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かけがえのない普通
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電話ではとちゃんに「一緒に住まないか」と確認すると、自分は邪魔ではないのか、お金がないし、いいのかな、と尻込みするものの、
「……まいにち、しゅうとさんに会えたら、もう、なんにもいらないねえ……おんなじおうち、すんでみたい……」
と、同棲それ自体にはポジティブな反応だった。
3月はただでさえ繁忙期で忙しく、引き継ぎもこなす関係で日付けが変わりそうなくらいまで残業していて、面と向かって話し合うチャンスは一回作れるか、どうか。
最終週は引っ越しを優先してどこかで有給を入れて貰うにしろ、そこまでにお互いの、そして『あまるていあ』の管理者たちとの合意とバックアップは必要不可欠だ。
外回りの途中で昼飯休憩に入った蕎麦屋で慌ただしく月見そばを平らげ、俺は大坪さんに電話をかけた。
この人は俺たちに味方してくれそうな雰囲気がある、なんとかうまく取り計らってくれないだろうか?
……コールしているが、なかなか出ない。
「……っはぁ、ぜぇ、はあ、ッ、もしもし」
あ、あれ? なんか息を切らしてるな?
「あ、お、大坪さん? 狭川です、すいませんお忙しい中……?」
「ああ、どうも……。ふう、ちょっと今日午後休だったんで、ジムでラットプルダウンっていうのやってて手が塞がってて……はあ、ああ僕のことはいいんですよ、電話大丈夫です、どうされました?」
やっぱりあのムキムキな体型は努力の賜物なのか、大坪さん、すげぇ……!
「えっと、実は4月から仙台に転勤になりまして」
「それはそれは。これを機に彼との関係を精算したいという事ですか? それとも遠距離になることに何か不安でも?」
「いや、その……仙台で、一緒に住みたくて、どうしたらいいか相談したくて」
大坪さんの足音が聞こえて、少し小声になった。移動しているのかもしれない。
「すいません、個人情報を色々話しますから、職業柄人に聞かれないように用心していまして。……同棲ですか。僕はお二人を応援したいですが、運営管理会社の、上の人とよく話し合うべきですよね。場をセッティングしましょう」
俺が都合付けられそうな日取りを伝えた。
「僕が今から話すことは、少し専門的な部分がありますから、ご自分でお調べになる叩き台として聞いて下さい。まず、あなたと暮らすことで、昭知くんが受け取れる金銭の額は減少します」
「……? 何故ですか?」
「今、彼は生活保護費と、精神障害の障害年金、働いた工賃を得ています。これらはバラバラに全額受け取れる訳ではありません。障害年金は月6万ほど、工賃は1万ちょっとです。これを足しても生活保護の基準額に満たないので、その差額を生活保護で穴埋めしているんです。彼の場合、障害加算で上乗せがあります」
メモを取りながら聞き入る。
生活保護+障害年金+工賃ではなく、
(障害年金+工賃)<生活保護であるなら、
(障害年金+工賃)+差額+加算=生活保護、って感じか?
「……えっ、ちょっと待って下さい、最低賃金ってありますよね……? 明らかに給料が少な過ぎじゃ? たしか週2、3回パン屋で働いて……」
「障害者の雇用促進の名目のもと、それ以下で働かせてもよい法律があります。彼の労働に与えられた対価ではなく、働いている全員で均等割りをした、工賃です」
背筋がゾッとする。
俺、はとちゃんのお金でケーキもコーヒーも振る舞われたのに、そんな少ない額から天引きなんてさせたのか!?
「……話を戻します。生活保護法は婚姻の有無ではなく『同じ財布で暮らしていること』を見ます。あなたと暮らすことで、あなたが彼を養っているとみなし、生活保護はおそらく打ち切られます。毎月数万、損をし続ける訳です」
「一緒に暮らすだけで、はとちゃんの貰えたはずのお金を捨てさせることになる……んですか」
「引っ越せば職も失いますしね。将来的な話ですが、あなたと暮らして精神的に安定し、手帳を返還すれば……軽度知的障害者には国民年金の納付義務があります。……彼と暮らすことは、もう1人分を背負いこむ覚悟が必要だと、お判りいただけましたか」
目の前が暗くなる。
障害者は障害者だから手厚く扱われているんだと思っていた。それがどうだ。
月1万しか稼げないはとちゃんが、満足に年金支払える訳がねえだろ。
制度が、薄情過ぎる……。
「そういう観点から見ても、上は昭知くんの権利を守るために、反対するでしょう。生活保護は恥だとか怠け者だとけなす言説が流布していますが、彼に関していえば、生活保護の範囲の外へ出る事は難しい。保護に依存した状態の中での自立、が、彼を支援していくプランなんです。あと、あなたに振られたら彼ははしごを外された形になります。支援の手が届かなくなる可能性を危惧するでしょうね」
しんどくて、ため息を深く吐く。
「……大坪さん、ほんとに俺たちのことを応援する気、あります……? 俺の……はとちゃんとずっと一緒にいたい、ってわがままを粉砕するつもりなんじゃ……」
ふふ、と笑う吐息がざらついたノイズになって耳に入る。一定のリズムでペダルを漕ぐような音が続いている。
「愛はお金では買えません。わがままじゃありませんよ、普通のカップルが普通に思う普通のことです。その普通を、僕は守りたい。えっと……いかにも左巻きリベラルっぽいことを言って恐縮ですが、恋愛の自由を障害者や生活保護受給者である事で失うのは、凄く冷酷だと思いますから。僕は僕に見えるリスクをお伝えしてるんです。お二人に、お二人で前に進んで欲しいから」
温かい人だ、と思う。
この人がはとちゃんの住まいで働いていてくれて良かった。……そして、この人の包容力と知識に太刀打ち出来るのか、今のまま『あまるていあ』で暮らす方が、はとちゃんの幸せなのかもしれない、と迷う。
はとちゃんのため、が、分からない。
「……先輩。ネスカフェとジョージア、どっちがいいすか」
「味の違いなんて分からん。もう少し上手く誘ってくれ、狭川」
伊吹先輩はダイエットコーラをガバガバ飲みながら、休憩に付き合ってくれた。
外は薄暗い。残業を終えて誰かが帰途につく音が聞こえる。夜の東京はきらきらとして、眠る気がなさそうだ。
「……先輩はなんで旦那さんと結婚したんすか? 同棲って、どういう流れでした?」
「何? 彼女の親にでも反対されたか?」
「親……ではないですけど、事実上の親みたいな存在に、これから反対される予定です」
困ったようにパイセンは首を傾げた。
「まったく意味が分からんぞ。同棲はな、別にただのタイミングだよ。その方が自然だとお互いが思ってたからそうした。結婚だってそうさ」
まったく参考にならない。自然とは。成り行き任せで上手く結ばれるような恋じゃないと色んな意味で感じているのに。
「……転勤で、2人が出逢ったダーツバーでの仕事を辞めさせて、旦那の実家に上がりこんで暮らすなんて、ぶっちぎりにライフプランねじ曲げた事は、多少は申し訳ないね。でも自分の人生は自分ひとりの人生じゃ、もう無い。一緒になるってそういうことだ」
……ああ、そうか。
はとちゃんの人生と俺の人生は、出逢って、もう分かち難くなってしまった。
もう一緒なんだ。それは、自然だ。普通だ。
この普通を、選びたい。
男同士で、障害や貧困や犯罪が間に挟まって、だけど普通に、俺たちはそばにいたいと願っていただけなんだ。
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