は目元を綻ばせた。
「そろそろ上がってきてくださいませ。
殿下に物事を教えて差し上げるこの時間が、わたしの唯一の楽しみなのです」
「ああ、すまない。
いますぐ行くよ」
苦笑して起き上がる。
忘れていたわけではないが、たまにはさぼっても怒られないだろう、なんて考えは甘かったようだ。
──しかし、なぜ居場所がばれたのだろう?
そう思ったとき、上の方でチュイ、と高い鳴き声がした。
見上げれば、耳としっぽの長い小さな生き物が、手すりの上で毛づくろいしている姿が見えた。
「チィが、ここに連れてきてくれたのですよ」
にっこり笑いかけられ、思わず首のうしろを掻いていた。
どうやらあの小さな獣にはすべてお見通しだったらしい。
おれは踵を返してぐるっと壁伝いに行き、縁側から屋敷の中へと入った。
「お待ちしておりました」
机の横に、すらりとした長身をまっすぐに伸ばして立つ男をみとめる。その目が怒ってはいないことをちらりと確認して、おれは苦笑しながら机の前に腰を下ろした。
「殿下、背中に草がくっついておりますよ」
「ん? ああ……」
「いつまでもやんちゃでいらっしゃるのは殿下の美点でございましょうが、屋敷の中を土や草のついた足で歩き回るのはお控えくださいませ。
ただでさえ、獣の足あとやらなんやらで、侍女たちは手いっぱいですのに、そのうえ殿下までもが……」
「ああ、わかった、わかったから!
今後気をつける」
伊万里はにこりと笑った。
「わかればよろしい。
では始めましょうか」
「……」
この男は滅多に怒らないが、いちいち小言が多い……
思わずため息をついたとき、トン、と肩になにかが乗った。
「……チィ」
すました顔で肩に乗る小さな生き物を恨めしげに見やる。
チィはふかふかの栗色の毛を小さな舌で舐めながら、からだの二倍ほどの長さもある尾をゆらゆらと振った。
「今回はこれまでの復習も兼ねて、使い魔についてお話しましょう」
「そのことなら、たっぷり学んだ気がするが……」
「殿下、学びに限界はありませんよ。
わかる範囲までで結構ですので、使い魔についてわたくしに説明していただけますか」
おれはごほん、と咳払いする。
肩に乗ったチィに腕の上を渡らせ、机の上に座らせた。
「使い魔にはおおまかに二種類のものがあり、一つは術者が使役する獣や鳥のような生物。もう一つは、魔界から呼び寄せたこの世ならざるもののことだ。
前者は人を助けるが、後者は人を滅ぼすと言われている」
「魔界からの召還は禁忌とされています。術におぼれて道を悖れば、必ずその報いがくる。
神や精霊のような天界のものも、悪魔や魔人のような魔界のものも、決して我々人間がたやすく触れていいものではありません。
人の手でとらえることはおろか、支配しようなどということは、太陽を片手で掴もうとするのと同じくらい愚かなことです」
伊万里の言葉に、あごを指で撫でながら頷く。
「だからといって、獣や鳥が我らより劣るという話でもない。
術者は使い魔を一方的に縛り従えるのではなく、相手に己の力量を認めさせ、なおかつ彼らにも利のある契約を結ぶことで、ようやく手元にくだすことができる」
「契約の内容は様々あるわけではなく、共通してあります」
「主の死後、その魂を喰わせること」
「いかにも。
術者との契約で使い魔になった獣は霊獣となり、不死のからだを得、術者が死んだあとその魂を食べることで穢れを落とし、清らかな身となって新しく生まれ変わることができると言われています」
「獣にとって人間が穢れであるように、人間にとっても獣は穢れなのか?」
首をかしげて言うと、伊万里はふっと微笑んだ。
「殿下、だとしたら、我らは穢れたものを普段口にしていることになってしまいます」
「……ああ」
「獣にとっても同じことです。人間の肉を食べる獣も存在します。
この場合の穢れというものは、術という見えない鎖で繋がれることにより生じるもののことを指すのです」
「術が穢れていると?」
「本来、獣や鳥は野を駆け、空を羽ばたき、自らの意思と本能によって生をまっとうする生き物です。
その首を鎖で繋ぎ自由を奪うこと、それ自体がこの世の摂理を否定する愚かしい行為であり、穢れなのです」
おれは頷いた。
「……ならば、チィも穢れているのだな」
大きな眸を覗きこむ。主と同じ、透きとおった灰色の眸。
「とはいえ、直接獣に話を聞いたわけではありません。
転生も、穢れも、我々人間が目にしたものをもっとも適当な物語として記し、納得のいくかたちに落とし込んだ結果にすぎません」
おれは伊万里の顔を見、逸らして、チィの顔をじっと見つめた。
「……ではもしかすると、主の死後に使い魔がその魂を喰うのは、最上の敬愛のしるし……ということも、あるのかもしれないな。そうだろう?」
伊万里はちょっと目を丸くした。
それから、まだ少しあどけなさの残る主人の、精悍な横顔を見つめ、微笑んだ。
「……ええ、きっと」
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