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最低な自分
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◇
言われるがまま、飛鳥が止まっているシティホテルの一室までのこのことついてきてしまった。
ことここに至ってもまだ、心の準備ができていない。弦也は落ち着かない気分のまま、コートを脱いでハンガーにかけている飛鳥の背中を見つめた。
「シャワー、先に使っていいよ」
ガラスのサイドテーブルに鍵を置いた飛鳥が穏やかに言う。
「それとも、浴びないでする?」
深みのある真っ黒な瞳が悪戯じみた光を宿していた。そのどことなく淫猥な視線から逃れるように目線を逸らす。
「あの、俺……」
喉の奥がひどく乾いていて声が掠れた。
本当に、この人とするのだろうか。
「そうビクビクしないで」
おもむろに右手を伸ばしてきた飛鳥が、そっと自分の頭に手を置いた。向かい合って立つと僅かだが自分の方が視線が高いことに気づく。ほんの少し上目がちな瞳に見つめられると、俄かに顔が熱くなった。
ごく自然な動作でマフラーが首から外される。しゅるりと音を立てて床に落ちた瞬間、そっと唇が重ねられた。表面をなぞるだけの軽い口づけだが、驚いた弦也は目を見張り、至近距離でぼやける飛鳥の顔を見つめる。重ね合わせた唇は互いに冷え切っていた。薄い彼の唇は程よく潤っているのに、自分のそれはややかさついていると、そんな些細な相違に気づかされた。
「リップとか、つけないんだ?」
唇を離した飛鳥が楽しげに笑う。
「そりゃ、まあ……」
そんな上品な嗜みは自分に似つかわしくもない。弦也は戸惑い顔を隠すこともできず言葉を濁した。
ふっと軽く笑った飛鳥が身体を離してベッドに腰掛けた。余裕のある表情でじっとこちらを見つめてくる。
弦也は短く息を吐き出してコートのボタンに指をかけた。ひとつひとつゆっくりと外すその動作を飛鳥が目で追っているのが分かる。
やってしまえば、何かが変わるかもしれない。互いに恋愛感情があるわけでもないけれど、男同士のセックスに感情など必要じゃないのだ。ただ一瞬の快感とそこに生じる僅かな温もりさえあればそれでいい。
心にもないことを胸中で呟いた弦也は、コートを脱ぎ捨て、ついでにセーターも脱いで上半身だけ裸になった。室内は空調が利いているのかさほど寒くはない。
「なにかスポーツやってたの?」
露になった自分の身体を遠慮なく眺め回した飛鳥が問い掛けてきた。長く艶かしい指先で、程よく引き締まった自分の腹筋を撫でてくる。
「中・高とサッカーやってたんすよ。ほんとはバスケがしたかったんすけど、親が手を使うスポーツはダメだって言うんで」
「だろうね」
苦笑しつつ飛鳥はベッドに片手をついてゆったりと寛いだ。その肩を軽く押し、飛鳥の上に覆いかぶさる。今度は自分から唇を重ねた。ベッドに押し倒された瞬間目を見張った飛鳥は、躊躇いがちに伸ばした腕を背中に回してくる。誘うように開いた唇に舌を滑り込ませた。
「んっ……」
ねっとりと絡め取ってきつく吸い上げると、飛鳥は喉の奥でくぐもった声を出す。最初はうかがうように優しく口内を舐め回した。並びの良い歯列をなぞり、口蓋を舌先で擦り上げる。混ざり合った唾液がぢゅくぢゅくといやらしい水音を立てた。
「ふ……っん……っ」
飛鳥の舌は柔らかく甘い。溺れそうになりながら次第に荒々しく口づけを交し合った。手持ち無沙汰な右手が自然と飛鳥の胸元を撫でている。シャツの下を這い、その素肌に触れた。
唇を離し、薄っすらと紅潮した首筋に吸いつく。
「ぁ……」
手のひらで薄い腹筋を撫でると、飛鳥はビクリと腰を浮かせた。
「今さらだけど、僕が下なんだ?」
呼吸を乱した飛鳥がやや戸惑ったように笑う。
「え、あの、ダメっすか?」
困惑しているのは自分も同じだった。体格差はほぼないが、この流れで立場を逆転させられるのは困る。自分はネコの経験がないし、飛鳥にされるというのは予想していなかった。
こちらの動揺を見透かしたらしい飛鳥が小さく吹き出す。
「ってことはさ、君はその年上の彼も抱く気だったんだ?」
「っ……まあ、そうすけど……」
出し抜けに言われ、思わず顔をしかめた。今この状況で樛のことを思い出させるなんて、どれだけ残酷な男なのだろうと、内心毒づいた。
「なるほどね。苦労するわけだよ」
飛鳥はなおも面白そうに笑っている。
(人の気も知らねぇで)
ムッとした弦也はうるさい口を強引に塞いだ。先程よりも乱暴に口内を掻き回すと、飛鳥は怯んだように目を閉じる。背中に回された手に力が入り、ちりっと爪が走った。彼なりの抗議のつもりらしい。
「ふ……は……」
唇を離し、片手で飛鳥の前髪を掻き上げた。室内の薄明るい照明を反射して僅かに潤んだ瞳を覗き込む。
「……いいよ。君のしたいようにすれば」
掠れた声はアルトよりやや低く、独特な甘さを持って耳に響いた。
「彼にしたかったこと、全部やっていいよ。それで君は楽になるだろう?」
誘うような瞳に飲まれ、もう一度深く口づけた。後はもう、必死だった。
「あっ……」
もともと感度がいいのか、極度のくすぐったがりなのか、どこに触れても飛鳥は顔を歪めて背中をつらせる。鎖骨の上に唇を落とし、きめ細かい肌を舌先でなぞった。胸の尖りを口に含むと彼はいっそう顔を歪めて喉を反らせる。
触れれば触れるほど、自分の中の何かが乾いていくような気がした。
本当にこの行為で、自分はあの人を忘れられるだろうか。
「唄瀬、君っ……そこ、痛……い」
引きつれたような声にハッと我に返った。口に含んでいた乳首に歯を立てていたらしい。すみませんと短く謝って、宥めるように優しく舐めた。
(今は、何も考えるな。あの人のことなんか、忘れればいいんだ)
どうせどれほど願っても、樛は手に入らないのだから。
呼吸を乱す飛鳥を見下ろしながら、幾度となく思考を引き剥がす。だがそうすればそうするほど、胸の奥でなにかが膨張していった。言葉にするならそれは、確かな切なさだった。
どうして、彼に触れることは許されないのだろう。こんなに好きでいて、どうして。
「唄瀬君……?」
最初から、好きにならなければ良かったのだ。出会いさえしなれば、これほど胸が苦しくなることもなかったのに。
こんな行為で、彼を忘れることなどできない。今それがはっきりとした。
飛鳥は樛となにもかもが違う。まだ若さの残るみずみずしい肌の感触も、口の中の甘さも、自分が想像している樛の感触や味ではない。彼の肌はもっと硬く、張りはあってもやや乾いているはずだ。キスだって、あんなに甘いはずがない。きつい煙草を好んで吸う彼の口内はきっと、苦くて渋い。
彼の代わりなんてどこにもいない。飛鳥を抱いても、飢えたこの心が満たされることなどないだろう。
不意に動きを止めた自分を不審に思ったのだろう。飛鳥が僅かに身体を起こした。
「どうしたの?」
問いかけに答えることもできず、緩く首を振る。
「すみません……俺……」
心臓が張り裂けそうなほど痛かった。樛に対する想いの強さと、飛鳥への申し訳なさが綯い交ぜになった感情は、そのまま自己嫌悪へと転じた。
飛鳥はそんな自分をしばし無言で見つめたあと、気遣うような声で言った。
「唄瀬君……、君、そんなにその人のことが好きなの? 泣くほど?」
そう言われて初めて、自分の頬が濡れていることに気づく。
「っ……!」
慌てて拭ってみても、堰を切ったように溢れる涙は止まることを知らない。情けない顔を見られるのが嫌で、とっさに顔を背けベッドから降りた。
セーターを引っ被り、コートを手に取る。
「俺、帰ります。……すみません」
呆気に取られたように目を見張っている飛鳥の顔も見ず部屋を飛び出した。
「唄瀬君!」
声が追ってきたような気がしたが、振り向くこともできなかった。
(俺、最低だ……)
自分がしたことは、もしかしたら飛鳥をひどく傷つけたかも知れない。きっと彼は彼なりに、落ち込んでいる自分を励まそうとしてくれたに違いないのに。その気持ちを無碍にしただけでなく、土壇場で踏み躙ってしまった。それだけではない。
自分は、樛を想う自分の気持ちすら裏切ろうとしたのだ。
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