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2にしおりをはさみました!
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滞りなく支度を済ませ、明朝、一行は出発した。
「殿下が御自ら山歩きなどもってのほかです、駕籠を担がせなさい」と伊万里は言ったが、おれが二日間もそんなものの中でジッとしていられるはずがない、荷になるだけだと断固として拒否し、結局、先行する芒の隣を歩く形におさまった。
その後ろに春臣、物資運びの男たち、しんがりに日向という、いかにもこぢんまりとした行列である。
護衛をつけるべきではという話も出たが、そんなに獰猛な獣はいないから大丈夫だという芒の言葉で、最低限の男衆のみ雇うにとどめることにした。
その方が森の獣たちを刺激せずに済むだろうということや、少人数であるぶん迅速に移動することができるという点を考慮した結果でもあった。
緊張により皆言葉少なだったが、初日は天気もよくかなり快調に進んだ。
途中、ぽっかりと森が途切れた平らな道を見つけ、まだ日暮れには早かったが、予定よりも距離を進めたこともあり、そこで一夜を過ごすことに決めた。
夜、屋敷に置いてきたチィがひょっこりと野営場所に現れた。
「伊万里からの伝言みたいです」
そう言って、芒はしばらく無言で耳を傾けていた。
芒がチィの頭を撫でて礼を言うと、チィは満足そうに尻尾をふった。それから、あぐらをかいたおれの足の上にちょこんと乗っかってきて、からだを丸めた。
「伊万里はなんと?」
「病の件でした。
手抜かりなく調査したが、気になる病があるという情報はひとつも見つからなかったみたいです」
おれは微かに頷いた。
「ではこれから病が出てくるということか。 この隊の者でなければよいのだが……」
芒がちょっと首をかしげる。
「けど、なんの前触れもなく発症する病なんて、おかしなものですね。
それとも、神さまが試練として病をふらすのでしょうか」
おれはハッとして芒の顔を見た。
「……だとしたら、その悪しき病とやらが降りかかるのは、おれ自身ということになるな」
──そして、その予感は当たった。
はっきりと症状が出たのは、翌日の昼刻であった。明朝に目を覚ましたとき、一睡もしていないかのような気だるさを感じたが、足取りは悪くなかったからさほど心配はしていなかった。
しかし、次第にからだの芯から冷えが広がるような寒気を感じるようになり、視界が波打ち始め、ひどい目眩に立っていられず、幾度か木陰にうずくまって吐いた。
そのおかげで、その日は前日の半分も進むことができなかった。
「──これより先の道程は、日向さまにお願いして背負っていただきましょう。
この調子では先へ進むことはとてもできません」
主人の額の汗を、濡らした手ぬぐいで吸い取りながら、春臣はひとりごとのように言った。
夜になってから急に熱が出た。からだの節々に走る鈍痛にうなされ、たわごとを繰り返す主人を、春臣はずっと隣につきそい、看病していた。
そしていま、ようやく落ち着いたところだった。
「枸々さまがいらっしゃれば、少しは殿下の苦しみを和らげてさしあげることができたでしょうか。
こんなにおそばにいるのに、わたしはなんの力にもなれない……」
春臣は手を伸ばし、自分より少しだけ大きい主人の手を握った。
ひんやりとした感覚が伝わったのか、志野はゆっくりと目を瞬き、春臣の顔を見上げた。
「……はるおみ」
掠れた小さな声だった。
彼はつばを飲みこみ、乾いた唇を舌で湿らせた。
「もういいから、少し、眠ってくれ」
主人の目を見つめて、春臣はゆっくりと首を横にふった。
「殿下、いまは御身のことだけをお考えください」
水を飲ませるため、春臣は繋いでいた手を離した。
と、追うように彼の手が伸びてきた。
「それなら、ずっとおれの手を握っていてくれ」
一瞬、春臣の目が丸くなった。
喉の奥がじぃんと熱くなる。どうしようもない想いに突き動かされるように、自分の方へ伸ばされた手を春臣はしっかりと両手で包み、祈るように額をのせた。
「おれ、見苦しかっただろう。皆、きっと、見なかったふりをしてくれるのだろうな」
自嘲と疲れがにじんだ主人の声に、春臣はきゅっと唇を噛む。
いっそ、大声で泣きたい気分だった。
「……なぜ」
「うん?」
「なぜ、神は、このような残酷な試練をお与えになるのでしょう。
これでは、病を治してほしければ跪いて乞え、とおっしゃっているようなものではありませんか」
面白いものを見るように、主人の目に笑みが浮かんだ。
「あながち、外れておらぬのではないか。
神は、おれが従順なしもべではないことを見抜かれておいでだ。それゆえ、こうした手段に出たのかもしれないぞ」
春臣はあからさまに顔をしかめた。
珍しい表情を見て、彼の主人は喉を鳴らして笑い出した。
「殿下、笑い事ではございません。
そのお考えが正しければ、神とは自分より弱き者を恐怖によって従わせる、極悪非道の輩ではございませんか」
そう言い終える前に、彼は盛大に吹き出し、熱があるのも忘れたように笑い転げた。
春臣は憮然としてむっつりと口をつぐみ、肩を震わせて笑っている主人を恨めしげに見つめた。
ようやく笑いの波がおさまると、彼は疲れたようにため息をつき、額を抑えた。
だが、口元には笑みが浮かんだままだ。
「神を極悪非道の輩呼ばわりとは、ああ、恐れいった。
おれは春臣を誤解していたかもしれない」
「どういう意味でしょうか」
「いいや……そうだな、おまえは、昔からそうだった。
どんなときでもまっすぐで、けっして自分に飾りをつけない。皇子だろうが、侍女だろうが、神だろうが、おまえにとってはどれも等しく在るのだろうな」
ふいに優しい目で見つめられて、春臣は戸惑った。
「わたしは、殿下と侍女が等しいものなどとは、思っておりませんが」
「いや、そういうことではない。
春臣、おまえはわからなくていいのだ。それを無意識にやっているのが、おまえのもっともよいところなのだ」
「はあ」
腑に落ちない様子の春臣に微笑みかけ、志野は繋いだ手をそっと引き寄せた。
前かがみになり、わずかに距離が近づく。
主人の目にもどかしそうな色が浮かんだ。
「はあ……はやく屋敷に帰って、おまえを存分に抱き締めたい」
繋いでいない方の指で、鎖骨にあるほくろを撫でる。その仕草が彼の愛撫の感触を春臣の肌にありありとよみがえらせ、彼は思いもよらず、ぞくぞくとからだを震わせた。
志野の目が細くなった。
「そういう顔をするものではない。熱が上がるだろう」
低く、甘く、志野の声は鼓膜を震わせる。熱のせいか、息をたっぷりと含んだ艶のある声色は、充分なほど頭の芯を痺れされた。
「……仕方がないな、おまえは」
もう限界だった。
春臣は弾かれたように主人の首にしがみつき、彼の乾いた唇と己のそれを重ね合わせた。
吐息が熱い。口内に這わせようとした舌は彼の舌に絡め取られ、ねっとりとなぶられる。息継ぎの合間に覗きこんだ目は、異様なほどギラついていた。
……いけない、と思った。これ以上は求めてはならない。
「殿下……」
両手でそっと肩を押し、春臣は主人の顔を見下ろした。
彼は恨めしそうに春臣を見つめたが、やがて皮肉めいた微笑を口元に浮かべて言った。
「……まこと、神というものは残酷だ」
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