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目の前に広がるのは果てしない蒼の世界。空の青と海の碧がどこまでも広がっている。
その青を塗りつぶすように、夕焼けが赤く空を染めていく。
夕方から夜へのグラデーションをこんなにはっきりと見たのは何年ぶりだろうか。
いつか、パティと二人できた海に、今、こう太と二人で来ていた。
そう、海に行きたいと言っていたこう太を連れて海に来たんだけど。
「…ホント、ごめん」
「いいってば。もう気にしないでよ」
息子の優しさが痛い。
俺のせいでこう太は海に入れないでいた。
こう太が夏休みに入ってすぐ、俺のスケジュールで奇跡的に二日続けて何も予定の入っていない日があった。
八月に入ったらろくに出かけられないと思って、こう太の返事もちゃんと聞かないまま海行くぞ、とこう太を連れてきた。
知り合いの旅館にダメ元で聞いてみたら、運良く空いているということなのでもう行くしかねぇな、とこう太以上に俺がはしゃいでいた。
海に行きたいなって言っていたくせに、「全くいつも急なんだから」みたいに文句っぽいことを言っていたけど、それなりに楽しみにしてくれるみたいで機嫌も良さそうだった。
旅行用にと買った白地に猫の足跡が書いてあるTシャツなんかも、最初はちょっと不満そうだったのが、着たら着たでちょっと喜んでいるみたいだった。
ずーっとニコニコしてて可愛いなぁともう顔緩みっぱなしで家を出て、電車ん中で調子にのって酒飲んでたら。
駅の階段で足を滑らせて真っ逆さまに落ちた。
足すっげー痛いから悶えてたら、なんか腫れてきて、すぐさま病院行ったら捻挫だといわれた。
「え?これから海行くんすけど!」
「お父さん、あなた今足痛いでしょ?泳げますか?」
「いや、無理です」
そこからはもう、看護師のおねーちゃんに止められるくらい、こう太に説教された。
「だからボクが飲むなって止めたのに!なんなの?馬鹿なの?」
自分の馬鹿さ加減に落ち込むのもそうなんだけど、こう太が涙目になってるから、心配かけちゃったなと思うとさらに気分が下降する。
テンションがガンガン下がったまま病院を後にして、旅館に向かった時にはもう昼過ぎだった。
旅館はそんなに大きくなくて、庶民的なので気に入っている。何よりここの旅館の良いところは、海まで五分もしないで行けることだ。
それをこう太に行ったら「すぐに泳ぎに行けるね」と嬉しそうに笑ってくれた。
だというのに…。
結局足が痛くて旅館についても俺は寝転がってウンウン唸っていた。
こう太が心配そうにしているから、気にしないで海行ってこいよと言ったんだけど。
「ぼ、ボク一人は嫌だよ!知っているところならともかく、友達もいないし…」
それ聞いてしまったなーとまたテンションが下がる。
そうだよな、垓とか友達と一緒なら気にせず遊べるだろうけど、一人で海行ってもつまんねえよな。むしろ、一人で泳いで波にさらわれるっていう海難事故とかあるかもしれない…し…。
「ごめんこう太。ホント、ごめん」
「いいよ、気にしてないよ。もう、元気だしてよ」
畳にめり込むくらい落ち込む俺の背中をこう太がさすってくれる。
ホントは、華田や保村達とで行けたら楽しいんだろうけど、あいにくと都合が合わなかった。
来年はちゃんと計画立てて皆で行こう。そうしよう。
で、痛みがようやく治まってきたって頃にはもう、空が赤く染まっていた。
海には入れないけど、ちょっと散歩ぐらいはしたいとだだをこねて、二人で海まで歩いてきた。
潮の匂いにほんの少しテンションが回復する。
二人で砂浜に座ってぼんやりと海を眺める。
ちょっと潮風が強いのか、こう太が麦わら帽子を抑える仕草が可愛い。
夕方なので辺りにはほとんど人がいない。たまに地元の人なのか、波打ち際で遊んでいる親子がいたり。
くそぉ、足の調子がよければ俺達もあんなことできたのに。
「海綺麗だね」
「…おう、そうだな」
「もー、元気だしなって。ボクも電車の中でちゃんと止めれば良かったんだし」
「いやお前のせいじゃないから!父ちゃんが調子に乗っちまって…ごめんな」
「わかってるならいいよ。また今度だね」
苦笑しながらもそう優しく言ってくれて、嬉しいんだけど無性に泣きたくなる。
優しさが痛い。
ごめんなぁ、と麦わら帽子ごしに頭をグリグリ撫でる。怒られるかなと思ったんだけど、機嫌が良いみたいでちょっと嬉しそうにしていた。
旅行効果すげぇな。
こう太はずれた麦わら帽子を直しながら、ふふと笑ってくれた。
「お父さんとこうしてるだけで楽しいよ」
ちょっとはにかみながら、優しい声でそう言ってくれて。
照れてるのか、夕焼けなのか、ちょっと頬が赤くなっていた。
あまりにもそれが可愛らしくて、俺は思わずむせた。
「ゲホッ!ゴホッ!オェ」
「ちょっと、なんでむせてるの?」
「発作、発作が…」
はぁ?っと言った顔で背中をしばらくさすってくれてから、不意に立ち上がった。
「ちょっと波打ち際行ってきていい?」
「おう」
こう太はビーチサンダルを置いていくと、トトトと波打ち際まで駆けてった。
波に足が触れただけで滅多に聞かないような声をあげて喜んでいた。
そのままその場にしゃがみ込むと、何やら砂の中をほじる。
「なんかあったかー?」
座ったまま大声で尋ねると、こう太は麦わら帽子を抑えたまま立ち上がった。
満面の笑みのまま、手のひらに何やら載せながら俺の方に振り向いて大声をだした。
「お父さん貝拾ったー!」
すっごいはしゃいでいて、嬉しそうで、可愛らしくて。
いつか。
『ねぇねぇ、孝助ー!』
いつか、見たことのある風景が頭に広がる。
『孝助ー!これウミガメのタマゴかなー?』
やっぱり彼女も麦わら帽子を抑えながら、こっちに振り返った。
俺が絶対可愛いからと言って買った白いワンピースの裾が風に煽られて広がって。
同じように金色の髪の毛が風に吹かれてサラサラと広がっていく。
はしゃいだ笑顔のまま掌の上の白い球体をいじくりまわす。
『いや、もしそうだとしてもほじくり返すなよ』
『持って帰って育てます』
『うん、無理だから』
『ちぇ』
タコのように唇を尖らせながら、ガニ股のまま地面をほじくり返す。
裾が濡れる!あとガニ股やめい!と俺が言っても言うことを聞かないから、パンツ丸見えだぞ、と言ったら頭をひっぱたかれた。
『孝助、サイアク。最悪だから、何かロマンチックなことを言いなさい』
『えー。…この海はパティの海と繋がっているんだぜ。俺の心と君の心が繋がっているように』
『ウーケールーw』
パンパンと手を叩いて大笑いする彼女に、俺も大笑いをした。
『孝助、子供が生まれたらまた来ようね。絶対に約束だよ。楽しみにしてるから、ね?』
はしゃぎながら、嬉しそうに笑った。
そのパティの笑顔とこう太の笑顔が重なる。
「…お父さん?」
いきなり膝を抱えた俺を不思議に思ったのか、気づいたらこう太がすぐ近くまで来ていた。
俺は立ち上がると、腹の底から声をだした。
「てっっっっしゅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!」
「へ?撤収?」
俺はこう太の腕を掴むと、足が痛いのも気にしないで旅館へと歩き出す。
こう太はビーチサンダルを慌てて掴んでついてくる。
ついてくるっていっても、俺が引っ張ってるんだけど。
「総員退避―!!」
「もう?なんなのさ全く!?」
他の人達が不思議そうに見ているけど気にしない。
早くこの情景を忘れたかった。
自分の着る服なんかは派手な色が好きなのに、どうして白い服なんてこう太に買ったのだろうか。
自分でも不思議なはずだったのに、自分で答えを出してしまった。
白は、彼女に似合う色だったからだ。
誰にするでもなく、頭の中が言い訳で一杯になる。
違う。この子が好きだけど、違うんだ。
この子を身代わりにするつもりはないんだ。
*
花火がやりたいと言い出したのはこう太からだった。
夕飯を食った後に、近くのコンビニで小さなひと袋買って砂浜に向かう。
俺たち以外にも花火をやっている人がチラホラいて、そこかしこで楽しそうな声が聞こえてくる。
そんな人達からちょっと離れたところに借りてきたいすを砂浜において、ロウソクに火をつけた。
こう太が花火に火をつけると、感嘆の声を上げた。
俺も一本つけながら、ぼんやりとその赤や青の光と煙を見つめる。
花火はパティとやったことあるんだっけ、ゼミの合宿で一緒にやったのは確か理代子とだから、やっていないかもな、なんて。
考えなければいいのに、ずっと考えてしまう。
「また落ち込んでる」
こう太の不満そうな声に顔を上げると、こう太が呆れたような顔でこちらをみていた。
まぁ、目が慣れたとはいえ辺りが暗いからそんな気がしただけなんだけど。
「どうしたの?足痛いの?」
「いや、違う違う。まぁ、ちょっと昔を懐かしんでいたわけですよ」
「昔?」
「おう。お母さんとも来たんだよな。ここの海」
こう太の息を飲む音が聞こえた。気ぃ遣わせちゃうかなとも思ったけど、思ったよりも落ち込まないで言えたのでそのまま続ける。
「こう太が生まれたら、三人で来ようねって約束してたんだ」
「…そっか」
そう小さく呟くと、水を張ったバケツに燃え尽きた花火を入れる。
しばらく二人の間に沈黙が流れる。
まだ波の音とかが聞こえるから、沈黙でも平気だった。
ちょっと自分でも驚いているのが、パティのことを考えてもこの前ほどテンションが下がらないことだった。
こう太が、ふぅとため息をついた。
「仕方ないなぁ」
そんなことを言ったかと思ったら、俺の肩に手を置かれて、そのまま軽くチュッと唇にキスをされた。
真っ暗だから表情はそんなに見えないんだけど、自分からしたくせに照れくさそうにしている。
「元気だして、ね?」
ね、の言い方が可愛くて。パティに似ていて。
やっぱり気づいたら抱き寄せていた。
「元気でた?」
「おう、元気でた。すっげーでた」
こう太が優しく笑って、頭を撫でてくれた。
また来ようね、約束だよ
そう甘い声が波に溶けて、ゆっくりと夜の薄闇の中に響いた。
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