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家族:あの日
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[2]
あの日、自分の部屋で繰り広げられる男2人の言い争いを見て、家主は心の底から帰って欲しいと願ったに違いない。
自分だったら、人の家で何やってんだと、怒りを露にしてしまうだろうが、美奈子はそんなことをせずに、気まずそうにリビングにいる2人に声を掛けた。
「あの……っ、お取り込み中、本当に申し訳ないんだけど……っ」
緊迫した雰囲気の中に突然現れた女性の声に、真一も平助も我に返る。二人ともが、そうだ、ここは美奈子の部屋だった!という顔を美奈子に向けたに違いない。
真一は傷心する心を忘れ、全身の血液が抜けて青ざめていくのが分かる。
美奈子が作ってくれた時間だ。時計を見ると、部屋に来てから1時間は経っていた。
美奈子も美奈子で、連れて帰るだけだろうと思っていたに違いない。まさか自分の部屋で言い争いが起こるなど、微塵も考えていなかったはずだ。
本来なら堂々としていてもいいはずの家主である美奈子は、小さな身体をさらに小さくさせ、そして言葉通り申し訳なさそうに真一と平助を交互に見た。
「美奈子…」と、真一が謝罪をしようと美奈子に近寄ろうとすると、その美奈子が勢いよく頭を下げたため、呆気に取られてしまう。
さらに「ごめんなさいっ!」と言われ、真一も平助も訳が分からない。
謝らなければならないのは自分達なのに、どうして彼女が謝るのか。
平助も、これはただ事じゃないと察したのか、ソファから立ち上がると美奈子に近寄る。真一とそれにのり、止めていた足を進めて美奈子に近付いた。
頭をあげるよう二人で頼むと、美奈子はゆっくりと下げた頭を上げてくれる。そして動揺した二人の顔を交互に見ながら、申し訳なさそうに微笑んだ。
「……あの、二人には言おう言おうって思ってたんだけど、言うなら直接言いたくって……。でもなかなか会えなかったし、今日まで言えなかったんだけど……っ」
そう前置きをしながら、美奈子は自分の右手で左手を掴みながら、再び少し俯く。
真一と平助は何も言わずに次の美奈子の言葉を待った。
「……あの、私……私ね?先週、婚約したのっ」
「はっ!!!?」
「嘘っ!!」
「本当。だから、真一くんとも、ましてや平助くんとも結婚できませんっ!ごめんなさいっ!!」
そして再び美奈子は勢いよく頭を下げる。
そんな美奈子の旋毛をみながら、思考が停止したのは真一だけではない。平助もだ。いや、平助は真一よりも数倍大きなショックを受けているように見える。包丁を見せられても動揺せずに飛び掛かっていけるあの平助が、狼狽え、言葉も出てこないようだ。
しかし呆然としながらも、真一の方を見ると、自分の頬を触って引っ張れと指示してくるのが平助らしい。その意思を汲み取った真一は、指示されるがままに平助の頬をつねり、そして引っ張った。力強く。
「痛いっ!ってことは、夢じゃないっ!!」
そんなありふれた平助の反応で、真一もやっと声が出せるようになる。平助の頬から手を離すと、美奈子の両肩に手を置いて顔を上げさせた。
「ちょっと待て美奈子!婚約ってことはまさか、付き合ってる奴が居たのかっ!?」
「う、うん……よくご飯を食べに行ってたんだけど……」
「いつからっ!?」
「あの、3人で喫茶店に行った日。あの後会って、私から告白したの」
なんてことだ。3人で喫茶店に行った日といえば、ざっと考えても今から4ヶ月ほど前だ。あの日美奈子が最寄りの地下鉄とは反対方向に進んでいったのは、そいつに会うためだったのか!と、真一はその日のことを思い出す。それから何度か美奈子と会っているが、美奈子は全くそんな話もしなければ、素振りも見せなかった。いや待て。4ヶ月の交際で婚約したのか?スピード婚?ちょっと待て!そこは今重要じゃないと、頭を振って様々な疑問を振り払った。
「誰!?俺達の知らない奴か!?」
「真一くんは知ってる人だよ」
「ますます誰だよ!!会社の奴か!?」
「うん。経理部の、村田さん」
「村…田……」
あいつかっ!!と、真一の頭に村田の顔が浮かぶ。ここ最近で2回も昼食を共にした、同期入社の中でも特に仲のいい村田かっ!美奈子に好意を寄せているのは分かっていたが、好意どころではなく交際まで釘付けてたとは思わなかった。
あいつ何も言ってこなかったぞ!っていうか、人に交際のすすんでる奴がいるなら話せとか抜かしときながら、お前も何も話さねぇじゃねぇかっ!と、真一はこれまでの経緯を思い出しながら心の中で怒鳴る。
美奈子の肩から手をはずすと、今度は自分の頭をかきむしった。
真一のつねった頬の痛みがとれたのか、再び会話の中に入ってきた平助は、真一の肩を引っ張りながら、どういうこと!?どういうことっ!?と身体を揺さぶってくる。
どういうこと、なんて、聞きたいのはこっちだ。
「村田って誰!?ねぇ真ちゃん!!村田って!!場合によってはオレがっ!!」
そう言って平助は右手で拳を作ったが、真一は呆然としながらもそれを止める。
「止めとけ平助。いくらお前が喧嘩に強くても村田には敵わん。あいつは元ボクシング部だ……」
「そ、それはっ!無傷じゃいられなさそうだ……っ」
無傷どころかボコボコにされるのはお前だと、真一は溜め息をつきながら平助の頭をグシャグシャと撫でた。
美奈子を見ると、彼女はまだおどおどとしながらこっちを見ていた。
そんな美奈子に、真一は頭をかきながら再び溜め息をつく。
目の前の美奈子があの村田と婚約したとは到底信じがたいことだったが、彼女が婚約したと言うのだからそれは本当なんだろう。
「……まぁ、村田は良い奴だよな。うん、社内で一番良い男だ。良かったな、美奈子」
そう言うと、美奈子はようやくその表情を緩め、いつものように微笑んでくれた。
平助はまだ煩かったが。
§
「で?いつから村田とは交流があったんだ?」
ソファの位置とカーペットを戻し、ソファに座る美奈子に向かい合うように、真一と平助はテーブルを挟んでカーペットに座った。
箱に入っている村田から貰った婚約指輪を見せてくれる。
それを目の前にしては、もう否定しようがないというのに、隣にいる平助は未だに納得できないと不貞腐れていたが、ほったらかしにして話を進めた。
「入社した時から、時々会うと話してたの。いい人だなぁって思って、その時から本当に時々ご飯を食べに行ってたんだけどね?あの、ストーカーのことがあってから、家も引っ越さないといけなくてドタバタしてたし、何より男の人と二人っきりで会うのが怖くなっちゃって。それから暫くご飯には行ってなかったんだけど」
「うんうん」
「真一くんと平助くんには普通に会えるし、それにこのままじゃいけないって思って、私からご飯に誘ったんだ。それが、去年の秋ぐらいだったかな?」
ということは、交際まで行くのに3ヶ月はあったわけかと、真一は頭の中で計算する。
すると美奈子は、真一と不貞腐れて黙っている平助を、眉をハの字にして微笑みながら交互に見た。
「図々しいかもしれないけど、私、結婚してからも二人とは今までみたいに仲良くさせてもらいたいの」
「それは、こっちも同じだって」
「ありがとう。だけど奥さんが、友達とはいっても男性二人と食事に行ったりするのって、あまりいいようには取られないでしょ?だから、真一くんと平助くんが付き合ってることをちゃんと理解してくれる人がいいなぁって思ってて。そしたら、四人でご飯とかも夢じゃないしっ、それが出来たらいいなぁって」
「……美奈子」
自分の幸せのことなのに、どうして彼女は自分達2人のことも考えてくれるのか。真一は美奈子の言葉に胸を打たれる。平助も、ようやく不貞腐れるのをやめた。
それを見て、美奈子も微笑んでくれる。その顔を見ると、ほっとしたのは真一だけじゃない。
「それでね、村田さんに然り気無く言ったの。私の幼なじみが同性の人と付き合ってるんだって。そしたら村田さんの親友も同性愛者の方らしくて、だからそういうのに全く偏見ないって言ってくれて」
「……たしかにあいつはそういうのに偏見なさそうだ」
「でね?……村田さんも、男の人と付き合ったことがあるんだって」
「え!?ってことはあいつ、平助と一緒なのか!?」
全く分からなかったと開いた口が塞がらない真一に、美奈子は少し興奮したように何度か頷いた。
「そうなの!でも今は女性としか付き合いたいって思わないって言ってたんだけど、もし付き合うんだったら会社の人だと誰?って尋ねたら……真一くんなんだって!!」
「はっ!!?」
「はっ!!?」
それまで黙って話を聞いていた平助も、この言葉には真一と同じ反応をとる。いや、真一よりもくぐもった、苛ついた声だ。珍しく眉間に皺が寄っている。
「それ聞いて、私、結婚するならこの人だっ!って思っちゃったのっ!!」
「え!?ちょっ、判断基準そこっ!?いや、ちょっと待て美奈子!そんなので決めたのか!?いいのかそれで!?もっと真剣に考えた方がっ」
「真剣に考えて、あと一歩を踏み込む決心がついたのがそれだったの」
「いや、それにしても……決心って……っ」
ふふふと、微笑を絶やさない美奈子に、真一は言葉につまる。決心の仕方がこんなのでいいんだろうか。結婚とはもっと慎重に考えなければならないものではないんだろうか。美奈子がいいと言うなら、それでいいんだろうか。
一向に言葉が出てこない真一は、横から「絶対ダメっ!」という否定の言葉が発せられたのを聞く。
「絶対ダメッ!!真ちゃんはオレのだもん!村田だか田村だか知んないけど、そんな奴に渡さない!!」
絶対ダメってお前、そこかよ……。今までの話の流れをちゃんと聞いていたのか疑問に思える平助の発言に、ややこしくなってきたぞと、真一は額を押さえた。
「何なの!?その村田だか田村だかいうやつ!!美奈子ちゃんも真ちゃんも好きだなんて贅沢すぎでしょー!?ぽっと出のくせしてさぁ!!」
「平助、やめろ……村田は美奈子の婚約者なんだから、な?それに、別に俺のこと好きだなんて言ってないだろ?な?」
「言ったじゃん!もし付き合うなら真ちゃんだって!!そんなん絶対ダメだからねー!真ちゃんももうそいつに会わないでよ!!」
「お前、面倒くせぇこと言うなよ!!つーか、ちゃんと話聞いてろよっ!今そんな話じゃなくて、美奈子の決心の付け方について話してるわけであって、俺は全く関係ないだろっ!!」
「ダメー!!絶対ダメー!!」
「っだー!もう!!離れろっ!!」
頭を抱えている真一に、平助は突撃するとそのまま抱き付いた。頭をグリグリと真一の身体に擦り付けてくる。
なんなんだ一体!なんなんだこいつはっ!と、真一はそんな平助を剥がそうと試みるが、平助の力の方が強かった。
「やだやだ、もう離れたくない」と駄々を捏ねる平助に、ほとほと呆れ返った真一は、まいったなと溜め息をつきながら頭をかく。
動きが止まったのを見計らって、美奈子は真一にスマホをそっと差し出してきた。口の前に指を立てている姿に、平助にはバレないようにしろという意思が読み取れる。
『村田さんが付き合うなら真一くんって言ったのは嘘』
久しぶりに見るメール画面に書かれていた文字を、真一は目だけで読む。
『誰にも取られたくない、離れたくないっていうのが、平助くんの本心だよ』
すべて読み終わると、真一はしてやられたなと美奈子を見た。美奈子は静かに微笑む。
いったい、いつから自分達の話を聞いていたのだろうか。まったく、彼女には頭が上がらない。
別れる別れないというような話をしていたのに、すっかりそんな空気ではなくなってしまった。
いったい自分達はこの部屋で何をやっていたんだろう。
真一は引っ付いたまま離れない平助に「帰るぞ」と声をかける。そこでようやく大人しく離れた平助を連れて、美奈子に謝罪とお礼を言うと、彼女の部屋を後にした。
傘は忘れずに持ってきたが、雨はやんでいたためさす必要はない。
暗い道で、後ろをとぼとぼとついてくる平助を見て、真一はその腕を引っ張った。
ようやく連れて帰れるのだと思うと、真一の口から安堵の溜め息が溢れる。
だいたい、何を話していたのだろう。美奈子のことなどそっちのけで。そう思うと、馬鹿らしくて笑えてきた。
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