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そんな日常:帰宅後
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[5]
「ただいま~」
返ってくる声はない。
当たり前だ。寧ろ返ってきては困る。誰もいないのだから。
リビングまでの電気をつけ、リビングの電気を付けると廊下の電気は消した。
真一はコートを脱ぎ、ジャケットの胸ポケットからスマホを取り出してテーブルの上に置くと、エアコンのリモコンを操作し、暖房を付ける。
人がいなくなって大分時間が経った部屋は、外よりも寒く思えた。
脱いだコートはテーブルの椅子にかけ、ジャケットは皺にならないようにハンガーに掛ける。
そのままネクタイを取る。
そこで漸く、仕事モードが完全にオフとなった。
長く息を吐き、力を抜いていく。
今日は色んな人に会ったなと、真一は思い返す。
美奈子に会い、ホストの平助に会い、新人の金髪ホストに会い、平助と知り合いらしい女に会い。
テーブルに置いたスマホが点滅しているのが見え、画面を付けた。
LINEが入っている。美奈子と、平助からだ。
美奈子は、今度3人でゆっくりご飯を食べようという内容だった。
そして平助は、人間型のゴツいパンダがその両手でハートを作っているスタンプだけだった。
自分に送ってくるぐらいだったら、客に送ればいいものを。
そう思いながら、真一の表情が緩む。
テーブルに再びスマホを置くと、箸と一緒にご飯と味噌汁の茶碗が伏せられて置いてあり、その前にメモ用紙が置かれていた。
『温めてから食べてね~。野菜も食べてね~』
汚い字で書かれてあるメモは、明らかに平助からだった。
「きったねぇ字だな」
笑いが溢れる。
胸の中に、熱い何かが滲んでくる。
会社の同僚の女性にも、金髪ホストにも、平助の客の女性にも湧かない、美奈子にも湧かない感情だ。
朝、朝食なんて取らないくせに絶対朝は起きてくる。
テーブルに向かい合わせで座り、煙草を吸いながら、時折スマホを弄りつつ、朝食をとる姿を眺めてくる。
今朝みたいに、馬鹿なことでペースを乱してくる。
仕事前には必ず夕飯を作り、そしてメニューをLINEで送ってくる。
帰ってくれば、ベッドに侵入してくる。
そしてまた、朝食なんて取らないくせに、自分と共に起きるのだ。
ある日突然、平助がキャリーバック1つで真一の家に転がり込んできたのは、付き合う付き合わないの押し問答をしている時だった。
それまでは客の女の家や友人の家を転々とし、次の日の出勤までネカフェで過ごすこともざらだったらしい。
巣にされて堪るかと、本気で出ていくよう怒鳴ったこともあった。
しかし平助は真一の家に居着いた。
居着いたといっても、何の連絡も無しに数日間帰ってこないことも普通にあった。
そしてまた、何の前触れもなく、当然な顔をして平助は真一の家に帰ってきたのだった。
それがいつからだろう。
目が覚めると、一人で寝たはずのベッドに、必ず平助が寝息をたてているようになったのは。
いつからだろう。
毎朝顔を合わせるようになったのは。
夕飯を作っていくようになったのは。
いつからだろうか。
平助のスペースを作って眠るようになったのは。
金髪ホストは、今日、何て言っていた?
客とのアフターを全て断っているって?
ミーティングとかを理由にしないで、帰りたいから帰ると言っているって?
帰りたいって、この家にか?
「いつからだよ。俺の家がお前の帰りたい場所になったのって」
言葉が溢れ落ちる。
胸が熱くなる。
心臓がドクドクと脈を打つ。
『真ちゃん』
好きだと思う。
平助が好きだ。
愛しいと思う。
幸せだと思う。
叫びたくなる。
自分が守ってきた秘密なんて、ちっぽけなものに思えてしまうぐらい、平助の存在は時間をかけて大きく大きく育っていき、深く深く根づいていっていた。
それに気付く度に、いつまでこうしていられるのだろうと、不安にかられる。
平助が自分を呼ぶ声に、『正しく生きろ』という声が重なる。
結婚していった友人の姿や、子どもを連れた同僚の姿と一緒に、美奈子につきまとっていたストーカー男を、執拗に殴り付ける平助が浮かぶ。
いつまでこうしていられるだろうか。
この幸せを、噛みしめていられるんだろうか。
いつまで…。
目頭が熱くなるのを感じ、慌てて風呂場に向かった。
上がった頃には落ち着いたが、壁にかけてあるカレンダーに、赤い印がついているのを見つけて、再び胸が熱くなってくる。
恐らく、平助が付けたものだ。
いちいち記念日など覚えておかない平助だが、この日だけは忘れない。
あと数日で、28になるのだと、真一は思った。
平助の作ったヒレカツを食べる。
平助曰く、超千切りのキャベツも食べた。
普通の千切りキャベツなのに、口に馴染む気がするのは何故だろうか。
そして今日も真一は一人でベッドに入るのだ。
右側には、平助のスペースを作って。
(今日も帰ってこい。俺の家に帰ってこい)
目を瞑ると平助の腕に腕を絡めるあの女が浮かんだ。
それを消し去るために、強く念じる。
何度も何度も、帰ってこいと。
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