アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
2.元晴との出会い-5
-
陽二が言った通り、天宮動物病院はあった。
「あっ…た…」
けれど、診療時間が終わってから三十分も過ぎているので、病院からは光が無く、真っ暗になっていた。
「助け…て…」
それでも、李登は息を整えながら暗くなったガラスのドアに助けを求めた。
「助けてください…お願いします…この仔を見てくださ…い」
李登は扉を叩いて人を何度も呼び、誰もいないと分かっているが、この助けを止めたらこの仔は助からないと思うと止められない。
「お願い…助けて…」
李登は泣きながら仔犬を抱く腕の力を強め、心から叫ぶ。
「お願い…お願いっ」
駄目なのだろうか。
そう思ってしまう自分がいて嫌になる。
李登はその場に蹲り涙を流す。
「どうした?」
すると、頭上から声がした。
「これはヤバいな」
李登はその声がする方を振り向き、涙で揺れる瞳でその人物をじっと見た。
すると、長身でサングラスを掛けた男がこっちに近付いて来て、李登の腕の中の仔犬をじっくりと見詰めて触りだす。
「今中から鍵開けるからすぐに入って。仔犬は預かるから」
男はそう言うと、李登の腕の中から震えた仔犬を優しく奪い、抱えた。
李登はされるがまま、その男に仔犬を渡す。
「大丈夫。俺が助けるから」
男は李登の泣いて腫らした目に、ポケットから自分のハンカチを取り出し、拭ってくれた。
そして、仔犬を抱いたまま病院内に入ってしまい、李登はその場に立ちつくした。
「誰…?」
さっそうと現れ、大丈夫と言われた。
見た目は芸能人みたいなオーラが出ていたが、芸能人なわけが無い。
でも、かっこいい大人の男が目の前に現れた。
そんな李登の目の前で、さっきまで閉まっていたドアがガチャっと開いた。
「中に入って。そこの待合室にいて良いし水とか自由に飲んで良いから」
男は中から鍵を開け、白衣に着替えてマスクをしていた。
その姿を見て、李登はこの男が天宮動物病院の院長だと気付いた。
「中も冷えるからこれ纏いな」
「え……?」
そして奥から毛布を取り出して李登に渡してくれる。
「風邪引かないようにね」
「ありがとう…ございます」
李登が毛布を受け取ると、その男は手術室に戻って、てきぱきと機材を用意し始めた。
「優しいな…」
傷付いた仔犬だけではなく、李登の事も気遣ってくれるとは思ってもいなかった。
李登は、もしかしたら違う病院に回されるか、怒られるかと思っていたからだ。
そんな李登に、男はまた優しい口調で李登に話し掛ける。
「さっき麻酔打ったから、効きはじめるのにまだ少し時間がかかる。それに難しい手術になるから…もしかしたら深夜過ぎるかもしれないけど、それでもここにいたいなら好きなだけいて良いから」
「はい…」
李登はそう小さく返事をして、男が手術室に向かう背中を見送った。
「お願い…します」
男が見えなくなって、李登は男が向かった所に深く頭を下げた。
そして、頭を下げながら、李登はこんなに優しい獣医がいるのだと驚きを隠せない。
噂と言うのは大げさになるものだ。
けれど、李登が今目の前で扱われた態度は紳士的で丁寧。
それにとても優しい。
「噂以上…」
李登は突然の動悸に心臓を押さえた。
走りすぎたのか、心臓の音がさっきとは違った音でずっと鳴り止まずにいる。
それに、さっきまであった不安や恐怖が薄れて行き、男が大丈夫だと言った言葉が頭を埋めた。
「大丈夫…あの人が助けてくれる」
李登はソファーに座り、汗が引いた身体にさっき渡された毛布を掛けた。
なんだか落ち着く匂いがする。
「なんの洗剤使ってるんだろう…」
李登は今までに感じたことのない気持ちに戸惑い、意識をそらそうとする。
そして、そわそわしながら辺りを見渡していると、隣りにガラス張りの部屋がある事に気付いた。
李登はソファーから立ち上がりその前に行く。
「ここって……」
そこにあったのは、どこをどう見てもトリミングサロンだった。
けれど、使われている形跡は無い。
「何でだろう…?」
こんなに立派な物がそろっているのに使わないなんて不思議に思った。
「こんな所でやれたら幸せだな…」
自分用のトリミングサロンを持つのが李登の夢であり、目標だった。
それが何年何十年掛かるか分からないが、叶えたい事だった。
その為にはお金を貯めて、いろんな犬と出会い、トリミングの力を身に付ける事が大切だ。
そして、犬にも飼い主にも信頼されるトリマーになる事が李登のなりたい人物像でもある。
「でも…居残りする人間がそんな風になれるのかな…」
今日だって居残りをしてきた。
これからも、もっと居残りが増えてしまうかもしれないし授業だって難しくなって付いていけなくなるかもしれない。
この頃はそんな不安が押し寄せるようになった。
それは自分の性格がしっかりしていないからだ。
自分では大丈夫だと信じていても、結果良い方向にはいかない。
今日だってそうだ。
自分があんな男に仔犬を託したからこうなってしまった。
ポン太にも、仔犬にも可哀想な事をしてしまったのは自分自身がしっかりしていないからだ。
李登は、仔犬をこんな目にあわせたあの男の姿を思い出し、罪悪感が襲ってきていた。
「何か…自分が惨めだ…」
李登はさっき座っていたソファーに戻り、座った。
兄や陽二みたいな人間になるにはどうしたら良いのだろうか。
考えてみるが、そうなれる見込みが自分にはない。
一生無理かもしれない。
そう結論が出ると涙が出てきた。
さっきとは違う涙だ。
「しっかりしろよ…自分…」
李登は拳を握りしめ下を向いてずっと泣いた。
そうして何時間経っただろうか、壁に立て掛けられた時計の秒針の音が耳に響き出した。
李登は静かな待合室でずっとその体勢を保ち、その体勢の間、嫌な事ばかりが頭を巡っていた。
仔犬の手術の事、自分の将来の事、大事な事からくだらない事が頭を埋め、何が大切なのかが区別つかないほど落ち込んでいた。
いつの間にか、静かな待合室に少しだけ日が差し込んで来た。
時計を見ると、時刻はもう朝方になっていた。
あれから、何時間か経っていた。
それくらい手術は難航しているようだ。
「大丈夫なのかな…」
李登は不安な面持ちのまま、早く終わってくれと願いながら、手術室のランプが消えるのを冷える待合室で一人待ったのだった。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
10 / 29