アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
○月×日『Orchid』
-
バーのボックス席に腰かけながら、なんで自分はここに居るんだろうと思い返す。
…………昂平を駅まで見送って、考え事してたら先輩に声をかけられた。
自分じゃよくわからないけど、ボーとしていたせいか、泣きべそをかきそうになっていたからか、先輩は僕の顔を見るなり体調が悪いと勘違いしたようで、店が近いから休んでいけと引っ張ってこられた。
……何してるんだか……
適当なこと言って逃げればよかったのに、急に現れた先輩に動揺して…………いや、先輩を前にしたら言葉が出てこなかったし動けなかった。
動悸も酷かった。
心臓の音がバクバクと聴き漏れそうなほど高鳴って、逃れる余裕なんて無かった。
「ほら、飲めるか?」
またボケっとしてる僕に、先輩が声をかける。
反射的に肩が震えて背筋が伸びた。
「え?」
「ん」
先輩は手にグラスを持っていて、僕に差し出す。
「ぁ……、りがとうございます…」
グラスを受け取って、口をつけると、少し酸っぱい、爽やかな味がした。
見た目はミネラルウォーターだ。
けど、いい匂いがして味がある。
「ただのレモン水だよ」
僕が不思議がってると、先輩が煙草を咥えて、火をつけながら向かい側の席に座る。
「……、」
先輩の一挙一動を見ていられなくて、下を向いて、ちびちびとレモン水を飲んだ。
間が持たないので、何か話のネタにならないか、下を向いたまま目だけ動かして店内の装飾を見た。
前も思ったけど、すごく雰囲気がいい。
オレンジと、やや赤みを帯びた明るい紫色の照明。
今座ってるソファーや、家具も上品で、イカつい感じがないから、女性客に人気がありそうだ。
一条さんも気に入ってるようだったから、男性にも好評なんだろう。
「変か?」
「え、……何が……ですか?」
「店。」
店内に目を走らせていたの、バレていたみたいだ。
「ぁ、変だから見てたんじゃ……、すごく居心地がいいっていうか、雰囲気が、落ち着きます……」
落ち着かないのは目の前に先輩が居るからで、店は最高にお洒落だ。
「えっと……なんか、統一性がありますよね……、色?」
そうだ、色だ。
照明や、家具……所々にくど過ぎないように、やや赤みを帯びた明るい紫色が……
「ああ。店の名前に因んでな。」
「店の名前……」
そういえば店のドアに英語で書いてあったかもしれない。
色の名前なのかな。
「それで、電車酔いでもしたのか?」
「え?」
ぁ……、駅前にいたからそう思ったのかな?
「ぁー……駅まで人を見送っただけで、電車酔いじゃないけど、気分は良くなかったかも……」
事実、半べそ状態だったし……。
「……そっか。」
先輩が灰皿に煙草の灰を落とす。
また唇に煙草を咥え直す。
「まだ飲むか?」
先輩が瓶を手にして、かたむけてくる。
瓶は透明で、よく見ると中にレモンがつけてある。
「……いただきます…」
持っていたグラスを瓶の前に出すと、先輩がレモン水を注いでくれる。
それをじっと見ていると、ふと照明の光で先輩の薬指が光った。
それを見て、スッキリとし始めていた胸にまたモヤがかかった。
「せんぱ……、木崎さん……」
名前を呼ぶだけで、声が震えた。
グラスを持つ手も震えて、中身が溢れそうになって、慌てて机にグラスを置いた。
「……あの、…ご結婚されたんですか……?」
顔は見れなかった。
でも、聞けた。
聞いた。
「あー、これ?」
ゆっくり顔を上げると、先輩が左手を僕の方に向けて見せてくれる所だった。
間違いなく左手の薬指に指輪がはまってる。
照明の光を浴びてキラキラ光ってる。
「気になるか?」
先輩が自分の薬指を見て、小さく笑う。
それから僕の方に視線を移す。
気になるか……?
……気になるから、聞いたんだけど……
なんて答えるのが正しい?
正直に気になるって言ったら、まずいのかな。
いや、今の僕が気になるなんて言うほうがおかしい。
「気にするな。関係ないだろ。」
「……、」
関係ない……
……僕には、関係ない……
事実、関係ないんだ。
だって僕は……"過去"だから。
でも……
「蘭、そろそろ…」
瓶を持って、先輩が立ち上がる。
後片付けをするためだろう。
時間的にも、店をオープンする時間が近づいてるのかも……
「蘭…」
先輩に呼ばれて、顔を上げると、何かが頬を伝った。
けど、気にする余裕もなかった。
先輩に言われた言葉で頭がいっぱいだったから。
"関係ない"
関係ないんだから、
もうここにいる理由もないんだ。
「……ぁの、ご馳走様でした…僕…帰ります…」
立ち上がって、出口に向かう。
「おい、蘭」
先輩が僕の腕を掴んだ。
足元がふらついて、その場にへたりこみそうになる。
先輩の腕に引かれるまま、気づけば先輩の肩に染みを作ってた。
その染みを見つめながら、自分が泣いてることにも気づく。
先輩との初めての抱擁は、抱擁であって抱擁じゃなかった。
子供をあやす様に背中を撫でられる。
ジワジワと先輩の肩を濡らして、何で自分がこんなに泣いてるのか分からなくなる。
悲しいのか、悔しいのか、虚しいのか……
全部か……
「ごめん。……泣くなよ、」
……なんで謝られてるんだろ。
何に対して謝られてるんだろ。
「ただの女避けだから」
体を離して、正面から向き合う。
両手で顔を包まれて、指で頬を撫でられる。
先輩が涙を拭ってくれるけど、全然止まる気配がなかった。
「……頬、こんな柔らかかったんだな」
涙の上から先輩の指が確かめるように触れる。
「俺は、叩くは殴るわ……最低だったよな。」
「………、…殴られたのは、殴られるだけのことしたから…」
当てつけに昂平と寝たから…
「……いや、分かってたんだ。俺が悪いって。突き放すんじゃなく、ちゃんと向き合ってたら、……最初からちゃんと向き合ってたら蘭をこんなふうにしなかった」
「……、」
こんな風?
それって、どんな……?
"心の方はもうボロボロなんだから"
昂平に言われた言葉を思い出す。
先輩にも、そんな風に見えてるのかな。
仕事も上手くいってる。
恋人もいて、満たされてるはずなのに、ボロボロに見えるんだ。
それって、やっぱり……
「……蘭?」
そっと、先輩の腕から抜け出して、出口へ歩いた。
「おい、そんなふらついてて帰れるのか?送って……いや、タクシー呼ぶから」
先輩にまた腕を掴まれる前に、足を止めて先輩を振り返った。
「家、近いんで……、それじゃ…………さよなら…」
3回目だ。
また自分から……
木製のドアを押して、外に出た。
地上に上がるための階段を登って、ふと立ち止まって振り返った。
閉まったドアは重そうで、僕を追って開いてはくれなさそうだった。
自分から出てきたのに、追ってくるわけなんかない。
「…………?」
開くはずがないドアを見つめていると、打ち付けてあるプレートに目が止まる。
"Orchid"
「……おーきっど…?」
店の名前に因んで……と言っていた。
けどOrchidがどんな意味をもつのかわからなかった。
やたら統一性のある色があった。
色の名前かもしれない。
分かったところで、きっともう僕には関係ない。
もうここに来ることも無い。
別れた相手にもう一度ふられるなんて高度なこと、無謀だったし、……ただまた、自分から別れを告げただけ。
けどこれに区切りをつけるしかない。
もう僕には帰る場所があるんだから……
一条さんの元へ帰ろう。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
16 / 16