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へし折った飴細工 ep.0
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さぁさ、皆様お立ち会い。わたくしは、しがない大学生でありまして、何の面白い小噺なんて持ち合わせてはおりません。そんなわたくしも突飛なことを経験いたしましてね。昨日男色の気があることを両親に告白いたしましたら勘当されてしまったんで……
やぁやぁ、これからどうして生きていこうかと1人黄昏ていたところに現れたのは、一匹のウサギでありました。いやはやウサギとは申せ、膝にちょこんと乗るような愛らしいものではなくってですね。わたくしの手を無理やり引っ張ったウサギというのは、人間の手が生えてございました。何なら立派な二本足も生えておりまして、上等な洋服だってお召しになってごぜぇます。まさかこの歳になって拐かしにあうなんて思ってもいませんわな。可愛いウサギの被り物をしたお方は、わたくしを黒塗りの車にお乗せなさいました。そしてこんなことをおっしゃいました。
「私の息子と暮らしてみないか」
何のことやら、全く分かりはしませんもので。世の中ってのは、どうなっているのか。こんなにも未知であるとは思ってもいませんでした。
→←→→→←
ヒユウは元来用心深い男であった。
それは他者に心を開くことが苦手だとか、そういう類のものではない。人を前にしては寡黙であるものの、周囲に陰気さを晒すような不器用さは持ち合わせていない。ただ、自己防衛が過ぎているのだ。自らが攻撃されることを恐れーそれは世間一般のものを遥かに上回るほどの畏怖ー、自らを不安定な位置に置くことはしない。そう、危険な橋は渡りたくない、石橋は叩いて渡る気質なのだ。
真っ黒なコートのボタンをきっちりと閉めて、俯きがちに表情を隠す。一夜を過ごした公園は、面白いほどに昼夜でその姿を変えた。あれほど静謐さと不気味さを孕んでいたグラウンドは、無邪気な子どもと、その成長を喜ばんとする多幸感に包まれた大人がいる。
掌で転がした缶コーヒーは、すっかりと冷めきっていた。隅に置いてある、植木に埋もれてしまいそうなベンチに、誰も気にかけようとはしない。例え、1人の若者が震えていようと、誰も気にしようともしない。ヒユウに誰も声をかけようとはしない。「誰も話しかけないくれ」と言いたげな外っ面とは裏腹に、心の中では演芸者が如くペラペラと騒がしくしているのは、胸中にあるほんの少しの闇さえも打ち消そうとしているからであった。
畢竟、そんなヒユウが安安とこの目の前の不審な人物について行くことが、珍しいのである。彼の古木のようなごつごつとした手は、相当の古老を想起さた。それに加えて、皺一つない折り目が整ったモーニングが彼の品格を物語っている。これだけを鑑みれば、何処か芸事の家元、或いは、昔に企業の重役を勤め上げた隠居老人を思わせる風貌である。しかし、頭部にある子供騙しのウサギのマスクが、全てのバランスを崩してしまっていた。
黒目に空いた小さな空気孔から、篭った声がヒユウを誘う。
「君、私の息子にならないかね?」
差し出された右手は、彼の自分という存在全てへの自信を表すように凛然としていた。
昨晩、父親に家を追い出されて以来、積もり続けた惨めさが、ヒユウの心を乱す。真っ黒なウサギの目を介して2人の契約は成立した。
「もうどうとでもしてくださいよ」
冬の温度に合わせて心も冷えていく気がしていた。何があっても構うもんか、と自暴自棄さを止める人は誰もー自分ですらいないのである。
「その代わり、身代金目当ての誘拐なら他を当たりなさいな。俺なんか攫っても一文の得にもなりはしませんから 」
吐き捨てるように呟いた言葉は、ウサギの古老には届かなかったらしい。ただ、「皆んなが待っている」とヒユウの手をがっしりと掴んで歩き出した。
グラウンドを走っていた男児が指をさして笑った。
「ウサギさんだ!」
指さされた方を見て、親は血相を変えてその子を諌める。やめなさい、大きな声を出すんじゃありません。
子どもたちの好奇の視線と、大人たちの訝しむ視線は、ヒユウの冷めた心にズブズブと棘を刺していく。それでも、目の前のウサギは悠々とグラウンドを縦断していった。何を考えているのかまるで分からない。
何者なんだ。
ヒユウは、全く表情の伺えないこのウサギを初めて恐ろしいと思った。ただ繋がれた手から伝わる温もりは、彼の血の流れを表していて、同じ人間であると知れた。当たり前だが、この奇怪な状況を目の前にしてはその事実がひどく有り難かったのである。
2人が目指す先には、一台の車があった。公園の入り口に止められた黒塗の車。運転席と助手席には2人の男がいて、こちらを見ていた。彼らはウサギに軽い会釈を捧げて、ヒユウには微笑みを寄越す。
「彼らも私の息子だよ。後で自分から紹介があると思うが 」
ウサギは、自分の身上を名乗るよりも、息子と呼ぶ彼らを説明した。ヒユウにとって、先ず古老の正体を知りたいのが本音であるが、「はぁ」と曖昧な返事を以ってウサギの会話を済ませた。
かくして二人は子どもと大人の視線を掻っ攫って公園を後にしたのである。
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