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告白:否定
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黙り混んだ二人がいる室内に、外で降る雨の音だけが響く中、真一の鼓膜は体内で激しく動く心臓の音を捉えていた。平助には聞こえない音だ。
改まった発言をするのに自然と膝の上に置いた両手が汗ばむのを感じる。
平助は夕飯を食べる手を止め、黙っていた。黙ったまま、真一を見る。先程までの喜び様や笑みが消えた表情は無表情に近かったが、それでもその重たい二重から覗く茶色の瞳は揺れていた。珍しく、平助が動揺しているのが分かる。真一の鼓動も、さらに大きくなっていく。
恐らく、沈黙の時間は数秒程度だったが、真一には長く感じられた。一体平助は、何を言うだろう。どんな反応をするだろう。黙ったまま、平助の言葉を待つ。
平助は、ゆっくり口を開いた。その口端は、何かを誤魔化すように少し上がり、ぎこちなく笑む。
「…………それって、カミングアウトするってこと?」
「ん」
「なんで?なんか……急で、ビックリなんだけどー。エイプリルフールは~、もう終わっちゃったよね~」
平助が笑いながら、視線を真一から外した。壁にかかったカレンダーを見る。
その行動から、逃げる気だと、真一は察する。ここで次に、いつもの平助を出して、話をうやむやにする気だ。
そうはさせないと、真一は掌を握った。
「俺は、お前と一緒にいたい」
声に力が入る。
「これから先も、お前と一緒にいたい。それにはどうしたらいいかって、ずっと、考えてたんだ」
確かに真剣に考え出したのは母が来た日からだったが、それよりも前から、その考えは真一の頭の中にあった。考える度に、真一が持つ『正しい形』というものが邪魔をし、平助の幸せを考えると、言い出せなかった。
男同士だ。性に関するマイノリティが少しずつメティアに顔を出し、それに歩み寄ろうとするような条約が誕生したからといって、まだまだ問題は多い。
だからこそ、今後のことなんて、簡単に口にしてはいけない。無責任なことは、言ってはならない。嘘にしてはいけない。嘘にしない覚悟がなければ、話してはならない。
「好きだ、平助」
その言葉を、自ら口にしたのは、とても久しぶりだった。
カレンダーの方を向いたままだった平助は、その顔を俯かせていたが、真一の方を見ようとしない。伸びた前髪で、平助がどんな表情をしているのか、真一にはよく見えなかった。
唯一見える口はギュッと閉じられていたが、それが再び開けられると、平助は静かに長く息を吐き出す。
「……真ちゃんから好きって言われるの、超久しぶりなんだけど。破壊力ハンパなくて……困る」
そこでようやく、平助は真一を見た。
その表情に、真一はドキッとする。
「オレ今、心臓ヤバい。ちょー動いてる。死んじゃいそう」
「………」
「も~、なんなの~?今日そんな話するつもりで、昼にうどん食べたいだとか、そうめん食べたいだとか言ってたの~?ウケる、ムードなさすぎー」
「それはっ……悪かったな……」
「真ちゃんらしいけどね~」
そして平助はケラケラと笑いだす。それはいつもより覇気が無かったが、この緊張した空気を和ませるには丁度良かった。
真一は、今更になって顔の温度が一気に上がるのを感じる。昼の時点では、夕飯時にこんなことを口にしてしまうとは思っていなかった。しかし後悔はしていない。
平助は箸を持ち直すと、改めて夕食をすすめだしたが、真一は手が震えて動かせなかった。
少し俯きかげんの平助の顔を見る。
「オレもね、真ちゃんのこと、凄い好き。世界中の誰よりもさ、真ちゃんのこと一番好きな自信、あるもんね~」
最後の赤飯を口に運びながら、平助は言った。
「ずっと一緒にいたいよ。こうやって、オレが作った料理をさぁ、真ちゃんに食べてもらいたしい、一緒に食べたいし、時々真ちゃんが作ったご飯も食べたいし~。オレ達、同じこと考えてるね~、以心伝心ってやつ?ちょー嬉し~」
でも、と、言葉は続けられる。
「カミングアウトは、しなくていいんじゃない?」
真一を見ずに発せられた言葉に、真一は熱くなっていた顔や身体の体温が急激に下がっていくのを感じた。
同じ気持ちだということが分かったことに喜びを感じていた心が凍りつく。
何で?と聞く前に、味噌汁を飲み終わった平助は、その口を腕で拭いながら言った。
「ほら、オレもバレた時はけっこう修羅場になったしさぁ」
いつも通りの、平助がいる。
凍りつく真一をよそに、あっけらかんと話を続ける。
「真ちゃんママなんて、あの本見ただけであんなに青ざめちゃってたのに、真ちゃんがカミングアウトなんてしたら、絶対泡吹いて卒倒しちゃうよ~」
「まぁ、そうだな……」
「ほらほら~。だから、カミングアウトなんてしなくていいと思う。後戻りできないことなんてさぁ」
「後戻りって?」
真一は必死に平然を装いながらも、訝しげな目で平助を見た。平助は、「後戻りは後戻りだよ」と、何も意図が含まれていないように答える。
「しなくても、今みたいに一緒にいることは出来るんだし。真ちゃんが守ってきた家族を、わざわざ壊す必要はないと思うんだよね~」
どう思う?と、平助は真一に首を傾げてみせた。
言い返そうとも、真一の口から言葉が出てこない。
平助とずっと一緒にいるためには、カミングアウトをしなければならないと思った。そうすることで、今よりもずっと、二人で一緒にいる将来が確実なものになるように感じたからだ。そうしたいと思ったからだ。決して、理由がなかったわけではない。
何よりも、平助が自分の母親に、真一を彼氏だと隠さず、平助の母親も母親でそれを認めているのが、いいと思ったんだ。自分も、家族に平助を認めてもらえたら、どんなにいいだろうと。後ろめたさから解放された時、どんなに気持ちは軽くなるんだらうかと。
しかし平助の言葉は、そんな真一を黙らせてしまうぐらいに、妙な説得力があるような気がした。
確かに、カミングアウトをしていない今でも、こうして一緒にいられているんだ。これから先だって、カミングアウトをしなくても、一緒にいられるんじゃないだろうか。
自分はまたもや、飛躍的な考えを起こしてしまったんだろうか。
反論をしない真一に、平助は笑いかける。
そして立ち上がると、真一の肩に手を置いた。
「大丈夫。そんな危ない橋を渡らなくたって、一緒にいられるよ」
その手は子どもを慰めるかのように、ポンポンと肩を叩いた。
「ほら真ちゃん、早く食べちゃいなよ~。そんで、早くお風呂入りな~。疲れてるでしょ?」
平助は自分の食べ終わった食器を持つと、数歩先の流し台にそれを運ぶ。
ガチャッと、平助が置いた食器が音を立てた。
そして平助は煙草を取り出すと、その先端に火をつける。一度吸い込んだ紫煙を換気扇に向けて吐き出すと、流し台にもたれ掛かり、まだ夕飯が残っているせいでテーブルに座っている真一を眺めてきた。
その口の端を上げるのに、目はどこか寂しそうだ。
「今日は良い日だなぁ。母ちゃんも再婚したし、真ちゃんからは熱烈な言葉を貰っちゃったし~」
幸せだなと、平助は呟いた。
煙草を1本だけ吸い終わると、平助はそのまま風呂のお湯を入れに行った。
真一が夕飯を食べ終わると、風呂に入るよう急かしてくる。
急かされるままに湯をはったばかりの風呂に浸かりながら、真一は先程までのことを頭の中で再生した。
心のどこかで、平助はカミングアウトすることを喜んでくれると思っていた。
しなくていいと言われるとは思わなかった。
そして引っ掛かる言葉がある。
平助の言った、『後戻り』だ。
(後戻りって、なんだ?)
後悔するということだろうか。誰が後悔するというんだろうか。平助が言ったのだから、おそらく真一が後悔すると言っているんだろう。しかしそれは、本当だろうか。
カミングアウトをするというのを喜んで貰えなかった手前、勘繰ってしまう。
平助が後悔するとするなら、やはり、男の自分と付き合っていることだろうか。この先も、男の自分と一緒にいることだろうか。
一緒にいたいと言った平助の言葉に嘘はないように思えたが、あれは勘違いだろうか。
生まれてくるかも分からない弟か妹のことを考えているだけなのに、小さい子どもを可愛いと言う平助が、自分の子どもを望んでいるように思えてきて、それは考えすぎだと真一は両手でお湯を顔にかけた。
駄目だ。悪い方向にばかり考えすぎる。
好きだと口にすれば、喜んでくれた。好きだとも、一緒にいたいとも言ってもらえた。しかしカミングアウトのことを賛成してもらえなかっただけで、これほどまでにショックを受けるとは。
真一はゆっくり息を吐きながら、肩まで湯に浸かる。
その時、刷りガラス越しに脱衣場で何かが動くのが見えた。
「真ちゃーん」
「なんだ?」
平助だ。
「赤飯余っちゃって~。オレ今から美奈子ちゃん家にお裾分け行ってくるから~」
「はっ!?今からかっ!?」
「ついでに母ちゃんが再婚したことも伝えてくる~」
「おい平助!」
今何時だ?と、真一は腕時計を確認しようとしたが、何もついていない腕を見て、服を脱ぐのと一緒に外したことを思い出す。
迷惑になるだろうと止める前に、平助の姿は脱衣場から消えていた。
代わりに、ガチャリと玄関のドアが閉まる音がする。
なんなんだ、あいつは。
真一は溜め息をつく。思い付いたが吉日という言葉が、座右の銘なんだろうか。
風呂から上がると、平助の姿は無かった。スマホで今どこだと連絡すれば、あと少しで美奈子ちゃん家だと返ってくる。画面の右上にある時刻を見れば、21時を過ぎていた。
こんな遅くにあいつは……。
真一は溜め息をつくと、流し台に置かれたままになっていた食器類が目に止まり、それを片付け始めた。
平助の煙草はない。
いつも、外出時には忘れずに持っていくが、美奈子に会う時は極力持ち歩かないようにしていたのに。
違和感を覚えて、洗う手を止めると玄関に向かった。
平助が愛用してあるクロックスがない。
雨は降っているというのに、傘は、そのままだ。
嫌な予感がした。
その予感は的中し、平助は美奈子の家に行くと出ていったまま、帰ってこなかった。
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