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へし折った飴細工 ep.3
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夢の中で誰かが言った。
空は赤いか黄色いか。
その話を君にすると、
「学校の怪談みたいだな。ほら、トイレットペーパーが無くなると聞こえてくるってやつさ。赤い紙か黄色い紙、あとは青い紙だっけか? 間違った答えを言うと、殺されるんだ 」
話はそこから、小学校の時の噂やらクラスで起こった珍事件に逸れてしまったけど、僕は今でも覚えている。あの夢で見た空は、全ての色が混ざって、まるでドブの中を覗いた色をしていた。
________
枕元でスマートフォンが小刻みに揺れた。常日頃からマナーモードにしているこの機械の、着信音はなんであったか。頭までひっ被った毛布の中から、しつこく震えるそれに、手だけを伸ばした。毛布の中に引き入れ、液晶を見てとれば発信元は姫谷である。
オウギは、うんざりとした様子で画面をタップした。
「もう起きている 」
地を這うような低い声だったが、寝起きの時のような不明瞭さはない。「もう起きている」なんて、今しがたの動作完了を暗示する言い方をするが、ずっと前からオウギは起きていた。それこそ、姫谷が粘っこい声音で朝食を知らせに来た数時間前から起きている。オウギにいわせれば、ただ、彼と顔を合わせるのが少し億劫で狸寝入りをしていただけである。そもそも睡眠にかまけている場合ではなかった。来たる今日の一大イベントに、心臓がひっくり返るような興奮がオウギを離さなかったのだ。それでも、そんな興奮を無理やり腹の底に抑え込んで、ぶっきらぼうな返事をしたのは、やはり姫谷との相性の悪さ故であろう。胸の内が中々見えない姫谷に疑心を抱くのは、オウギだけではないが、一番の姫谷との相性の悪さをほこるのは彼であると言わざるを得ない。姫谷もそれを分かっているから、その状況を面白がってコトを二転にも三転にも、末にはもっとひどい方向に運びたがる。姫谷の性を表す時に、好戦的なんて言葉は綺麗事がすぎる。言うなればトラブルメーカーとしか言いようがなく、それ以上もそれ以下にも表現できないのだ。
今回も例に漏れず、彼はオウギの挑発に乗っかってきた。
「そう、最高ですね。あなたをあざ一つ作らず起こすことができるなんて、今日は、星占いで一位にでもなっていたのかしら 」
電話口でニヒルな笑いを浮かべる姫谷を容易に想像できるだけに、オウギの不快さは頂点を目指して上昇しはじめた。
「起きているなら都合がいいです。今思いついたのですが、早く部屋の掃除をしておきなさい。今日迎える子を、あなたと相部屋にすることにしたの 」
「なんだって⁉︎ 」
オウギは唾を飛ばす勢いで電話口に怒鳴った。
回線の向こうで「あら、いいじゃない」と事も無げに言い放つ、姫谷の声が聞こえる。序でに少し慌てた春日の声も。
「全然良くない! なんだって、ヒユウと同じ部屋に……」
揶揄うのはよせ、と春日が珍しく怒気をはらんだ口調で、姫谷を責めるのが聞こえた。それでも、姫谷の軽薄な声音は落ち着き先を知らない。
「そっちの方が具合がいいんじゃない? ねぇ? 」
意味深そうに尋ねる姫谷に、どうしようもない怒りがふつふつとこみ上げてくる。しかし言い返すことが出来ないのは、彼の表現力の低さによるだろう。己の心象を巧みに表せずにやきもきするのは、常のことである。熱気にこもった毛布の中で、オウギは顔を真っ赤にするほかなかった。
「悪いオウギ、こいつの言うこと聞かなくていいから、な? いつもの悪ふざけだから。あとで説得するから 」
姫谷から代わった春日が必死に弁明するも、オウギは明るい展望を見ることは出来そうになかった。過去にこうして、春日が姫谷を説得できたことがないのである。現に「言い負かされた。ごめん 」という淡白なメールが数分後に寄越された。
オウギはスマートフォンを毛布の外に追い出して、ここ一番の大きなため息をついた。
ハルとマナビが先ほどの大声を驚いて、ドアの外にいる気配がする。しかし、この際他人に構っていられるほどの余裕はない。オウギは無視を貫くことにした。
(まさかヒユウと住むことになるなんて……あまつさえ同室で過ごすだって……?!)
どんな顔をして彼を迎えればいいんだ。
オウギは、一切の身体中の血が引いていくのを感じた。
大学で出会った物静かな恋人は、ここの所様子がおかしかった。どこか落ち着き場所が見つからないが如くソワソワして、かと思えば、満足しきった顔で俺の話を聞いてくれたものである。「オウギの声は安心するよ 」なんて、小っ恥ずかしい台詞を遠くを見ながら零す恋人は男であったが、互いの恋心に溺れながら過ごす日々が続くと思っていた。それが昨日、一通の電話で激変することになる。
深夜にもかかわらず、オウギは、新型のプラモデルへの塗装に勤しんでいた。手元の目覚まし時計が日の変わり目を待ってそわそわしている。オウギはこの手の玩具をこよなく愛していて、大学が終わり家に帰ってきては、夜遅くまで作業に及んでいる。あの目の敵にしている姫谷から、「塗料が臭うわ」なんて苦情を受け付けてからは、窓を全開にしてから作業を行うことにしていたので、冬の夜風に震えて作業はままならない。小憎たらしい姫谷を思えば、いつか独立してこの家を飛び出してやろうか……なんて考えも過ぎるが、自分が誰かの保護を得ずに生きていくことなんて、どだい無理に近いことだと悟るのは、いつものことである。
凍えそうな指先に力を込めて、黄色の塗料の蓋を開けた時だった。真っ赤なスマートフォンが手元で震えた。
(電話……?)
発信元を見れば、恋人たるヒユウだった。
「もしもし? どうした? 」
恋人なんて甘やかな響きをもつ関係におさまっているものの、どうも2人の距離は近からず遠からず、曖昧な距離感を保っていた。だから、開口一番に「もしもし」なんて、前代的な受け答えをしてしまうし、「どうした?」なんて、要件を急かしてしまう。愛に溺れた恋人どうしなら、他愛もないことで連絡しあって、耳元の囁きに頰を緩めることをするのだろうか。そんなメルヘンチックな考えは、2人の頭にこびりついて離れようともしないのに、さて果てどうしたものか、2人の恋には一歩の差が生じてしまう。それでも、隠れに隠れる2人の恋路を咎める者もいないし、見守る者もいないのだから、どうしようもない。全くもってどうしようもないのである。
「もしもし? 」
木々が擦れ合う音がするうるさくてなにも聞こえない。オウギは語尾を強めた。少し短気なのは、生まれ持ったこの男の性である。中々要件はおろか声もあげない電話口。オウギは、蓋を開けた塗料が乾いてしまう、と少しそわそわし始めた。それでも声が聞こえた瞬間には、塗料の瓶を倒す勢いで立ち上がり、部屋から駆け出していた。閉め忘れた窓からの風は、オウギの背中を強く押す。
耳へと流れる恋人の声は、真っ黒であった。
涙を含んで、この世の全てに絶望したような声、生気のカケラもない。今までに聞いたこともない声である。台風の夜に一人で立つ案山子はきっとこんな声を出すのだろう。
お前を愛することで、親に勘当を申し渡された。
ヒユウは、おおよそこんな事を言った。時折混じる熱い吐息に、ヒユウの大粒の涙が目に浮かぶ。彼はそれ以上語らなかった。否、語るほどの気力を持ち合わせていなかった。 ただただ、体の底から生まれ出る全ての感情を、呻き声にも似た叫びでもって吐き出すだけである。オウギは、直ぐさまヒユウの元へ駆けつけてしまいたかった。ブルブルと震えているであろう細い肩を抱きしめて、拙い言葉ででも彼の心に光の粒をかけてあげてやりたい。
廊下を飛び出し風をきって転瞬、何かと肩がぶつかり、体が弾かれた。玄関口にて春日と鉢合わせたのである。今の拍子に電話は切れてしまった。
「コンビニにでもいくのか? 」
春日はぐっと腰をかがめて、オウギに目線を合わせてきた。オウギは彼のこの仕草には毎回辟易せざるを得ない、というのも、身長が低いことを気にしているオウギにとって、彼のこの挙作は屈辱以外の何物でもないのだ。故に苦虫を噛み潰したような表情になるのは必然であって、今日も例外ではない。例外ではないといっても、今回ばかりは事が事なので悠長に春日と付き合ってるわけにもいかず、
(またか……!)
と舌打ちを心の中で打つに至る。
「友だちが心配なんだ。 1人で泣いている 」
オウギは心が急いているを隠すことが出来ずに、春日の肩を揺すった。ここで言い置きたいのは、決してオウギは春日の事を嫌っていないという事である。少なくとも姫谷へ持ち合わせる感情は毛ほども感じていないだろう。ただ、自分を幼児扱いしたがる彼に、小っ恥ずかしさが先行してしまうのである。
そんなオウギの頭を春日はゆっくりと撫でた。
「ヒユウくんの事かな? ヒユウくんなら、お父さんに任せておけばいいから 」
「どうしてお父さんがヒユウのことを知っているの?! 任せるって何?どういうことさ 」
オウギが矢継ぎ早に囃し立てるのへ、春日は答えを急がなかった。先ずはリビングに行こうか、なんて言い出すものだから、オウギは彼を振り切って玄関へと駆け出した。それでも春日から逃れられないのは、鍛えられた彼の体躯に抱き留められた事によって必然である。
「話すと長いから 」
春日はオウギの肩を抱いて歩き出した。
握りしめたスマートフォンは次第に冷えていき、まるで音信がない。ヒユウからの電話を切った自分と救いの手を切られたヒユウ。今どうしているのか、なんて考えると心臓を氷水につけられたような感覚に陥るのだが、春日はただ
「大丈夫だから、心配しないで 」
とオウギの背中を優しくたたくのみである。
(当たり前だ。俺は大丈夫に決まってる……心配するべきは、大丈夫じゃないのはヒユウなんだ……)
オウギは、唇をぎゅっと噛んだ。
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