アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
番外編 エルフ王物語
-
水辺の岩に腰掛けて、優しい風の中で竪琴を爪弾く。その響きはまさに風の如く澄み、優しく身に浸透する。奏者の亜麻色の髪は、暖かな陽の光に透けて白い面に柔らかくかかり、瞳を淑やかに伏せて唇を微かに綻ばせた表情を見ると、ラスティはいつも胸が焦がれる想いに陥った。
この狭いエルフの森で、互いの名を知らぬ者はいない。美しい奏者の名はレイリウスといい、毎月満月の宵に行われる宴で讃美歌を奏で、祈りを捧げる特別な役割を持っているエルフだ。だが、レイリウスはただ歌を奏で祈っているだけでなく、その聡明な頭で数々の相談者に救いの手を差し伸べてきた。―――そんなレイリウスは、民に望まれ王族と結婚をする。
◇◆◇
王と宰相が住まう白樹の一室、書斎でライールは使い込まれた掌の大きさの手記を読んでいた。何度も読んだのか確認する様に長細い葉の栞を辿り、めぼしい文面に目を通してからその手記と図形が描かれた小さな紙を持って退室した。白樹の最上階へ籠を使って上り、夜空の下で図形が描かれた紙の上に手記を置くと、手記は一瞬にして燃え尽きた。紙を細かく千切り風に乗せ、紙くずを無意識に目で追いかける。夜空に浮かぶ月をしばらく眺めていると、籠が下りていく音が聞こえた。此処へ来られるエルフはライールの他にあと一人だけだ。下りた籠が上がってくる。
「ライール」
小さく静かなテノールが夜闇に凛と響く。声をかけられたライールは少しだけ顔を声の方に向け、再び星空を見上げながら口を開いた。
「まったく。少しくらい大目に見てくれ、ラスティ」
「…見ている。…だが、放っておくと空が白むまで此処にいるつもりだろう」
その言葉に、ふっと笑いを含んだ息を漏らしてライールはやっと背後の兄弟に視線を合わせた。夜空に輝く月を背にしたライールの表情はよくわからない。月の様な銀色の長い髪は、夜風に吹かれてさらさらと舞った。ラスティはライールの隣に立ち、同じ様に空を見上げる。
「今宵も、綺麗な月だろう?」
ライールの穏やかな夜の様な低い声は、慈しみを込めていつもそう言うが、ラスティにはライールほど月の美しさがよくわからない。
「だからといって、」
「"いつまでも此処にいるな"」
いつもと同じ事を言おうとしたラスティを遮り、ライールが言葉を続けた。何か言いたげなラスティの視線を横目で流し月を見上げる。
「…ああ、そろそろ…止める」
ライールの何かを含んだ声に、結局ラスティは何も言えなかった。ライールの深い青い瞳は、真っ直ぐに月に向けられている。あと10日ほどで、10年に一度の特別な感謝祭を迎える。
「今日も、竪琴の練習に勤しんでいたな」
「…ああ」
ライールが話しているのは、感謝祭の奏者を勤めるレイリウスの事だとラスティは見当付ける。
「相変わらずの美しい音色だ。今回の宴も、成功するだろう」
「いや…少し、違っていた…」
「うん?」
小さくそれは囁く様に呟かれたラスティの言葉は、強くなってきた夜風に吹かれてすぐに消えたが、隣にいたライールはその声を拾った。
「…輿入れが近づいているからか、少し音がいつもと違っていた」
「…そうか…あと3日で此処に来るんだったな」
王族との結婚は、婚姻の7日前から王家の白樹で過ごす。式は、10年に一度の特別な感謝祭と同じ日時にする事になっていた。
「おまえには、色々感謝している」
低く静かな声で、ライールの口からゆっくり言葉が紡がれる。ラスティは詰めていた息をふぅと吐き出して応えた。
「…どうした。改まって」
「……いや、これだけは言っておこうと思っていただけだ」
「…なんだそれは」
結局二人は、互いに顔を合わせる事もなく並んで夜空を見上げたまま、空が白むまでとりとめない事を話し続けていた。
◇◆◇
エルフ達が両脇に並び、淡い色の花びらを撒き散らす。柔らかな花びらで敷き詰められたその道を、薄布で頭から顔を覆ったレイリウスがしずしずと進んで行った。一際立派な王の住まう白樹の前では、ラスティとライールが待ち構えている。レイリウスは二人の目の前で立ち止まり、両膝を柔らかな地面に着いて挨拶をした。ラスティとライールはそれぞれレイリウスの手を取り、レイリウスは二人に引かれるようにして籠の中へと入っていった。エルフ達は祝福の証に、炒った小さな種を乾いた葉で包んだ物を白樹や籠へ向かって投げる。当たった小さな包みは破れ、キラキラと光りを反射する種が辺りに飛び散った。
「そんなに固くなる必要はない。あと少しで此処がきみの我が家となるのだからな」
添えてある手から微かな震えを感じたライールは、レイリウスを安心させるために優しく声をかけた。
「っ…はい」
はっとライールを布越しに見上げたレイリウスは、ゆっくり頷く。
「色々不安もあるだろうが、何かあれば遠慮なく言って欲しい。きみの住みやすい家になるように、俺達も協力する」
「ありがとうございます」
先ほどより幾分か固さがとれ、本来の柔らかな声でレイリウスは礼を言った。
「…此処がそなたの部屋となる。今日はゆっくり休まれよ」
止まった籠の扉を開け、ラスティはレイリウスの手を引いて部屋へ通す。クリーム色で統一された部屋をレイリウスはとても気に入った。
「素敵なお部屋ですね…。安心して眠れそうです」
「そうか…」
「この部屋はラスティが用意したんだ。きみの好みに合ったようだな」
「!そうだったのですか。ラスティ様、お気遣いありがとうございます。とても気に入りました」
「いや……他に必要な物があったら言ってくれ」
レイリウスを部屋へ送り届け、ライールとラスティは執務室へ戻った。
「余計な事を言うな」
「何がだ?」
ライールのとぼけた返事にラスティは黙った。
「ああ、レイリウスの部屋をおまえが用意したという事か。いいではないか本当の事なのだから」
「…」
返事をしないラスティを見て、ライールはひっそりと笑った。
◇◆◇
王と宰相と、そして婚約者が住む白樹では、最近竪琴の音が響いている。ライールが最上階へ籠で上ると、レイリウスが練習をしていた。
「もう十分に良い出来だが、余念がないな」
曲が一段落つくと、ライールはレイリウスに声をかけた。
「!申し訳ありません。執務の邪魔をしてしまいましたか?」
「いや、息抜きに来ただけだ。練習を続けてくれて構わない」
「…練習、というより、奏でているのが楽しいので、いつもつい…」
「そうか。…では時々弾いている、あの…木洩れ日のような曲を弾いてくれないか」
「はい…」
レイリウスは陽の光りの下で、温かく優しい曲を弾きはじめた。その姿は美しく、その曲はレイリウスそのものである様にライールは感じた。
「…やはり、きみはまるで木洩れ日の様だ」
小さく呟いたライールの声はレイリウスには聞こえなかった。曲が終わり、目を閉じて聞き入っていたライールが微笑みながら拍手をする。
「素晴らしい」
レイリウスは小さくはにかみながら立ち上がり、軽く膝を折って礼をした。少し緊張がほぐれた様子のレイリウスに、ライールは色々な話しを話しはじめる。それは、レイリウスが出来るだけ早くこの王の住む白樹に慣れて欲しいと思っていたからなのかもしれない。たあいもない話しから段々、昔話に話しが移っていった。
「…俺達が小さかった頃、此処に来た人間の旅人がいた」
「聞いた事はあります。時折外からいらっしゃるそうですね」
「ああ、珍しいがな。その時の親王が旅人から何冊か手記を貰った。その中に面白い事が書いてあったんだ」
ライールは子どもの頃に戻ったように顔を輝かせて続けた。
「俺達がいつも感謝祭の時、小舟や供物を覆う布に月の紋章とよばれる絵を描くが、それと似たようなものがたくさん旅人の手記に描いてあった」
「…紋章学者だったのでしょうか?」
エルフ族には、生まれた時に体のどこかに家紋が刻まれている。どこの家の子か見分ける為、紋章学者が存在するがライールはレイリウスの問いに首を振った。
「俺もはじめそう思ったが違った。……あれは、魔法陣だったのだ」
「魔法陣…」
「…俺は親王やラスティにも何も言わず夢中で旅人の手記を読み解いた。言葉は断片的にしか解らなかったが、魔法陣は描く事でどんな場所でも火を出したり、ものを凍らせる事ができるものだと知った」
「そんなものが…」
「月の紋章に酷似したものもあったんだ。防水と浮力を上げると書いてあった…。もしかしたら俺達の祖先は、魔法陣の扱い方を知っていたのかもしれない、そう思うとワクワクした」
「ええ、わたくしも凄い発見だと思います!」
レイリウスまでも子どものように目を輝かせた。
「…だが、その手記を書いた旅人は感謝祭当日、供物を乗せた小舟に身を潜ませて小舟と共に捧げられてしまった…俺は直接旅人から魔法陣について教えてもらう機会を失ってしまった…」
話しが終わり、ライールは昼間の白い月を見上げたまま口を閉ざした。レイリウスは旅人が捧げられた後の事がとても気になったがなかなか言い出せる雰囲気ではなく、むずむずとしていたのを察したのか、ライールは続けた。
「人間を捧げた事など今までに無かったが、エルフの禁を破った旅人がどうなったのかは解らない。しかし、その後もエルフの森は何の変化もなかった。捧げたものがエルフであったなら、どうなっていたかは解らないが…。旅人が捧げられた事を知るのは俺達王族だけだったため、この事は口外しない事になった」
エルフ族にとって、供物にエルフを捧げる事は禁忌である。どんな罰が与えられるかわからない。もしかしたら母なる樹が枯れるかもしれない。捧げられたエルフにどんな仕打ちが待ち受けているのかもわからない。しかしそれが人間であり、その後エルフの森に何ら変化が見られなかったとしても、当時の王は悪戯に民達の恐怖心や不安を煽ると判断し消えた旅人は独自の技術で来た時と同じように突然行ってしまったと民に伝えたという。
「親王の言っている事は嘘ではなかった。確かに旅人は魔法陣と小舟を使ってどこかへ移動したと俺は確信している」
「…それは、旅人の手記に何か書いてあったのですか?」
「ああ。旅人の日記に、満月を映し出した鏡の泉が"道"ではないかと書いてあった。旅人はどうやら、その国にある"道"を通って旅をしていた様だ」
「そんな移動手段があったなんて」
「俺も驚いた。しかし、今のエルフではそれができない。祖先は魔法陣の扱い方を知っていたにも関わらず、現在にその技術は伝わっていない事と、他国への移動を禁忌としているという事は、遥か昔に何かがあったのだろうと俺は思う」
「そうですね…」
「…実は、この事はまだラスティに言ったことがないのだ。くれぐれも内密に。……俺達エルフ族はこの事を知らなくても…いや、はっきりした事は何も解らないからこそ知らない方がいい。あの旅人の手記も、既に処分してある」
「…何故、この事をわたくしに?」
レイリウスの問いに、ライールは微笑んで答えなかった。レイリウスがライールの真意を知るのは、少し後になってからだ。
◇◆◇
満月の夜に鏡の泉で行われる宴は、古の時から執り行われてきた。月光の輝きを内側から発する母なる樹が、月からもたらされたものだと伝わっているからだ。感謝の宴であり、子孫繁栄の祈りの祭りでもある。そして10年に一度、白樹の枝や幹を10年の歳月を使って加工した物を月に捧げている。その太い枝の上に住居を建てられるほど丈夫な白樹を加工するには、時間がかかるがそれは長命なエルフ族にはたいした問題ではない。白樹は一度切り取ってしまうと、新しく生え代わるのに長い年月が必要になる為、10年という間隔で捧げられているのだ。毎月の宴とは違い、長い年月をかけて作り上げた物を捧げるので、10年に一度の宴は盛大なものになる。その特別な宴の今夜、王族の結婚式も執り行われる。まず通常の宴を行った後に婚姻の儀式が行われる計画だ。
泉の岸辺で、幾重にも重なった白い布を纏ったレイリウスが現れる。対岸に見える月に照らされたレイリウスの美しさに、ラスティははっと息を呑んだ。その白く繊細な指が奏でる讃美歌に、胸が張り裂けそうになる。レイリウスは今宵、王であるライールと婚姻を結ぶのだ。それも、民に望まれて…。ラスティは、この時を最後にレイリウスへの秘めていた想いを断ち切ろうとしていた。
静かな讃美歌が終わり、レイリウスは白い薄布を頭に被って顔を隠し、玉座に座るライールの左隣にある席に着いた。
「素晴らしい演奏だった」
ライールが対岸を見たままレイリウスに言った。
「ありがとうございます。…その手はいかがされました?」
礼を言ってライールに軽く頭を下げ時に、レイリウスは肘掛けにあるライールの何本かの指に白布が巻いてあるのを見た。ライールは何でもないという風に軽い調子で答える。
「ああ。小舟の準備で少しへまをしただけだ心配ない」
「そうですか」
ラスティはライールの右隣にいるためレイリウスの声が良く聞こえないが、その甘やかな声音に無意識に耳を澄ませていた事に気づき、慌てて宴の様子に集中する。対岸では様々な大きさの竪琴の奏者がハーモニーを奏で、舞手達が感謝の舞を軽やかに踊ってみせる。レイリウスがそれらを見て、小さく感嘆の溜め息をついた。王族のいる場所からは、夜空に浮かぶ満月と対岸で行われている宴の光景が鏡の泉にも映って見えており、二つの反対世界が広がっている。この光景が見れるのは王族のみであるため、王族はこの宴の事を双月祭と呼ぶこともあった。
宴が滞りなく進んでいく中で、ライールとレイリウスは時折一言二言言葉を交わしている。たわいもない事を話していたが、宴もあと少しという所でライールがとんでもない事を言い出した。
「…俺が王でいる限り、宰相はラスティ以外には務まらない」
「っライール!?」
王に嫁ぐエルフは、大概民に望まれて婚姻を結び、王を補佐する宰相となる。未婚の王には、家族が宰相を務めるのだ。つまりは、民はレイリウスが宰相になる事を望んでいるというのに、王であるライールはレイリウスに宰相の仕事を与えないつもりだ。
「…なぜ、です?」
「言ったろう。俺が王ならば、宰相はラスティだ。それ以外には務まらない」
「ライール!いい加減にしないかっ!」
顔を覆う白い布で表情はわからないが、言葉を失った様子のレイリウスを見てラスティはライールが生まれて初めて腹立たしく思った。その間にも宴は進んで行き、残すは供物を積んだ小舟を王が泉に浮かべ、月に捧げる儀式のみ。ライールは立ち上がって小舟へ近づいていく。話しの途中だったが、どちらにせよその後ろを宰相であるラスティとレイリウスは着いて行かなければならない為、ライールは構わず話し続けた。
「レイリウス、きみは美しいが、俺の好みじゃない。悪いな…俺はきみとは結婚しない」
ライールの言葉にレイリウスの足が止まった。ラスティは今すぐライールの口を塞ぎたかったが、レイリウスを気遣いその手を取って王の後ろを着いていく。岸辺に辿り着き、ライールは小舟に手をかけた。小舟は押されると、不思議な事にその勢いのまま泉に映る満月の元へと滑る様にして移動し、消える。ライールは小舟をゆっくりと押した。
「きみは素晴らしい宰相になれる。だが、それは俺が王の時ではない」
ライールは振り返り、ラスティとレイリウスを見据えて続ける。
「ラスティ、おまえが王になるのだ」
「なっ!?」
ラスティは目を見開いた。ライールはラスティに向かって優しく微笑みかけ、岸から離れる小舟に飛び移った。慌てて二人は駆け寄るが、儀式用の衣装が泉の水を吸い上げて足に絡みつき距離が縮まらない。
「ライール!!」
「王っ!!」
小舟の異変に他のエルフ達も気づいたが、誰も滑る小舟を止める事が出来なかった。
「ラスティが王になり、レイリウスが宰相となる。これ以上素晴らしい組み合わせはない。ラスティは俺以上に王の資質があり、レイリウスはラスティ以上に宰相の才覚があるのだから」
王の言葉は低く泉に響き渡り、全てのエルフの耳に届いた。
「ライールっ!!!」
遠ざかっていく兄弟を必死で追いかけ、ラスティは青くなりながら叫んだ。
「ライールっ!!舟から降りろ!!そんな事しなくていい!!!」
レイリウスはラスティの後ろで立ち止まった。顔を覆っていた白い薄布は落ち、涙に濡れた白い面が月に照らされていた。
「俺は焦がれた月へ行く。いつか必ず行きたいと思っていた。ラスティ、おまえは焦がれた相手と幸せになれ」
「っ!!」
ライールの声は、遠くなっても確かに聞こえた。追いかけるのを止めたラスティの目から涙が零れる。レイリウスは見開いた目に焼き付ける様に王を見つめながらあることを確信した。ライールは、移動の為の魔法陣の使い方を会得していたのだと。旅人の手記を読み解いたライールは、恐らく読んだだけでなく実際に試して使用方法を学んでいったのだろう。あの日、白樹の最上階でレイリウスに昔話をしたのは、王族に一人はこの秘密を知る者が居た方が良いとライールが考えたからだ。
ライールは、もうずっとこの計画を胸に秘めていた。旅人の手記を読んだあの頃から。焦がれ続けた月へ行く手段を知ったあの頃から。ただ、エルフの森も愛していた。たった一人の家族であるラスティを一人残して行く事も出来なかった。
…もう、大丈夫だろう?おまえにはレイリウスがいる。…まったく、二人共互いを想い合っているというのに、何十年もろくに会話すらした事がないとは…。俺が少し強引に縁を結んでやらなければ、一体いつ結ばれていた事やら。
ライールは小さくなった二人に背を向けた。羽織っていたマントが風に吹かれてはためく。マントの下には月の紋章が刺繍された上着を着ていた。正確には、当時の月の紋章を再現したものだ。ライールは刺繍などしたことが無かったが、確実に水に濡れて落ちないようにするには、刺繍の方がよかった。おかげで指をいくらか怪我してしまったが。空を仰ぐと頭上にまんまるい月があった。今から行くぞ。とライールは誰にともなく心の中で言った。
エルフ王物語[完]
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
12 / 14