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「…冴島」
目の前に立ちすくむ男は、自分よりも逞しい肉体を持ってるくせに、少し情けなさそうだった。
「なんで…」
困惑をそのまま口にする冴島に、金塚は苦笑を浮かべた。
「一応チケット貰ってたから勿体ないなと思って。おまえはもう、行かないだろうと思ったし。」
「……」
「おまえは?今来たところなのか?」
金塚はつとめて普段通りに振る舞うが、冴島の強張った顔と定まらずに泳ぐ目はあからさまな挙動不審だった。
「俺は今来たばっかりで…金塚さんはもう結構見て回りましたか?」
「いや、そんなには…」
だからと言って一緒に回ろうかと誘う勇気は金塚にはなかった。多分それは冴島も同じだった。
わずかな沈黙が流れた時、不意に冴島の後ろから声がした。
「大河、売店あっちにあるみたいよ?先に見てく?それとも…あれ、どうしたの?」
「波瑠華」
声のした方を振り返った冴島が、そこに立つ女性の名を呼んだ。まっすぐ伸びた黒髪は利発的で、クリッとした目は愛らしさも備えている。風に流れて優しく香る花の香水が、少し離れた金塚にも僅かに届いた。
これは…ザ・いい女
「そこの綺麗な方とお知り合い?」
波瑠華は金塚を見て冴島にそう言った。
なるほど、挙動不審な理由はこれだったか。
答えあぐねていた冴島に変わって、金塚が優しく微笑んで挨拶をする。
「こんにちは。冴島の同僚の金塚です。綺麗なのは貴方の方だ。冴島とは偶然会ったのでちょっとした立ち話をしてただけですよ。」
「そうなんですね。もしかして金塚さんもチケットを貰った口ですか?」
ふふっと笑いながら波瑠華が続けた。
「二人とも律儀なのね。行かなくても困らないのに、頂いたからってちゃんと来るんだから。金塚さんはお一人で?」
「えぇ、まあ。仕事の関係だとやっぱり行っておかなきゃ、次に会った時に「行きましたか」なんて言われたら困りますからね。」
「はぁー、たしかに。営業って大変だわ。プライベートな時間まで費やさなきゃならないのね。」
その言葉は冴島に向けられた。
プライベート。
その言葉が金塚の心に重く響く。
「これ以上、貴重なプライベートの時間を邪魔するわけにはいかないな。俺はもう帰るので、あとはお二人でごゆっくり。…また月曜日な。」
最後の台詞は冴島だけに向けた言葉だ。
また会おうと言っているのに、さようならを言ってる気分になった。さようならの意味は、今にじゃなく、二人の関係に、だ。余程なにかの形に定まっていた関係ではないが。
冴島に背を向けて歩き出すと、後ろから呼び止める声がする。悲痛にも聞こえたが、それは金塚が勝手に作り上げた幻想かも知れない。
だってそうだ。
冴島にはちゃんと、彼女がいるじゃないか。
なのにどうして冴島が金塚を求めるだろう。
同情か、好奇心か。
いずれにしても、やはり冴島の気持ちは金塚の気持ちとは寄り添わない。
こんな事でまざまざと思い知らされるとは思ってもいなかった。
本当は気付いていた自分の気持ちを、認める事で蓋をする羽目になった。
何度か呼び止める事はしたが、
金塚は最後までその声には聞こえないフリをした。
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