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7にしおりをはさみました!
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7
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翌日の土曜日は、9時に起きた。普段のオレとしては早い方だ。
もう一眠り……と思いかけて、いやいやと身を起こす。惰眠への誘惑を断ち切るため、ベランダの戸をガラッと開けて、放り出すように布団を干した。
風がふわっと吹いて、気持ちのいい朝だ。
何となく外に出たくなって、財布をジーンズに突っ込みアパートの階段を降りる。近所の喫茶店に何ヶ月かぶりに向かうと、カウンター席が空いてなくて、ガッカリした。
つっても、一旦開けたドアをまた閉める訳にもいかねぇ。
「モーニング、ブレンド」
奥のオバサンに声をかけ、適当な2人席にドカッと座る。向かいの空席が気になって仕方ねーから、テーブル席は苦手だ。
オバサンが「ブレンドね」と確認しつつ、水とお絞りを持ってきた。うなずくと、間もなくふわっとコーヒーの匂いが店内に漂う。
気取ったカフェより、気取らねぇオバサンの淹れたコーヒーの方が案外美味い。
バタートーストとコーヒー、ゆで卵だけのモーニング。野菜も食った方がいいよなと思いつつ、熱々のトーストにかじりつく。
オレんちに泊まった翌朝は、よく七瀬を連れて学生街の喫茶店でモーニングを食った。向かいの席に、はにかんで座る七瀬は、ゆで卵を剥くのがヘタクソで……。
ぐしゃり。
テーブルにゆで卵を押しつけて、雑念を祓うようにヒビを入れる。
やっぱ、テーブル席は苦手だと思った。
家でのんびりともできそうにねーから、電車に乗ってジムに出掛けることにした。せっかくのフリーコースだし、金曜だけじゃもったいねぇ。
タイムカレンダーを確認すると、昼にファイティングエクササイズがあるらしい。だったら、七瀬もいんのかな?
ロッカーに入ると、学生かな、20歳前後の数人のヤツらから「おはざーっす」と声をかけられた。
金曜の夜とは客層が違う。
ジムフロアも何かざわざわしてて、昨日とは雰囲気が違う気がした。
窓の外が明るいのも、何か変な感じだ。つっても、朝6時から開いてんだし、明るいのが普通だって客の方が多いよな。
キョロッとフロアの中を見回して、黄緑と白のスタッフを数える。全部で5人いるスタッフの中に、残念ながら七瀬はいねぇ。
じゃあ、スタジオかな? それともまだ勤務時間じゃねーんだろうか?
ちょっとだけ残念に思いながら、明るい窓辺のランニングマシンの列に向かう。と、その隅の方で、かなりのスピードで走ってるヤツを見かけて、ドキッとした。
七瀬だ。
いつもの黄緑と白の上下じゃなくて、白のTシャツに水色の短パンって格好だったから、パッと見すぐには分かんなかった。
私服ってことは、オフなのか?
背筋のピンとしたキレイな姿勢。太ももをしっかり上げ、アゴを引いて、傾斜多めで一心不乱に走ってる。
耳には細めのヘッドホンを着けてて、まっすぐ窓の外だけを眺めて、外界を遮断してるようにも見えた。
真横のマシンにオレが乗っても、気付きやしねぇ。
気付いても無視してんのか? 今度はホントに気付いてねーのか?
自分のペースで走ろうと思ってんのに、どうしても七瀬の速さにつられて、いつもより少しスピードが上がった。
七瀬がゆっくりとスピードを落とし、クールダウンを始めたのは、20分くらい経ってからだった。
傾斜の角度を手慣れた様子で調節し、ゆっくりと横歩きを始める。
最初はこっちに背中向けて、次に顔を向けて、ようやく真横のオレに気付いたんだろう。一瞬「あっ」って顔をした。
けど、その驚きはすぐに消えて、すましたよそよそしい顔に変わる。
そういう態度取られると、こっちだってあんまにこやかにはできねぇ。七瀬から顔を逸らし、正面の明るい景色に目を向ける。
土曜の午前の交差点はちょっと渋滞気味で、どっかに出掛けてぇなとぼんやり思った。
「姿勢悪い」
そんな声と共に、ぺしっと背中を叩かれたのは、その時だ。
「えっ!?」
不意打ちにギョッと目を向けると、七瀬がマシンを降り、ヘッドホンを外して、首にかけたタオルで汗を拭いてた。
「いつからそんな、下向く癖ついたの?」
下向く癖? そんなこと指摘されたの初めてで、ちくっと胸の奥が痛む。
オレの側に立ち、小さな水筒をぐっとあおって、手の甲で口元をぬぐう七瀬。その仕草は昔と何も変わってなくて、何も言い返せなかった。
「……ゴメン」
小さく謝られたけど、謝罪の意味が分かんねぇ。七瀬が向こうに歩き去るのを、見送ることもできなかった。
下向く癖って言われても、たまたま交差点見てただけじゃねぇ? まっすぐ視線を上げるって……こうか? 意識して背筋を伸ばし、アゴを引いて前を見る。
そしたら正面にはビル群が見えて、その向こうには青空が広がってた。
ぺしっと叩かれた背中が熱い。
アイツ、誰にでもこうやって背中叩いたりすんのかな? 腹は?
さすがにオフの格好してるだけあって、いくら耳を澄ましても「七瀬くーん」と呼ぶ女の声は聞こえねぇ。
女性客に人気があるらしい七瀬。オレ以外にはにこにこ笑って接する七瀬。ひと気のねぇ階段で、プレゼント押し付けられて困ってた七瀬。謝る七瀬。
やっぱ音楽は必要みてーだ。七瀬のことで頭がいっぱいになって、走ることに集中できねぇ。
スピードを落とし、クールダウンのつもりで歩きながらそっと後ろを振り向いたけど、広いジムフロアの中に、七瀬の姿は見えなかった。
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