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『頭を掴んで溺れさせるんでしょう、榎野。』
瞬間、榎野の頭に瑠璃条へと数ヶ月前言い放った台詞が蘇る。
『俺が彼の“音楽”という岸に先に立っていなけりゃならないのに。沼から上がろうとする彼の頭を押さえつけ、快楽で溺死させて、今度こそどこへもいけないようにしないと…。』
楠田の虚ろな眼が、後輩を奇妙なほど静かに凝視している。
『早くしてくれ。俺を楽にしてくれ。』
楠田の淡々とした声に、後輩は両手で荒っぽく顔を洗う。
(そうか。)
(これは、過去の俺が口にした比喩の表現。)
(俺が、先輩の頭を引っ掴んで溺れさせるまで続く狂言。)
榎野は一頻り自らの理不尽さを嘆くと、溺れている想い人の傍に行き、震える両手を伸ばす。…楠田の小さな頭まで、後輩の両腕は難なく届きそうだった。
『楠田さん。…後悔しないで下さいよ。』
相手の頭に、榎野の指先が触れた。
そして…数秒後。後輩は、楠田の両肩を掴んで、力任せに引き上げようと力んでいた。
『ん゛~っ!!う゛~ッ!!』
唸る後輩に、夢の中の楠田が驚きに顔を歪める。
『何をしているんだ、榎野。俺を溺れさせてくれるんじゃないのか。お前に夢中にしてくれるんじゃないのか。』
後輩は端正な表情を所々引き攣らせながら、相手に向かって怒鳴る。
『冗談じゃないっ!!俺だって少しは成長したんですよ、楠田さん!!』
口を動かす榎野の、服の袖が濡れる。ズボンの裾にだって、水飛沫がかかる。おかまいなしに、榎野は声を張り上げる。
『音楽を捨てるって東先輩に訊いて、俺心臓が止まるかと思うほどビックリした!!んで、わかったんです!!”音楽”の岸なんてもの、最初っから存在すらしていない!!俺は、ギターを弾くアンタが好きだ!!アンタのギターが好きだ!!”音楽”を愛するアンタが、ひっくるめて全部好きだったんだ!!』
王子と呼ばれていた榎野は喚き散らしながら、水中から好きな人を救おうと必死に声を出す。
『もし、ここに名もない岸があって、アンタが溺れていたら…どうして蹴落とすなんて言えたんでしょうかね、俺。…だって、行動は蹴落とす以外いっぱいあったのに。』
榎野の両眼から、ばらばらと涙が落ちて、岸の上で水の粒が幾つも弾ける。
『こうやって、アンタを引き上げる手助けをする選択肢だってあったのに…。』
すん、と鼻を鳴らして、榎野は無理矢理相手に笑いかける。
『どうしても楠田さんが岸に上がれないのなら、俺も一緒に海に飛び込みます。アンタと一緒に溺死します。』
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