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ロミオとジュリエット 38
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「ドイツの日本大使館からかけています。私は日本国外務省の書記官、五代と申します。初めまして。」
電話の相手は、そう名乗った。
「ブラオミュンヘン監督の東郷です。ご用件を伺います。」
「早速ですが、私五代が、監督にお目にかかってお話したいことがございます。監督のいらっしゃるフライブルグ市まで、参りますので、ご都合の良い日程をお教えください。
場所は、駅前のホテルでいかがでしょうか。」
「お電話では、お伺い出来ないことですか?」
「そうです。今後の事も有りますので監督にぜひご挨拶にお伺いしたいのです。
「今後の事とは?そんな予定はありませんが。」
「では、フライブルグ駅前のロイヤルホテルのラウンジにいたしましょう。」
「私は、試合があるのです。」
「大丈夫です、ブラオミュンヘンは水曜と土曜が定例試合ですね。では月曜日の午後2時でいかがですか。
ご都合がつきませんでしたら、折り返しご連絡ください。私の連絡先と日時場所を記したメールをブラオミュンヘン事務所にお送りします。ではよろしくお願いいたします。」
と言って、一方的に電話は切れた。
私の試合日程を知っている。
その上、月曜日が休みのことも。
月曜日は、いつも結に会う日だ。
次の月曜日、私は結と約束していない。
交際宣言のSNSを取り下げてから、どちらからも連絡していない。
結のiphoneの電話番号を探した。
電話をかけようとして、今日が結が舞台のある金曜日であることに気付いた。
電話しても、結は出ない日だ。
次の月曜日に、私はフライブルグ駅前のロイヤルホテルに出向いた。
ラウンジに行き、フロントで名前を言うと、ウェイターがすぐに案内してくれた。
スーツを着た男がひとり、すでに私を待っていた。
「初めまして、東郷監督。外務省書記官の五代 憲(ごだい けん)と申します。監督にお目にかかれて光栄です。」
立ち上がったのは、黒いスーツに紺色のネクタイをした男だ。
「ブラオミュンヘンの東郷 悟です。」
決していい話にならないのは分かっているが、まずは握手した。
すかさず、五代氏が、殺風景な名刺を差し出して来た。
「お忙しい所、お運びいただいてすみません。
私は外務省職員ですが、観光省と共に、日本への外国人旅行者の増加を目的とした職務を担当しております。現在、ドイツ・フランクフルトの領事館に勤務しております。」
要は、官僚だ。名刺に外務省二等書記官とある。
ウェイターが注文を取りに来た。
メニューから、豆と焙煎を選ぶよう、ウェイターが言った。
五代氏が、「どちらのコーヒーがよろしいですか?」と私に聞いた。
私はコーヒーが好物だが、彼と楽しむつもりはなかったので五代氏に任せた。
五代氏が、ドイツ語でコーヒー豆と焙煎方法を次々に指定していく。
五代氏のドイツ語発音は、都市部で話す綺麗な標準語だ。
私の話す、南ドイツ・シュヴェービッシュ地方の方言とは違う。
外交官なので、ドイツに留学し標準ドイツ語を習得したのだろう。
「本日は、御高名な東郷監督にお目にかかれて光栄です。サッカー強豪国ドイツで、初めての日本人監督でいらっしゃいますね。監督のご活躍は、日本と世界の友好を促し大使の仕事以上に値します。」
「そうですか。」
私は無機質に返事をしたが、五代氏はなおも続けた。
「成功者になるには、二通りの人間しかいません。誰もやりたがらないことをやるか、誰も出来ないことをやるか。 監督は、後者ですね。」
「五代さん、あなたはどちらです?」私は切り返した。
超難関の国家試験をパスして、官僚になったのだろう?
「私ですか。私は、国家公務員試験を通ったのでこの職に就いているだけです。成功者と言うわけではありません。」
成功者ではないと言いつつ、国を代表する外交官なら、若くても非常な力を持っている。
あえて力を誇示せず、はぐらかす。一筋縄でいく男ではない。人相を観ればわかる、頭がカミソリのように切れるのだろう。
切れ長一重まぶたの端正な容貌がこちらを見ている。オリエンタルビューティ、欧米人受けしそうな顔だと思った。年は結より3つ4つ上くらい、20代後半か。
「ご用件を伺いたいのですが。」
ウェイターが、コーヒーを運んで来た。オフホワイトで縁が金のコーヒーカップに手をつける前に、五代と言う男は口を開いた。
「パリ在住の、バレエダンサー道ノ瀬結さんの件です。」
やはり、そう来たか。嫌な予感がする。
「この度、道ノ瀬結さんに、観光アンバサダー(大使)に就任していただく運びになりました。」
「そうですか。」
知っていたが、今聞いたように私は答えた。
「監督には、ブラオミュンヘンのSNS、道ノ瀬さんとのご交際発表記事を取り下げていただき感謝いたしております。」
「そのお礼を言いに、私に会いにいらしたのですか。」
「まだ、続きがあります。」
「何でしょうか。」
「今後も、SNSでこの件を書かないことと、願わくば、ご交際自体をこの先もないことにしていただきたいのです。」
「政府が、何の権限あって、一国民の個人的な事に口を出すのでしょうか。」
「道ノ瀬さんに、アンバサダーになっていただくためです。これは国益がかかった一大事業なのです。広告塔にあるアンバサダーにスキャンダルは絶対にあってはならないことです。」
「LGBTはスキャンダルですか?」
「東郷監督、これは1つの情報ですが。
あなたは、道ノ瀬さんとご結婚をご検討されているそうですね。」
何でそんなことを知っている?
それを知っているのは、私と結と秘書の小崎、そしてパリの宝石店くらいだ。
情報元は、宝石店か?いや、顧客情報流出させたら店は信用がた落ちだ。名店であればなおさら顧客情報の扱いには神経質になる。
では、どこから漏れたのだ?
待てよ…。
週刊Bezの諸橋が、以前言った言葉が、ふいに脳裏によみがえった。
「盗聴器に気をつけろ」…まさか。
「東郷監督、あなたが一般国民であればこのようなお申し出はいたしません。でも残念ながら、あなたは一般の方ではありません。
そして、道ノ瀬さんもです。
日本政府観光アンバサダーに就任された場合には、道ノ瀬結さんは”パブリックフィギュア”です。」
パブリックフィギュア(公的人物)?
「世界には、まだまだLGBTに厳しい国があるのですよ。それらの国からも、日本は観光客を誘致したいと考えております。道ノ瀬さんにLGBTの噂を立てられては困りますし、同性のパートナーがいらしゃるのはね。」
「パブリックフィギュア(公的人物)も人間です。誰とパートナー関係になろうと自由ではないですか。個人の自由です。」
「いえ、パブリックフィギュアには公人としての勤めがあります。
我が国の政府は、結婚は”両性の合意”というスタンスです。いいですか、監督。あくまで”両性”です。」
何を言うか。憲法に保障された個人の自由を認めず、結が若くて独身であることを利用しているくせに。
更には、交際も辞めさせ、強引にシングルにさせようとしている。結を商品か何かと勘違いしているのだ。
「同性結婚を認めている国は、どんどん増えています。
残念ながら、私たちはあなた方の作る立ち遅れた政策のおかげで結婚できないのですよ。」
「ごもっともです。私も個人的にはLGBT解放が世界の潮流であることは承知しています。
しかし、上(政府)が右と言っているのに、左とは言えません。」
”制度の奴隷め!”官僚なんて所詮そんなものだ。
従わなければならないと言って、そのくせ権力をかさに着て傲岸不遜だ。
私が、官僚と言う人種を知るのは初めてではない。
私の父は、コピー会社を経営しており、仕事では官僚とよく渡り合っていた。
企業は、輸出入の関税の税率が変わるだけで、収益に大きな差が出る。
税率を決めるのは国会議員だが、議員に働きかけをするのは官僚である。
企業は、官僚とのつきあいが非常に大事で、つきあいが難しいのも確かだ。
昔のキャリア官僚は、傲慢(ごうまん)なパワーエリートで、私の父もよく交渉の難しさをこぼしていた。
政治家に忖度することもなく、国家を動かしているのは自分たちだと言うプライドがあったのだろう。
最近は政権が強すぎて、官僚が政治家の顔色をうかがい忖度している。 しかし、こいつはどうだ。
「東郷監督、あなたもまだ監督でいたいでしょう?」
五代と言う官僚は、下手に出るようで、しかしやんわりと私を恫喝して来た。
「五代さん、あなたの申し出を断って、私が監督を辞める、と言ったら?」
そんなことをしたら、私の辞任危機を救ってくれたブラオミュンヘンを裏切ることになる。
だが、あえて言ってみた。
五代は、意外なことを言った。
「東郷監督、私も子供の頃からサッカー少年でして。実は、あなたのファンです。」
「それは、光栄です。」私は心にもないことを言った。
「私は、監督名鑑と言う書籍を拝見するのですよ。東郷監督のことが載っていました。柔和で理知的で、特技は守備だけだったブラオミュンヘンを完全に攻撃型に変えた名監督だと。」
「守るばかりでは、勝てません。試合でも人間の生き方でも。」
「屈することを知らない方ですね。官僚の私たちには到底できない所業です。そんな所も魅力的ですが。」
何を言いたいんだ?! 顔をしかめたはずの私を、五代が典雅、且つ野性的な感じすらするほほ笑みを浮かべ見ている。
そして、五代の次の一言が私に突き刺さった。
「道ノ瀬さんも、承諾しています。道ノ瀬さんは、もうあなたにはお会いにならないでしょう。」
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