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変貌
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眼鏡は弾かれ床へ落ちた。強引に、引き摺られる様に広いバスルームの中へ連れて来られた秋吉は、大理石の壁へ正面から体を押し付けられた。
『ルーカ!何をっ!』
細身と言えども男性の抵抗を物ともせず、アルバーニは背後からバスローブの紐を解き、襟を開けるとその肩を剥き出しにした。
『ああ、やっぱり。ベルーガと寸分違わず同じ場所に星に似た小さなアザがある。背中が大きく開いたドレス姿のベルーガのポスターは、今でも良く覚えているよ。神がかった美しさとは、彼女の事だ。』
うっとりと、指先が左の肩甲骨の上部を撫でる。そのアザは特徴的で、記憶の中の物と一致した。
『……貴方の記憶違いでしょう。』
大理石の冷たさの所為だと思いたいが、秋吉の体は急速に冷え、粟立つ。指先の震えを悟られない様に、タイルに付いた腕の先のこぶしをぎゅっと握り込む。
『君自身には見えない位置だ。でも、同じアザがある事は知ってるだろう?ウツロ博士に教えられた事はない?彼ならベルーガは勿論、君の裸も見ただろうしね。いや、隅々まで熟知していただろう?』
背後から耳元へ言い含める声は、いつものアルバーニの筈なのに、秋吉には得体の知れない者に思える。目的のアザを確認したからか、アルバーニの力が緩む。
『ずっと思っていたんだ。本当は、ベルーガは男性だったのではないかと。何故か正面から体を映した映像や写真はなく、決して喋らない。女性にしては身長も高く、細身とはいえ体のラインが硬い。』
『馬鹿な憶測だ。身長の高い女性は多い。それに彼女には子供もいるでしょう?先程から狼男の話をしたり、全く関係のない女性の話をしたり…何がしたいんですか、』
秋吉は体を反転させ、二人が向かい合う。動いたせいで、辛うじて留まっていたバスローブが白い肌を滑り落ちた。青い瞳がそれをちらりと追う。
『どの話も関係無くはないさ。セツ、君は間違いなく男性だ。ならば、君と同一人物であるベルーガは男性の筈。そして狼男の性別は、もちろん男性だ。ウツロ博士は秘密の全てを知った上で、協力者になった。』
『はっ!私と同一人物だなどと…彼女が亡くなったのは27歳の時だと聴いてます。私とは年齢も合いません。いい加減、タチの悪い冗談は止めてくれませんか。しかも、その言い方では私が狼男みたいに聴こえます。』
間髪入れずに、微かに笑みさえ浮かべ言う。それは、冗談はいい加減にして、いつものアルバーニに戻って欲しいと願っている様にも見えた。
『年齢ねえ…ベルーガが亡くなったのは27歳。君が翌年、ウツロ博士の居る研究室へアルバイトで入ったのが17歳。確かに10歳の差がある。』
『そうです。しかも髪や瞳の色も違う。』
言い募る秋吉の頬を、大きな手の平が包む。美しい造形の顔は小さく、理想的なバランスでパーツが配置されている。その全てが、一目見た時からアルバーニの美意識を支配してやまない女性の顔の配置と合う。受ける印象が違っても、本質的な造りは同じなのだ。
『でもそんなの大した問題じゃない。』
『何を言って』
ドッ!と体が揺れる。一点に熱を感じる。続きの言葉はもう言えなかった。みぞおちの右側に突き立てられたナイフを呆然と見つめる。
『見せてよ、セツの変貌するところ。もうその体は限界なんだろう?なら、大人しく死など待たずに次へ行くべきだ。』
ずるりと滑る体に合わせ、大理石の壁へ血の跡が付いていく。傷近くを押さえる手の平も赤く染まり、小刻みに裸の体が震える。
『っ、ルーカ…何故、』
『何故なんて決まっている、その美しさを失いたくないからだ。だから、強制的に君の命をつなぐ。それに今日は、特別な訪問者が来たしね。おかげで、知りたかった事の全てがつながった。その体力の回復は、君の近しい者に血を分けて貰ったからなんだろう?手遅れにならなくて良かった!彼にはとても感謝しているよ、その血がなければ君はもう少しで死んでいたんだから。』
優しい声音には、狂気が含まれている。秋吉の顔に浮かぶ疑問へ応え、アルバーニが微笑む。
『テーブルの下に仕掛けた盗聴器で聴いていたよ。あの頑固者が、今朝部屋へ入れてくれたのは幸運だった。』
『盗聴…なんて、そんな、』
思い当たり口を閉ざす。最近は五感の全てが衰えており、何かを仕掛けられても気付けない程になっていた事に秋吉はショックを受けた。いつもは常人よりもはるかに鋭い感覚が、並み以下に落ちていたのだ。そして体力も、まだ万全とは言えない。
『セツが弱っていたおかげで楽な仕事だった。とても興味深い話をしてくれたね彼。病弱なんてとても信じられないけど、まあ、キサメが元気そうで良かった。音声だけじゃなく、いつか会いたいものだ。』
屈み込み、血の気を失い始めた唇へ軽くくちづける。落ちていたバスローブを血で汚れない様に拾い、シャワーをフックから外して湯を出す。壁の血を流し終え、今やガタガタと大きく震える秋吉へかけながら突き立ったナイフを抜いた。赤い紅茶色の瞳がアルバーニの行動をぼんやりと見ていたが、やがて焦点を失くし光を失うとドッと体が倒れた。
『ふうん、まだ完全な回復ではなかったのか、もう少し保つと思っていたのに…。肝臓が刺されれば、さすがに厳しいって事かな。』
シャワーに打たれる体は骨格が変化し、耳と尻尾が出現した。みるみるうちに白肌が白銀の被毛に覆われる。水滴を弾いていた毛並みがぐっしょり濡れて張り付き、水に薄まった赤に染まる頃、みぞおちから流れる大量の血が止まり急速に傷口の修復が始まった。ナイフで傷付いた部分へ赤黒いミミズ腫れが走る。アルバーニはそれを見届けてシャワーを止めた。犬を洗うように、ボディソープで狼の毛に付いた血を丁寧に取り除くとすすぐ。バスルームには血の匂いが残っているだけで、大理石には一切の犯行の跡はない。匂いもやがて換気され、消えるだろう。
『ああ、残念だった。せっかくのセツとのデートが…レストランの予約も無駄になってしまったし。』
濡れて水滴を落とす狼を、バスローブに包み抱き上げる。胸に耳を寄せれば、心音は停止し死亡している。なのに、傷口のミミズ腫れは少しずつ小さくなっている。それはアルバーニの思惑通り、上手くいった証拠だった。
『まあいいや、デートは次の君と行こう。どんな姿になるのだろうね、きっと変わらず美しい。』
楽しげにメロディーを口ずさむ。それはベルーガが唯一出演したCMのBGMだった曲で、そのCMは公共の電波を通しMumの化粧品を多くの人々へ印象付けた。彼もその中の一人だ。
亡くなったベルーガを追い求め、将来はMum Inc.へ入社したいと思いを募らせた。菊嘉の秘書の条件として、日本語が堪能な者という項目があったのはアルバーニにとって有利に働いた。そして意図せず、秋吉 雪という男に出会う。
『ねえセツ、私たちの出会いは運命だと思わないか?』
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