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「なんでここに――」
夢じゃない。
幻覚でもなくて、ちゃんと現実だ。
言葉の途中で伸びてきた両手が、しっかりと俺の頬を包み込む。
ずっと欲しかった熱い手のひらの感触にドクリと大きく心臓が跳ねたが、次の瞬間ハッとしてしまう。
俺は今酷い顔をしていて、涙どころか目は腫れぼったい感覚もあるし、なんなら鼻水も垂れ流してる。
有坂が来ると思わなかったから髪の毛だって走り回っててボサボサだし、世界で一番ブサイクな顔をしてる。
「み、見るな…っ」
「ずっと泣いていたのか」
離れようとしたが、しっかりと掴まれた手は外れない。
低い有坂の声が落ちてきて、心が震えてしまう。
嫌だ。
もう怒らないでくれ。
「来るならなぜ言わない。どうしてそんなになるまで俺に何も言わない」
ヒクヒクと喉が震える。
だって有坂に言うのは怖い。
いつ突き放されるのかも分からなくて、一番嫌われたくない人なんだ。
「う…っ、く…っあ、あり…っ、おれ…」
喉が震えて言葉にならない。
ボロボロと泣いていたら、グイと胸に押し付けるように抱きしめられた。
きゃあっと周りから声が上がった気がしたが、花火への歓声なのか俺達への好奇の目なのか、もうそんなのはどっちでもいい。
必死に離さないとその身体に縋りついたが、有坂は抱きしめたくせに俺の身体を一度離そうとする。
でももう離れたくなくて掴んで離さない。
服が伸びたってもう関係ない。
鼻水が思いっきり有坂のシャツにつきまくってる気がするが、そんなのもう知らない。
くっ付き虫のごとく意地になって服を掴んでいたが、有坂は諦めたのかそのまま俺をずるりと引っ張って歩き出す。
ずるずると引っ張られながらどこに行くのかと思ったが、橋を渡り終えるとその横の階段を下っていく。
俺があまりにも離れなさすぎるからなんならもう抱え上げられていたが、人気のない橋下に降りると有坂は俺を下ろした。
そのまま座り込んで俺を再び抱き込んでくれる。
俺も必死に手を伸ばして目の前の身体に縋りついたが、喉がヒクヒクと震えていて、もう言葉は出なかった。
「結城、お前は勘違いをしている」
頭の上に有坂の言葉が落ちてくる。
何を言われるのか、怖い。
どうせそれっぽいこと言われて俺から離れる口実を作られる。
でももう決めた。
俺は離れない。
抽象的な意味じゃなく、物理的に抱き着いたまま二度と離れない。
そうすれば有坂も本気で俺と一緒にいるしかない。
ギュッと服を掴む手に力を込めて、身体を強張らせる。
有坂の服が皺くちゃになるだとかそんなのはもうどうでもいい。
頑なになっている俺の頭に、優しい手のひらが落ちてきた。
「結城がなぜ勝手に誤解したのかは分からないが、俺はお前と一緒にこちらの大学に通うつもりでいる」
「――え?」
ぱちりと目を瞬かせる。
どういうことだ。
「朝宮から聞いた。俺が実家の大学に通うとお前が言っていたと」
ヒクヒクと喉を震わせたまま、呆然と有坂の顔を見上げる。
違うのか。
「俺はお前にそんなことは一言も言っていないだろう。なぜ勝手にそう判断したんだ」
だってずっと大学の話をしてくれなかっただろ。
それに有坂の家で聞いた話はとてもじゃないけど、こっちの大学を選んでくれるようには思えなかった。
こっちの大学を選んだら有坂は旅館も継げないし、親にも勘当されるんじゃないのか。
「…ただし、どうしても一つお前に納得してもらわねばならないことがある。それをどう言おうか悩んでいるうちに、無駄な心配をさせてしまったな」
ドキリ、と心臓が跳ねる。
やっぱり来た。
どうせ何か難しい条件をつけて、俺から離れる言い訳をするに決まってる。
結局俺を突き放して、実家の大学に通うに決まってる。
「大学は同じでいいが、さすがに学部は変えて欲しい。俺達が選んだ大学の中に、どちらの条件も満たせるものがあった」
「…がくぶ?」
「ああ。俺は兼ねてからの目標である事業承継を学べる経営学部へ行くが、お前は総合学部と言ってもう少し偏差値の高い学部がある。目的はないが学力があるのならばそちらへ行くのが筋というものだ」
「だ、大学は同じ?」
「同じだ。まあもちろんこれは理想であって、受かればの話だが…」
有坂はそう言ったが、何だかよくわかんないけど同じ大学ならもうそれでいいし、なんでもいい。
有坂が遠い所にいかないのなら、それでいい。
ギュッと有坂の服に縋りついて、コクリと頷く。
「そうか。納得してくれてありがとう」
そう言って優しく髪を撫でられた。
心臓がバクバクと音を立てている。
有坂はそれ以上何も言わない。
え、もしかしてそれだけか。
ってことは本当に全部、俺の勘違いだったのか。
有坂は俺を突き放そうとなんかしてなくて、ちゃんと同じ大学に通う事をずっと考えてくれていたのか。
――だけど。
「…だ、大丈夫なのか」
「え?」
どうしてそれだけで、何も言わないんだ。
親に言われた事は、一体どうなったんだ。
結局親の許可がなければこっちの大学になんか通えないはずだ。
もしかしてあの後、うまいこと説得出来たって事か。
「…お、女将さんに怒られてただろ。有坂がこっちの大学に通ったら、旅館継がせない…とか」
「――なに」
有坂が息を詰める。
ちょっと驚いたように俺を見たから、慌ててしまう。
「あ、いや、たまたま有坂の実家にいったら、縁側で話してたの聞こえちゃったんだ。別にわざと聞いてたわけじゃなくて…」
「…アレを聞いていたのか。それは恥ずかしいな」
そう言って有坂は気まずそうに視線を伏せる。
もしかして言わない方が良かったのか。
ストーカーだと思われて引かれたりしないよな。
「…なるほど。だからこれだけ誤解をしてしまっていたのか。お前が最近妙に焦っていて余裕が無かったのも、全てその話を聞いてしまっていたからか」
「う、うん」
さすがにあの話を聞いたら、誰だってもう無理だと思うだろ。
世界の滅亡を感じるだろ。
有坂はズタボロな俺の顔を見つめながら、優しく目を細める。
ギュッと心臓が詰まって、顔が熱くなる。
「…そうだな。確かに旅館は継げないかもしれないし、親にも勘当されるだろうが、別に構わない。自分で決めた道だ」
「――え」
「もちろん親の道しるべはとても大事だが、だからといって俺は親の意のままに生きる人形ではない。元々男同士という事で普通と違う人生を送る覚悟ならとうについているし、ならばいっそ自分の考えのまま進むのもいいのではという結論に至った」
「で、でもそれじゃ有坂が…」
「結城、未来は分からない。今は親も頭ごなしに反対をしているが、真面目に学業を修めてその資格を得た時、改めて話し合いに行こうと思う」
一度収まったはずの涙が、ぼろりとまた流れ落ちる。
――嘘だろ。
「幸い俺は子供の頃から仕事をしていたおかげで少しは蓄えがある。目指す大学には奨学金制度があるから、それを狙おうと思っている」
それって金も自分で出すってことか。
確かに有坂父は、後ろ盾があると思うなって有坂に言ってた。
でもそんなこと、有坂だってまだ俺と同い年の子供なのに出来るのか。
「だからすまないが、同じ大学に通うためにももう少し勉学に集中させてくれ。…と、そう早く伝えられれば良かったのだが、学部の件でお前を悲しませたくなくてな。随分伝えるのが遅くなってしまった。臆病な俺を許してくれるか?」
涙が止まらなかった。
有坂は臆病なんかじゃない。
俺なんかよりも、ずっとずっと有坂は俺のことを考えてくれていた。
自分で自分の道を考えて、その結果正解なのかどうかも分からない道に進もうとしてる。
有坂の胸に顔を埋めながら必死に首を縦に振ると、クスリと有坂が安心させるように笑ってくれる。
「結城、だからもう怯えなくていい。怖いものは何もない。俺がずっとお前の側にいる」
「…っ有坂」
「どれほど間違っていると言われようが、正解など実際には誰にも分からない。俺達が間違っていないことを、これから俺たちのやり方で周りに証明していけばいい」
有坂が俺を取ってくれた。
超常識人で、超お人好しで、自分より他人を大切にしている有坂が家族を大事にしていないわけがないんだ。
なのに全部、全部を捨てて俺を取ってくれた。
「泣かなくていい。もう泣かなくていいんだ。沢山悩ませてしまってすまなかった。これからはずっと一緒にいよう」
それは、俺が一番欲しかった言葉だ。
ずっと欲しかった有坂の愛情を全部手に入れて、すべてを手に入れて、一番欲しかったものがやっと手に入った。
ここまでしてもらって、やっと俺は今頃になって有坂を本当の意味で信頼できた。
有坂は俺の事がちゃんと好きで、ずっと、ずっと俺の事を考えてくれていたんだ。
だけど大好きな人にたくさん愛されて、すべてを捧げられて、それなのに涙が止まらなくて苦しい。
全てが手に入ったはずなのに、今までで一番苦しくて、息が出来ないほど辛くて、胸を突き刺すような痛みが止まらない。
俺は愛情の代わりに有坂に全てを捨てさせたんだ。
自分のために、有坂に全てを譲らせたんだ。
気付いてしまった。
そう、気付いてしまった。
――俺は。
俺は、全部間違っていたんだ。
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